大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和56年(ワ)666号 判決

《目次》

〔第一分冊〕

事件の表示

判決

当事者、訴訟代理人及び指定代理人の表示

(別紙目録記載のとおり)

主文

事実及び理由

第一章請求

(別紙)当事者目録

(別紙)代理人目録

(別紙)認容金額一覧表①

(別紙)認容金額一覧表②

(別紙)棄却原告一覧表

(別紙)仮執行金額一覧表

(別紙)請求金額一覧表

〔第二分冊〕

第二章事案の概要

第三章責任

第一被告チッソの責任

第二被告国・熊本県の責任

一当事者間に争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実

1 昭和二九年八月までの経緯

2 昭和三二年九月までの経緯

3 昭和三四年一一月までの経緯

二原告らの主張の要旨

〔第三分冊〕

三被告らの主張の要旨

四判断

1 本件における違法性の判断に関する基本的視点について

2 水俣病患者発生と因果関係ある排水及び排水がなされた時期について

3 本件当時における水俣病に対する知見及び被告国・熊本県の担当公務員の認識

4 原告らの主張する作為義務の有無について

5 まとめ

第三被告ら相互間の責任関係

(別紙)図面一~八

(別紙)別表一、二

〔第四分冊〕

第四章水俣病の病像

第一争いのない事実

第二原告らの主張の要旨

第三被告らの主張の要旨

第四判断

第五章原告らの健康障害と有機水銀との関係及び原告らの損害

第一原告らの健康障害と有機水銀との関係について

第二原告らの損害について

第六章結論

(別紙)図面九

(別紙)別表三~七

〔第五分冊〕

各原告ごとの当事者の主張の要旨等(逆綴じ)

〔第六分冊〕

各原告ごとの当裁判所の認定(逆綴じ)

当事者、訴訟代理人及び指定代理人の表示

別紙当事者目録及び別紙代理人目録記載のとおり

主文

一  被告チッソ株式会社は、被告国及び被告熊本県と連帯して、別紙認容金額一覧表①記載の原告らに対し、各原告に対応する同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成四年九月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告国は、被告チッソ株式会社と連帯して、別紙認容金額一覧表②記載の原告らに対し、各原告に対応する同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成四年九月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告熊本県は、被告チッソ株式会社と連帯して、別紙認容金額一覧表②記載の原告らに対し、各原告に対応する同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成四年九月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  別紙認容金額一覧表①記載の原告らの被告チッソ株式会社に対するその余の請求をいずれも棄却する。

五  別紙認容金額一覧表②記載の原告らの被告国、被告熊本県に対するその余の請求をいずれも棄却する。

六  別紙棄却原告一覧表記載の原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

七  訴訟費用の負担は次のとおりとする。

1  別紙認容金額一覧表①及び②記載の原告らと被告らとの間に生じた分は、これを二分し、その一を被告らの負担とし、その余を右原告らの負担とする。

2  別紙棄却原告一覧表記載の原告らと被告らとの間に生じた分は、全部右原告らの負担とする。

八  この判決は、別紙仮執行金額一覧表記載の各原告について、被告チッソ株式会社に対する関係では同表「被告チッソ」欄記載の各金額の限度において、被告国に対する関係では同表「被告国」欄記載の各金額の限度において、被告熊本県に対する関係では同表「被告熊本県」欄記載の各金額の限度において、それぞれ仮に執行することができる。但し、被告国が同表「被告国」欄記載の各金額の担保を供するときは、被告国は右仮執行を免れることができ、被告熊本県が同表「被告熊本県」欄記載の各金額の担保を供するときは、被告熊本県は右仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第一章請求

被告らは、別紙請求金額一覧表記載の原告らに対し、各自、各原告に対応する同表「請求金額」欄記載の各金員及びうち同表「内訳①」欄記載の各金員に対する昭和四九年一月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

当事者目録

(原告肩書の数字は原告番号を示す。)

一の一原告 (亡田上浩訴訟承継人)

田上ミス

外二四一名

被告 チッソ株式会社

右代表者代表取締役 野木貞雄

被告 国

右代表者法務大臣 後藤田正晴

被告 熊本県

右代表者知事 福島譲二

別紙代理人目録

(原告ら代理人)

原告ら訴訟代理人弁護士 千場茂勝

同 竹中敏彦

同 松本津紀雄

同 加藤修

同 村山光信

同 板井優

同 馬奈木昭雄

同 西清次郎

同 松野信夫

同 大村豊

同 三藤省三

同 安武敬輔

同 三角秀一

同 矢野博邦

同 坂本恭一

同 立山秀彦

同 小堀清直

同 蔵元淳

同 増田博

同 矢野競

同 樋高學

同 安田雄一

同 稲村晴夫

同 永尾廣久

同 角銅立身

同 副島次郎

同 岩城邦治

同 岩城和代

同 野林豊治

同 村井正昭

同 福地祐一

同 上田国広

同 諌山博

同 古原進

同 林健一郎

同 小泉幸雄

同 小島肇

同 井手豊継

同 内田省司

同 津田聰夫

同 林田賢一

同 椛島敏雅

同 宮原貞喜

同 高森浩

同 三浦久

同 安部千春

同 吉野英之

同 高木健康

同 前野宗俊

同 中尾晴一

同 田邊匡彦

同 住田定夫

同 配川壽好

同 臼井俊紀

同 塩塚節夫

同 横山茂樹

同 鍬田万喜雄

同 成見正毅

同 成見幸子

同 吉田孝美

同 岡村正淳

同 柴田圭一

同 西田收

同 安東正美

同 古田邦夫

同 豊田誠

同 久保田昭夫

同 村野信夫

同 鈴木堯博

同 須黒延住

同 大熊政一

同 有正二郎

同 徳住堅治

同 島田修一

同 清水恵一郎

同 鴨田哲朗

同 清水洋二

同 宮田学

同 宮本智

同 長谷川正浩

同 根本孔衛

同 杉井厳一

同 篠原義仁

同 児嶋子

同 村野光夫

同 畑谷嘉宏

同 岩村智文

同 高田新太郎

同 野上恭道

同 金井厚二

同 広田繁雄

同 石橋一晁

同 木村保男

同 細見茂

同 井上善雄

同 久保井一匡

同 福原哲晃

同 坂和章平

同 松井忠義

同 高田晃男

同 木村奉明

同 中村康彦

同 藤原猛爾

同 岡豪敏

同 山崎昌穂

同 上山勤

同 須田政勝

同 海川道郎

同 峯田勝次

同 早川光俊

同 平山正和

同 大江洋一

同 赤沢博之

同 春田健治

同 松丸正

同 津川博昭

同 佐伯雄三

同 深草徹

同 高橋敬

同 田中秀雄

同 高木輝雄

同 岩崎光記

同 石川康之

同 林光佑

同 山田幸彦

同 山田万里子

同 野呂汎

同 花田啓一

同 内河恵一

同 田口哲郎

同 川村正敏

同 木沢進

同 葦名元夫

同 黒田勇

同 山本直俊

同 梨木作次郎

同 菅野昭夫

同 加藤喜一

同 鳥毛美範

同 緒方俊平

同 石口俊一

同 阿左美信義

同 島方時夫

同 佐々木猛也

千場茂勝訴訟復代理人弁護士 坂東克彦

同 村上博

同 吉井秀広

同 塩田直司

同 藤田光代

同 園田昭人

同 原田信輔

同 中島晃

同 幸田雅弘

同 森德和

同 森俊宏

同 小林洋二

同 高橋謙一

同 三角恒

同 内川寛

同 斉藤義雄

同 尾崎俊之

同 江越和信

同 浦田秀徳

同 阿部哲二

同 小川芙美子

同 奥村惠一郎

同 三浦宏之

同 木内哲郎

同 中村博則

同 山下兼満

同 亀田徳一郎

同 保澤末良

同 宮原和利

同 上野英城

同 山下勝彦

同 井之脇寿一

同 永仮正弘

同 増田秀雄

同 松下良成

同 末永睦男

同 野間俊美

同 向和典

同 中原海雄

同 川村重春

加藤修訴訟復代理人弁護士 國宗直子

(被告チッソ株式会社代理人)

被告チッソ株式会社訴訟代理人弁護士 塚本安平

同 畔柳達雄

同 加嶋昭男

同 斎藤宏

同 松﨑隆

同 斎藤和雄

同 鈴木輝雄

同 樋口雄三

同 松原護

同 塚本侃

(被告国・熊本県代理人)

被告国・熊本県指定代理人 河村吉晃

外一四名

(被告国代理人)

被告国指定代理人 仁井正夫

外三〇名

(被告熊本県代理人)

被告熊本県指定代理人 魚住汎輝

外二一名

認容金額一覧表 ①

原告番号

氏名

慰藉料等

弁護士費用

認容金額

一の一

田上ミス

250万円

25万円

275万円

一の二

田上とし子

250万円

400万円

25万円

40万円

275万円

440万円

(合計金額)

650万円

65万円

715万円

掃本ミ子コ

500万円

50万円

550万円

五の一

脇宮盛義

266万6666円

26万6666円

293万3332円

五の二

金盛クニ子

266万6666円

26万6666円

293万3332円

五の三

谷山モリミ

266万6666円

26万6666円

293万3332円

蓑田實

500万円

50万円

550万円

七の一

黒川親麿

200万円

20万円

220万円

七の二

黒川敦之

200万円

20万円

220万円

七の三

黒川勝夫

200万円

20万円

220万円

八の一

諫山スミノ

350万円

35万円

385万円

八の二

諫山隆春

87万5000円

8万7500円

96万2500円

八の三

諫山晃一

87万5000円

8万7500円

96万2500円

八の四

諫山広行

87万5000円

8万7500円

96万2500円

八の五

諫山正行

87万5000円

8万7500円

96万2500円

西ムメヲ

800万円

80万円

880万円

一二

米盛有子

500万円

50万円

550万円

一四の一

濱田幸

125万円

12万5000円

137万5000円

一四の二

山内京子

125万円

12万5000円

137万5000円

一四の三

濱田修一

125万円

12万5000円

137万5000円

一四の四

村川絹代

125万円

12万5000円

137万5000円

一六の一

林田光義

166万6666円

16万6666円

183万3332円

一六の二

林田末満

166万6666円

16万6666円

183万3332円

一六の三

林田清満

166万6666円

16万6666円

183万3332円

一七

上村淑江

600万円

60万円

660万円

一八の一

上村マスヨ

100万円

10万円

110万円

一八の二

今林つよ子

100万円

10万円

110万円

一八の三

塩瀧代美子

100万円

10万円

110万円

一八の四

緒方久美子

100万円

10万円

110万円

一八の五

上村正雄

100万円

10万円

110万円

一九

津々木キミ子

500万円

50万円

550万円

二〇

奥山盛利

500万円

50万円

550万円

二一の一

前田光義

233万3333円

23万3333円

256万6666円

二一の二

大道宏晴

116万6666円

11万6666円

128万3332円

二一の三

大道陽子

116万6666円

11万6666円

128万3332円

二一の四

佐竹類子

77万7777円

7万7777円

85万5554円

二一の五

山田多恵子

77万7777円

7万7777円

85万5554円

二一の六

宮﨑國男

77万7777円

7万7777円

85万5554円

二二

林田太四郎

600万円

60万円

660万円

二三の一

岩﨑ハル

300万円

30万円

330万円

二三の二

村上トメヲ

20万円

2万円

22万円

二三の三

岩﨑恵子

5万円

5000円

5万5000円

二三の四

宮島久子

5万円

5000円

5万5000円

二三の五

緒方昭代

5万円

5000円

5万5000円

二三の六

岩﨑清

5万円

5000円

5万5000円

二三の七

岩﨑巧

6万6666円

6666円

7万3332円

二三の八

松元晶子

6万6666円

6666円

7万3332円

二三の九

原口房江

6万6666円

6666円

7万3332円

二三の一〇

平﨑タキノ

3万3333円

3333円

3万6666円

二三の一一

岩﨑剛切

3万3333円

3333円

3万6666円

二三の一二

岩﨑正治

3万3333円

3333円

3万6666円

二三の一三

岩﨑智子

3万3333円

3333円

3万6666円

二三の一四

岩﨑安

3万3333円

3333円

3万6666円

二三の一五

岩﨑安徳

3万3333円

3333円

3万6666円

二三の一六

田尻良子

10万円

1万円

11万円

二三の一七

田尻良文

10万円

1万円

11万円

二四

佐々木セツ子

800万円

80万円

880万円

二五

栁迫マスエ

400万円

40万円

440万円

二六

新立ユキ

400万円

40万円

440万円

二七

山下蔦一

600万円

60万円

660万円

二八

吉野マキ子

500万円

50万円

550万円

三〇

藪下盛義

600万円

60万円

660万円

三一

農嶋千年

400万円

40万円

440万円

三二の一

洲﨑嘉一郎

83万3333円

8万3333円

91万6666円

三二の二

橋口恵美子

20万8333円

2万0833円

22万9166円

三二の三

小﨑宗芳

20万8333円

2万0833円

22万9166円

三二の四

才荷ツヤ子

20万8333円

2万0833円

22万9166円

三二の五

小﨑善信

20万8333円

2万0833円

22万9166円

三二の六

洲﨑満潮

83万3333円

8万3333円

91万6666円

三二の七

石本ヒサ子

83万3333円

8万3333円

91万6666円

三二の八

作村玉枝

83万3333円

8万3333円

91万6666円

三二の九

高村ミツエ

83万3333円

8万3333円

91万6666円

三三

石村キク

500万円

50万円

550万円

三四

川添ミエ

400万円

40万円

440万円

三六

東シズカ

500万円

50万円

550万円

三七

宮﨑鉄藏

500万円

50万円

550万円

三八

大石長義

500万円

50万円

550万円

四〇

濱田傅一

400万円

40万円

440万円

四一の一

横山義男

400万円

40万円

440万円

四二の一

濱田タミ子

250万円

25万円

275万円

四二の二

濱田博司

83万3333円

8万3333円

91万6666円

四二の三

今田豊子

83万3333円

8万3333円

91万6666円

四二の四

濱田朗

83万3333円

8万3333円

91万6666円

四三

松永マチエ

500万円

50万円

550万円

四四

渕上マツエ

400万円

40万円

440万円

四五の一

浦上ユキエ

300万円

30万円

330万円

四五の二

嶋本ヒロ子

60万円

6万円

66万円

四五の三

浦上一義

60万円

6万円

66万円

四五の四

浦上義則

60万円

6万円

66万円

四五の五

島元眞由美

60万円

6万円

66万円

四五の六

浦上正則

60万円

6万円

66万円

四六の一

濱田キメノ

250万円

25万円

275万円

四七

400万円

40万円

440万円

(合計金額)

650万円

65万円

715万円

四六の二

濱田勲

41万6666円

4万1666円

45万8332円

四六の三

松尾千恵子

41万6666円

4万1666円

45万8332円

四六の四

濱田成昭

41万6666円

4万1666円

45万8332円

四六の五

山根チヅ子

41万6666円

4万1666円

45万8332円

四六の六

濱田敏

41万6666円

4万1666円

45万8332円

四六の七

橋本幸子

41万6666円

4万1666円

45万8332円

四八

浦上フミ子

400万円

40万円

440万円

四九

阪田壽一

500万円

50万円

550万円

五〇

平野ミカ

500万円

50万円

550万円

五一

高橋末人

500万円

50万円

550万円

五四

門宮フミ子

400万円

40万円

440万円

五五

隅本トミエ

400万円

40万円

440万円

五六

隅本彰一

400万円

40万円

440万円

五七

隅本輝男

400万円

40万円

440万円

五八

隅本エツ子

400万円

40万円

440万円

五九

林田萬里雄

500万円

50万円

550万円

六〇の一

岩本シヅ子

200万円

20万円

220万円

六〇の二

辻祐子

50万円

5万円

55万円

六〇の三

平松加代子

50万円

5万円

55万円

六〇の四

瀧本千鶴

50万円

5万円

55万円

六〇の五

岩本光晴

50万円

5万円

55万円

六一

宇治原照男

500万円

50万円

550万円

六二

福井藤吉

400万円

40万円

440万円

六三

嶋中ハマ

600万円

60万円

660万円

六四

嶋中ヤス

500万円

50万円

550万円

六五

嶋浦良夫

400万円

40万円

440万円

六七

川島テル

400万円

40万円

440万円

六八

鶴﨑ナツエ

600万円

60万円

660万円

六九の一

溝口シキエ

350万円

35万円

385万円

七〇

500万円

50万円

550万円

(合計金額)

850万円

85万円

935万円

六九の二

大木シヤ子

87万5000円

8万7500円

96万2500円

六九の三

溝口時人

87万5000円

8万7500円

96万2500円

六九の四

溝口ケイ子

87万5000円

8万7500円

96万2500円

六九の五

福田すえ子

87万5000円

8万7500円

96万2500円

七一

入江ミドリ

500万円

50万円

550万円

七二

藪内溜

400万円

40万円

440万円

七三

藪内ミツ子

400万円

40万円

440万円

七四

垣添サツキ

400万円

40万円

440万円

七六

川元ヨシエ

400万円

40万円

440万円

七八

山本正夫

400万円

40万円

440万円

七九

本田トキ

400万円

40万円

440万円

八二

田中トシ

400万円

40万円

440万円

八三の一

荒木貞子

200万円

20万円

220万円

八四

400万円

40万円

440万円

(合計金額)

600万円

60万円

660万円

八三の二

荒木英敏

33万3333円

3万3333円

36万6666円

八三の三

平野恒子

33万3333円

3万3333円

36万6666円

八三の四

荒木直美

33万3333円

3万3333円

36万6666円

八三の五

荒木敏朗

33万3333円

3万3333円

36万6666円

八三の六

山口知子

33万3333円

3万3333円

36万6666円

八三の七

鶴岡美香子

33万3333円

3万3333円

36万6666円

八五

山田清房

400万円

40万円

440万円

八六

山田和子

400万円

40万円

440万円

八七

西山一恵

400万円

40万円

440万円

八八の一

齊藤アキノ

200万円

20万円

220万円

八八の二

内田勝浩

14万2857円

1万4285円

15万7142円

八八の三

内田浩史

14万2857円

1万4285円

15万7142円

八八の四

齊藤維市郎

28万5714円

2万8571円

31万4285円

八八の五

内田嘉代子

28万5714円

2万8571円

31万4285円

八八の六

山下美志子

28万5714円

2万8571円

31万4285円

八八の七

齊藤伸之助

28万5714円

2万8571円

31万4285円

八八の八

齊藤泰司

28万5714円

2万8571円

31万4285円

八八の九

齊藤雄也

28万5714円

2万8571円

31万4285円

八九の一

村下定明

100万円

10万円

110万円

八九の二

前田三十江

100万円

10万円

110万円

八九の三

窪田十千代

100万円

10万円

110万円

八九の四

村下道徳

100万円

10万円

110万円

九〇

濱付庄作

500万円

50万円

550万円

九一

濱付トキエ

400万円

40万円

440万円

九二

中村ハツキ

500万円

50万円

550万円

九三

濱田俊行

500万円

50万円

550万円

九四

濱田マサエ

800万円

80万円

880万円

九五

宮脇タチ子

500万円

50万円

550万円

九六

脇田キミ子

600万円

60万円

660万円

九七

濱畑ナルミ

400万円

40万円

440万円

九八

濱崎タカノ

600万円

60万円

660万円

九九

福崎直明

400万円

40万円

440万円

一〇〇

荒木アサヨ

600万円

60万円

660万円

一〇一

竹部ミツヨ

500万円

50万円

550万円

一〇二

浦中菊枝

400万円

40万円

440万円

一〇四

平岡義雄

400万円

40万円

440万円

一〇五

平岡ツルエ

500万円

50万円

550万円

一〇六

藤門光俊

600万円

60万円

660万円

一〇七

吉永マサエ

400万円

40万円

440万円

一〇八

畑﨑レイ

400万円

40万円

440万円

一〇九

村上コヅエ

400万円

40万円

440万円

一一〇

竹部コズエ

500万円

50万円

550万円

一一一

畑﨑徳市

400万円

40万円

440万円

一一二

村吉マサ子

400万円

40万円

440万円

一一三

神田エカ

500万円

50万円

550万円

一一四

荒木ハナヨ

400万円

40万円

440万円

一一五

宮脇シノエ

500万円

50万円

550万円

一一六

荒木秋雄

400万円

40万円

440万円

一一八

佐々木ミサコ

500万円

50万円

550万円

一二〇の一

荒木いつ子

500万円

50万円

550万円

一二一

濱田スギ子

400万円

40万円

440万円

一二二の一

濱田幸一

66万6666円

6万6666円

73万3332円

一二三の一

44万4444円

4万4444円

48万8888円

(合計金額)

111万1110円

11万1110円

122万2220円

一二二の二

濱田清

66万6666円

6万6666円

73万3332円

一二三の二

44万4444円

4万4444円

48万8888円

(合計金額)

111万1110円

11万1110円

122万2220円

一二二の三

濱田静二

66万6666円

6万6666円

73万3332円

一二三の三

44万4444円

4万4444円

48万8888円

(合計金額)

111万1110円

11万1110円

122万2220円

一二二の四

森幸子

66万6666円

6万6666円

73万3332円

一二三の四

44万4444円

4万4444円

48万8888円

(合計金額)

111万1110円

11万1110円

122万2220円

一二二の五

濱田和憲

66万6666円

6万6666円

73万3332円

一二三の五

44万4444円

4万4444円

48万8888円

(合計金額)

111万1110円

11万1110円

122万2220円

一二二の六

田清子

66万6666円

6万6666円

73万3332円

一二三の六

44万4444円

4万4444円

48万8888円

(合計金額)

111万1110円

11万1110円

122万2220円

一二二の七

濱田照昭

66万6666円

6万6666円

73万3332円

一二三の七

44万4444円

4万4444円

48万8888円

(合計金額)

111万1110円

11万1110円

122万2220円

一二二の八

濱田義隆

66万6666円

6万6666円

73万3332円

一二三の八

44万4444円

4万4444円

48万8888円

(合計金額)

111万1110円

11万1110円

122万2220円

一二二の九

濱田精一

33万3333円

3万3333円

36万6666円

一二三の九

22万2222円

2万2222円

24万4444円

(合計金額)

55万5555円

5万5555円

61万1110円

一二二の一〇

濱田博彰

8万3333円

8333円

9万1666円

一二三の一〇

5万5555円

5555円

6万1110円

(合計金額)

13万8888円

1万3888円

15万2776円

一二二の一一

濱田敏彰

8万3333円

8333円

9万1666円

一二三の一一

5万5555円

5555円

6万1110円

(合計金額)

13万8888円

1万3888円

15万2776円

一二二の一二

竹下久美子

8万3333円

8333円

9万1666円

一二三の一二

5万5555円

5555円

6万1110円

(合計金額)

13万8888円

1万3888円

15万2776円

一二二の一三

濱田康則

8万3333円

8333円

9万1666円

一二三の一三

5万5555円

5555円

6万1110円

(合計金額)

13万8888円

1万3888円

15万2776円

認容金額一覧表 ②

原告番号

氏名名

慰藉料等

弁護士費用

認容金額

一の一

田上ミス

25万円

2万5000円

27万5000円

一の二

田上とし子

25万円

2万5000円

27万5000円

40万円

4万円

44万円

(合計金額)

65万円

6万5000円

71万5000円

掃本ミ子コ

50万円

5万円

55万円

五の一

脇宮盛義

26万6666円

2万6666円

29万3332円

五の二

金盛クニ子

26万6666円

2万6666円

29万3332円

五の三

谷山モリミ

26万6666円

2万6666円

29万3332円

蓑田實

50万円

5万円

55万円

七の一

黒川親麿

20万円

2万円

22万円

七の二

黒川敦之

20万円

2万円

22万円

七の三

黒川勝夫

20万円

2万円

22万円

八の一

諫山スミノ

35万円

3万5000円

38万5000円

八の二

諫山隆春

8万7500円

8750円

9万6250円

八の三

諫山晃一

8万7500円

8750円

9万6250円

八の四

諫山広行

8万7500円

8750円

9万6250円

八の五

諫山正行

8万7500円

8750円

9万6250円

西ムメヲ

80万円

8万円

88万円

一二

米盛有子

50万円

5万円

55万円

一四の一

濱田幸

12万5000円

1万2500円

13万7500円

一四の二

山内京子

12万5000円

1万2500円

13万7500円

一四の三

濱田修一

12万5000円

1万2500円

13万7500円

一四の四

村川絹代

12万5000円

1万2500円

13万7500円

一六の一

林田光義

16万6666円

1万6666円

18万3332円

一六の二

林田末満

16万6666円

1万6666円

18万3332円

一六の三

林田清満

16万6666円

1万6666円

18万3332円

一七

上村淑江

60万円

6万円

66万円

一八の一

上村マスヨ

10万円

1万円

11万円

一八の二

今林つよ子

10万円

1万円

11万円

一八の三

塩瀧代美子

10万円

1万円

11万円

一八の四

緒方久美子

10万円

1万円

11万円

一八の五

上村正雄

10万円

1万円

11万円

一九

津々木キミ子

50万円

5万円

55万円

二〇

奥山盛利

50万円

5万円

55万円

二一の一

前田光義

23万3333円

2万3333円

25万6666円

二一の二

大道宏晴

11万6666円

1万1666円

12万8332円

二一の三

大道陽子

11万6666円

1万1666円

12万8332円

二一の四

佐竹類子

7万7777円

7777円

8万5554円

二一の五

山田多恵子

7万7777円

7777円

8万5554円

二一の六

宮﨑國男

7万7777円

7777円

8万5554円

二二

林田太四郎

60万円

6万円

66万円

二三の一

岩﨑ハル

30万円

3万円

33万円

二三の二

村上トメヲ

2万円

2000円

2万2000円

二三の三

岩﨑恵子

5000円

500円

5500円

二三の四

宮島久子

5000円

500円

5500円

二三の五

緒方昭代

5000円

500円

5500円

二三の六

岩﨑清

5000円

500円

5500円

二三の七

岩﨑巧

6666円

666円

7332円

二三の八

松元晶子

6666円

666円

7332円

二三の九

原口房江

6666円

666円

7332円

二三の一〇

平﨑タキノ

3333円

333円

3666円

二三の一一

岩﨑剛切

3333円

333円

3666円

二三の一二

岩﨑正治

3333円

333円

3666円

二三の一三

岩﨑智子

3333円

333円

3666円

二三の一四

岩﨑安

3333円

333円

3666円

二三の一五

岩﨑安徳

3333円

333円

3666円

二三の一六

田尻良子

1万円

1000円

1万1000円

二三の一七

田尻良文

1万円

1000円

1万1000円

二四

佐々木セツ子

80万円

8万円

88万円

二五

栁迫マスエ

40万円

4万円

44万円

二六

新立ユキ

40万円

4万円

44万円

二七

山下蔦一

60万円

6万円

66万円

二八

吉野マキ子

50万円

5万円

55万円

三〇

藪下盛義

60万円

6万円

66万円

三一

農嶋千年

40万円

4万円

44万円

三二の一

洲﨑嘉一郎

8万3333円

8333円

9万1666円

三二の二

橋口恵美子

2万0833円

2083円

2万2916円

三二の三

小﨑宗芳

2万0833円

2083円

2万2916円

三二の四

才荷ツヤ子

2万0833円

2083円

2万2916円

三二の五

小﨑善信

2万0833円

2083円

2万2916円

三二の六

洲﨑満潮

8万3333円

8333円

9万1666円

三二の七

石本ヒサ子

8万3333円

8333円

9万1666円

三二の八

作村玉枝

8万3333円

8333円

9万1666円

三二の九

高村ミツエ

8万3333円

8333円

9万1666円

三三

石村キク

50万円

5万円

55万円

原告番号

氏名

慰藉料等

弁護士費用

認容金額

三四

川添ミエ

40万円

4万円

44万円

三六

東シズカ

50万円

5万円

55万円

三七

宮﨑鉄蔵

50万円

5万円

55万円

三八

大石長義

50万円

5万円

55万円

四〇

濱田傅一

40万円

4万円

44万円

四一の一

横山義男

40万円

4万円

44万円

四二の一

濱田タミ子

25万円

2万5000円

27万5000円

四二の二

濱田博司

8万3333円

8333円

9万1666円

四二の三

今田豊子

8万3333円

8333円

9万1666円

四二の四

濱田朗

8万3333円

8333円

9万1666円

四三

松永マチエ

50万円

5万円

55万円

四四

渕上マツエ

40万円

4万円

44万円

四五の一

浦上ユキエ

30万円

3万円

33万円

四五の二

嶋本ヒロ子

6万円

6000円

6万6000円

四五の三

浦上一義

6万円

6000円

6万6000円

四五の四

浦上義則

6万円

6000円

6万6000円

四五の五

島元眞由美

6万円

6000円

6万6000円

四五の六

浦上正則

6万円

6000円

6万6000円

四六の一

濱田キメノ

25万円

2万5000円

27万5000円

四七

40万円

4万円

44万円

(合計金額)

65万円

6万5000円

71万5000円

四六の二

濱田勲

4万1666円

4166円

4万5832円

四六の三

松尾千恵子

4万1666円

4166円

4万5832円

四六の四

濱田成昭

4万1666円

4166円

4万5832円

四六の五

山根チヅ子

4万1666円

4166円

4万5832円

四六の六

濱田敏

4万1666円

4166円

4万5832円

四六の七

橋本幸子

4万1666円

4166円

4万5832円

四八

浦上フミ子

40万円

4万円

44万円

四九

阪田壽一

50万円

5万円

55万円

五〇

平野ミカ

50万円

5万円

55万円

五一

高橋末人

50万円

5万円

55万円

五四

門宮フミ子

40万円

4万円

44万円

五五

隅本トミエ

40万円

4万円

44万円

五六

隅本彰一

40万円

4万円

44万円

五七

隅本輝男

40万円

4万円

44万円

五八

隅本エツ子

40万円

4万円

44万円

五九

林田萬里雄

50万円

5万円

55万円

六〇の一

岩本シヅ子

20万円

2万円

22万円

六〇の二

辻祐子

5万円

5000円

5万5000円

六〇の三

平松加代子

5万円

5000円

5万5000円

六〇の四

瀧本千鶴

5万円

5000円

5万5000円

六〇の五

岩本光晴

5万円

万5000円

5万5000円

六一

宇治原照男

50万円

5万円

55万円

六二

福井藤吉

40万円

4万円

44万円

六三

嶋中ハマ

60万円

6万円

66万円

六四

嶋中ヤス

50万円

5万円

55万円

六五

嶋浦良夫

40万円

4万円

44万円

六七

川島テル

40万円

4万円

44万円

六八

鶴﨑ナツエ

60万円

6万円

66万円

六九の一

溝口シキエ

35万円

3万5000円

38万5000円

七〇

50万円

5万円

55万円

(合計金額)

85万円

8万5000円

93万5000円

六九の二

大木シヤ子

8万7500円

8750円

9万6250円

六九の三

溝口時人

8万7500円

8750円

9万6250円

六九の四

溝口ケイ子

8万7500円

8750円

9万6250円

六九の五

福田すえ子

8万7500円

8750円

9万6250円

七一

入江ミドリ

50万円

5万円

55万円

七二

藪内溜

40万円

4万円

44万円

七三

藪内ミツ子

40万円

4万円

44万円

七四

垣添サツキ

40万円

4万円

44万円

七六

川元ヨシエ

40万円

4万円

44万円

七八

山本正夫

40万円

4万円

44万円

七九

本田トキ

40万円

4万円

44万円

八二

田中トシ

40万円

4万円

44万円

八三の一

荒木貞子

20万円

2万円

22万円

八四

40万円

4万円

44万円

(合計金額)

60万円

6万円

66万円

八三の二

荒木英敏

3万3333円

3333円

3万6666円

八三の三

平野恒子

3万3333円

3333円

3万6666円

八三の四

荒木直美

3万3333円

3333円

3万6666円

八三の五

荒木敏朗

3万3333円

3333円

3万6666円

八三の六

山口知子

3万3333円

3333円

3万6666円

八三の七

鶴岡美香子

3万3333円

3333円

3万6666円

八五

山田清房

40万円

4万

44万円

八六

山田和子

40万円

4万

44万円

八七

西山一恵

40万円

4万

44万円

八八の一

齊藤アキノ

20万円

2万

22万円

八八の二

内田勝浩

1万4285円

1428円

1万5713円

八八の三

内田浩史

1万4285円

1428円

1万5713円

八八の四

齊藤維市郎

2万8571円

2857円

3万1428円

八八の五

内田嘉代子

2万8571円

2857円

3万1428円

八八の六

山下美志子

2万8571円

2857円

3万1428円

八八の七

齊藤伸之助

2万8571円

2857円

3万1428円

八八の八

齊藤泰司

2万8571円

2857円

3万1428円

八八の九

齊藤雄也

2万8571円

2857円

3万1428円

八九の一

村下定明

10万円

1万円

11万円

八九の二

前田三十江

10万円

1万円

11万円

八九の三

窪田十千代

10万円

1万円

11万円

八九の四

村下道徳

10万円

1万円

11万円

九〇

濱付庄作

50万円

5万円

55万円

九一

濱付トキエ

40万円

4万円

44万円

九二

中村ハツキ

50万円

5万円

55万円

九三

濱田俊行

50万円

5万円

55万円

九四

濱田マサエ

80万円

8万円

88万円

九五

宮脇タチ子

50万円

5万円

55万円

九六

脇田キミ子

60万円

6万円

66万円

九七

濱畑ナルミ

40万円

4万円

44万円

九八

濱崎タカノ

60万円

6万円

66万円

九九

福﨑直明

40万円

4万円

44万円

一〇〇

荒木アサヨ

60万円

6万円

66万円

一〇一

竹部ミツヨ

50万円

5万円

55万円

一〇二

浦中菊枝

40万円

4万円

44万円

一〇四

平岡義雄

40万円

4万円

44万円

一〇五

平岡ツルエ

50万円

5万円

55万円

一〇六

藤門光俊

60万円

6万円

66万円

一〇七

吉永マサエ

40万円

4万円

44万円

一〇八

畑﨑レイ

40万円

4万円

44万円

一〇九

村上コヅエ

40万円

4万円

44万円

一一〇

竹部コズエ

50万円

5万円

55万円

一一一

畑﨑徳市

40万円

4万円

44万円

一一二

村吉マサ子

40万円

4万円

44万円

一一三

神田エカ

50万円

5万円

55万円

一一四

荒木ハナヨ

40万円

4万円

44万円

一一五

宮脇シノエ

50万円

5万円

55万円

一一六

荒木秋雄

40万円

4万円

44万円

一一八

佐々木ミサコ

50万円

5万円

55万円

一二〇の一

荒木いつ子

50万円

5万円

55万円

一二一

濱田スギ子

40万円

4万円

44万円

一二二の一

濱田幸一

6万6666円

6666円

7万3332円

一二三の一

4万4444円

4444円

4万8888円

(合計金額)

11万1110円

1万1110円

12万2220円

一二二の二

濱田清

6万6666円

6666円

7万3332円

一二三の二

4万4444円

4444円

4万8888円

(合計金額)

11万1110円

1万1110円

12万2220円

一二二の三

濱田静二

6万6666円

6666円

7万3332円

一二三の三

4万4444円

4444円

4万8888円

(合計金額)

11万1110円

1万1110円

12万2220円

一二二の四

森幸子

6万6666円

6666円

7万3332円

一二三の四

4万4444円

4444円

4万8888円

(合計金額)

11万1110円

1万1110円

12万2220円

一二二の五

濱田和憲

6万6666円

6666円

7万3332円

一二三の五

4万4444円

4444円

4万8888円

(合計金額)

11万1110円

1万1110円

12万2220円

一二二の六

田清子

6万6666円

6666円

7万3332円

一二三の六

4万4444円

4444円

4万8888円

(合計金額)

11万1110円

1万1110円

12万2220円

一二二の七

濱田照昭

6万6666円

6666円

7万3332円

一二三の七

4万4444円

4444円

4万8888円

(合計金額)

11万1110円

1万1110円

12万2220円

一二二の八

濱田義隆

6万6666円

6666円

7万3332円

一二三の八

4万4444円

4444円

4万8888円

(合計金額)

11万1110円

1万1110円

12万2220円

一二二の九

濱田精一

3万3333円

3333円

3万6666円

一二三の九

2万2222円

2222円

2万4444円

(合計金額)

5万5555円

5555円

6万1110円

一二二の一〇

濱田博彰

8333円

833円

9166円

一二三の一〇

5555円

555円

6110円

(合計金額)

1万3888円

1388円

1万5276円

一二二の一一

濱田敏彰

8333円

833円

9166円

一二三の一一

5555円

555円

6110円

(合計金額)

1万3888円

1388円

1万5276円

一二二の一二

竹下久美子

8333円

833円

9166円

一二三の一二

5555円

555円

6110円

(合計金額)

1万3888円

1388円

1万5276円

一二二の一三

濱田康則

8333円

833円

9166円

一二三の一三

5555円

555円

6110円

(合計金額)

1万3888円

1388円

1万5276円

仮執行金額一覧表

原告番号

氏名

被告チッソ

被告国

被告熊本県

一の一

田上ミス

100万円

27万円

27万円

一の二三

田上とし子

100万円

27万円

27万円

200万円

44万円

44万円

(合計金額)

300万円

71万円

71万円

掃本ミ子コ

200万円

55万円

55万円

五の一

脇宮盛義

67万円

29万円

29万円

五の二

金盛クニ子

67万円

29万円

29万円

五の三

谷山モリミ

67万円

29万円

29万円

蓑田實

200万円

55万円

55万円

七の一

黒川親麿

67万円

22万円

22万円

七の二

黒川敦之

67万円

22万円

22万円

七の三

黒川勝夫

67万円

22万円

22万円

八の一

諫山スミノ

100万円

38万円

38万円

八の二

諫山隆春

25万円

9万円

9万円

八の三

諫山晃一

25万円

9万円

9万円

八の四

諫山広行

25万円

9万円

9万円

八の五

諫山正行

25万円

9万円

9万円

西ムメヲ

200万円

88万円

88万円

一二

米盛有子

200万円

55万円

55万円

一四の一

濱田幸

50万円

13万円

13万円

一四の二

山内京子

50万円

13万円

13万円

一四の三

濱田修一

50万円

13万円

13万円

一四の四

村川絹代

50万円

13万円

13万円

一六の一

林田光義

67万円

18万円

18万円

一六の二

林田末満

67万円

18万円

18万円

一六の三

林田清満

67万円

18万円

18万円

一七

上村淑江

200万円

66万円

66万円

一八の一

上村マスヨ

40万円

11万円

11万円

一八の二

今林つよ子

40万円

11万円

11万円

一八の三

塩瀧代美子

40万円

11万円

11万円

一八の四

緒方久美子

40万円

11万円

11万円

一八の五

上村正雄

40万円

11万円

11万円

一九

津々木キミ子

200万円

55万円

55万円

二〇

奥山盛利

200万円

55万円

55万円

二一の一

前田光義

67万円

25万円

25万円

二一の二

大道宏晴

34万円

12万円

12万円

二一の三

大道陽子

34万円

12万円

12万円

二一の四

佐竹類子

23万円

8万円

8万円

二一の五

山田多恵子

23万円

8万円

8万円

二一の六

宮﨑國男

23万円

8万円

8万円

二二

林田太四郎

200万円

66万円

66万円

二三の一

岩﨑ハル

150万円

33万円

33万円

二三の二

村上トメヲ

10万円

2万円

2万円

二三の三

岩﨑恵子

3万円

5000円

5000円

二三の四

宮島久子

3万円

5000円

5000円

二三の五

緒方昭代

3万円

5000円

5000円

二三の六

岩﨑清

3万円

5000円

5000円

二三の七

岩﨑巧

4万円

7000円

7000円

二三の八

松元晶子

4万円

7000円

7000円

二三の九

原口房江

4万円

7000円

7000円

二三の一〇

平﨑タキノ

2万円

3000円

3000円

二三の一一

岩﨑剛切

2万円

3000円

3000円

二三の一二

岩﨑正治

2万円

3000円

3000円

二三の一三

岩﨑智子

2万円

3000円

3000円

二三の一四

岩﨑安

2万円

3000円

3000円

二三の一五

岩﨑安徳

2万円

3000円

3000円

二三の一六

田尻良子

5万円

1万円

1万円

二三の一七

田尻良文

5万円

1万円

1万円

二四

佐々木セツ子

200万円

88万円

88万円

二五

栁迫マスエ

200万円

44万円

44万円

二六

新立ユキ

200万円

44万円

44万円

二七

山下蔦一

200万円

66万円

66万円

二八

吉野マキ子

200万円

55万円

55万円

三〇

藪下盛義

200万円

66万円

66万円

三一

農嶋千年

200万円

44万円

44万円

三二の一

洲﨑嘉一郎

34万円

9万円

9万円

三二の二

橋口恵美子

9万円

2万円

2万円

三二の三

小﨑宗芳

9万円

2万円

2万円

三二の四

才荷ツヤ子

9万円

2万円

2万円

三二の五

小﨑善信

9万円

2万円

2万円

三二の六

洲﨑満潮

34万円

9万円

9万円

三二の七

石本ヒサ子

34万円

9万円

9万円

三二の八

作村玉枝

34万円

9万円

9万円

三二の九

高村ミツエ

34万円

9万円

9万円

三三

石村キク

200万円

55万円

55万円

三四

川添ミエ

200万円

44万円

44万円

三六

東シズカ

200万円

55万円

55万円

三七

宮﨑鉄蔵

200万円

55万円

55万円

三八

大石長義

200万円

55万円

55万円

四〇

濱田傅一

200万円

44万円

44万円

四一の一

横山義男

200万円

44万円

44万円

四二の一

濱田タミ子

100万円

27万円

27万円

四二の二

濱田博司

34万円

9万円

9万円

四二の三

今田豊子

34万円

9万円

9万円

四二の四

濱田朗

34万円

9万円

9万円

四三

松永マチエ

200万円

55万円

55万円

四四

渕上マツエ

200万円

44万円

44万円

四五の一

浦上ユキエ

100万円

33万円

33万円

四五の二

嶋本ヒロ子

20万円

6万円

6万円

四五の三

浦上一義

20万円

6万円

6万円

四五の四

浦上義則

20万円

6万円

6万円

四五の五

島元眞由美

20万円

6万円

6万円

四五の六

浦上正則

20万円

6万円

6万円

四六の一四七

濱田キメノ

100万円

27万円

27万円

200万円

44万円

44万円

(合計金額)

300万円

71万円

71万円

四六の二

濱田勲

17万円

4万円

4万円

四六の三

松尾千恵子

17万円

4万円

4万円

四六の四

濱田成昭

17万円

4万円

4万円

四六の五

山根チヅ子

17万円

4万円

4万円

四六の六

濱田敏

17万円

4万円

4万円

四六の七

橋本幸子

17万円

4万円

4万円

四八

浦上フミ子

200万円

44万円

44万円

四九

阪田壽一

200万円

55万円

55万円

五〇

平野ミカ

200万円

55万円

55万円

五一

高橋末人

200万円

55万円

55万円

五四

門宮フミ子

200万円

44万円

44万円

五五

隅本トミエ

200万円

44万円

44万円

五六

隅本彰一

200万円

44万円

44万円

五七

隅本輝男

200万円

44万円

44万円

五八

隅本エツ子

200万円

44万円

44万円

五九

林田萬里雄

200万円

55万円

55万円

六〇の一

岩本シヅ子

100万円

22万円

22万円

六〇の二

辻祐子

25万円

5万円

5万円

六〇の三

平松加代子

25万円

5万円

5万円

六〇の四

瀧本千鶴

25万円

5万円

5万円

六〇の五

岩本光晴

25万円

5万円

5万円

六一

宇治原照男

200万円

55万円

55万円

六二

福井藤吉

200万円

44万円

44万円

六三

嶋中ハマ

200万円

66万円

66万円

六四

嶋中ヤス

200万円

55万円

55万円

六五

嶋浦良夫

200万円

44万円

44万円

六七

川島テル

200万円

44万円

44万円

六八

鶴﨑ナツエ

200万円

66万円

66万円

六九の一七〇

溝口シキエ

100万円

38万円

38万円

200万円

55万円

55万円

(合計金額)

300万円

93万円

93万円

六九の二

大木シヤ子

25万円

9万円

9万円

六九の三

溝口時人

25万円

9万円

9万円

六九の四

溝口ケイ子

25万円

9万円

9万円

六九の五

福田すえ子

25万円

9万円

9万円

七一

入江ミドリ

200万円

55万円

55万円

七二

藪内溜

200万円

44万円

44万円

七三

藪内ミツ子

200万円

44万円

44万円

七四

垣添サツキ

200万円

44万円

44万円

七六

川元ヨシエ

200万円

44万円

44万円

七八

山本正夫

200万円

44万円

44万円

七九

本田トキ

200万円

44万円

44万円

八二

田中トシ

200万円

44万円

44万円

八三の一八四

荒木貞子

100万円

22万円

22万円

200万円

44万円

44万円

(合計金額)

300万円

66万円

66万円

八三の二

荒木英敏

17万円

3万円

3万円

八三の三

平野恒子

17万円

3万円

3万円

八三の四

荒木直美

17万円

3万円

3万円

八三の五

荒木敏朗

17万円

3万円

3万円

八三の六

山口知子

17万円

3万円

3万円

八三の七

鶴岡美香子

17万円

3万円

3万円

八五

山田清房

200万円

44万円

44万円

八六

山田和子

200万円

44万円

44万円

八七

西山一恵

200万円

44万円

44万円

八八の一

齊藤アキノ

100万円

22万円

22万円

八八の二

内田勝浩

8万円

1万円

1万円

八八の三

内田浩史

8万円

1万円

1万円

八八の四

齊藤維市郎

15万円

3万円

3万円

八八の五

内田嘉代子

15万円

3万円

3万円

八八の六

山下美志子

15万円

3万円

3万円

八八の七

齊藤伸之助

15万円

3万円

3万円

八八の八

齊藤泰司

15万円

3万円

3万円

八八の九

齊藤雄也

15万円

3万円

3万円

八九の一

村下定明

50万円

11万円

11万円

八九の二

前田三十江

50万円

11万円

11万円

八九の三

窪田十千代

50万円

11万円

11万円

八九の四

村下道徳

50万円

11万円

11万円

九〇

濱付庄作

200万円

55万円

55万円

九一

濱付トキエ

200万円

44万円

44万円

九二

中村ハツキ

200万円

55万円

55万円

九三

濱田俊行

200万円

55万円

55万円

九四

濱田マサエ

200万円

88万円

88万円

九五

宮脇タチ子

200万円

55万円

55万円

九六

脇田キミ子

200万円

66万円

66万円

九七

濱畑ナルミ

200万円

44万円

44万円

九八

濱﨑タカノ

200万円

66万円

66万円

九九

福﨑直明

200万円

44万円

44万円

一〇〇

荒木アサヨ

200万円

66万円

66万円

一〇一

竹部ミツヨ

200万円

55万円

55万円

一〇二

浦中菊枝

200万円

44万円

44万円

一〇四

平岡義雄

200万円

44万円

44万円

一〇五

平岡ツルエ

200万円

55万円

55万円

一〇六

藤門光俊

200万円

66万円

66万円

一〇七

吉永マサエ

200万円

44万円

44万円

一〇八

畑﨑レイ

200万円

44万円

44万円

一〇九

村上コヅエ

200万円

44万円

44万円

一一〇

竹部コズエ

200万円

55万円

55万円

一一一

畑﨑徳市

200万円

44万円

44万円

一一二

村吉マサ子

200万円

44万円

44万円

一一三

神田エカ

200万円

55万円

55万円

一一四

荒木ハナヨ

200万円

44万円

44万円

一一五

宮脇シノエ

200万円

55万円

55万円

一一六

荒木秋雄

200万円

44万円

44万円

一一八

佐々木ミサコ

200万円

55万円

55万円

一二〇の一

荒木いつ子

200万円

55万円

55万円

一二一

濱田スギ子

200万円

44万円

44万円

一二二の一

濱田幸一

23万円

7万円

7万円

一二三の一

23万円

4万円

4万円

(合計金額)

46万円

11万円

11万円

一二二の二

濱田清

23万円

7万円

7万円

一二三の二

23万円

4万円

4万円

(合計金額)

46万円

11万円

11万円

一二二の三

濱田静二

23万円

7万円

7万円

一二三の三

23万円

4万円

4万円

(合計金額)

46万円

11万円

11万円

一二二の四

森幸子

23万円

7万円

7万円

一二三の四

23万円

4万円

4万円

(合計金額)

46万円

11万円

11万円

一二二の五

濱田和憲

23万円

7万円

7万円

一二三の五

23万円

4万円

4万円

(合計金額)

46万円

11万円

11万円

一二二の六

田清子

23万円

7万円

7万円

一二三の六

23万円

4万円

4万円

(合計金額)

46万円

11万円

11万円

一二二の七

濱田照昭

23万円

7万円

7万円

一二三の七

23万円

4万円

4万円

(合計金額)

46万円

11万円

11万円

一二二の八

濱田義隆

23万円

7万円

7万円

一二三の八

23万円

4万円

4万円

(合計金額)

46万円

11万円

11万円

一二二の九

濱田精一

12万円

3万円

3万円

一二三の九

12万円

2万円

2万円

(合計金額)

24万円

5万円

5万円

一二二の一〇

濱田博彰

3万円

9000円

9000円

一二三の一〇

3万円

6000円

6000円

(合計金額)

6万円

1万5000円

1万5000円

一二二の一一

濱田敏彰

3万円

9000円

9000円

一二三の一一

3万円

6000円

6000円

(合計金額)

6万円

1万5000円

1万5000円

一二二の一二

竹下久美子

3万円

9000円

9000円

一二三の一二

3万円

6000円

6000円

(合計金額)

6万円

1万5000円

1万5000円

一二二の一三

濱田康則

3万円

9000円

9000円

一二三の一三

3万円

6000円

6000円

(合計金額)

6万円

1万5000円

1万5000円

請求金額一覧表

原告番号

氏名

請求金額

内訳①

弁護士費用

一の一

田上ミス

990万円

900万円

90万円

一の二

田上とし子

990万円

900万円

90万円

1980万円

1800万円

180万円

(合計金額)

2970万円

2700万円

270万円

掃本ミ子コ

1980万円

1800万円

180万円

五の一

脇宮盛義

660万円

600万円

60万円

五の二

金盛クニ子

660万円

600万円

60万円

五の三

谷山モリミ

660万円

600万円

60万円

蓑田實

1980万円

1800万円

180万円

七の一

黒川親麿

660万円

600万円

60万円

七の二

黒川敦之

660万円

600万円

60万円

七の三

黒川勝夫

660万円

600万円

60万円

八の一

諫山スミノ

990万円

900万円

90万円

八の二

諫山隆春

247万5000円

225万円

22万5000円

八の三

諫山晃一

247万5000円

225万円

22万5000円

八の四

諫山広行

247万5000円

225万円

22万5000円

八の五

諫山正行

247万5000円

225万円

22万5000円

西ムメヲ

1980万円

1800万円

180万円

一〇

岡本勢吾

1980万円

1800万円

180万円

一二

米盛有子

1980万円

1800万円

180万円

一四の一

濱田幸

495万円

450万円

45万円

一四の二

山内京子

495万円

450万円

45万円

一四の三

濱田修一

495万円

450万円

45万円

一四の四

村川絹代

495万円

450万円

45万円

一五

杉井京松

1980万円

1800万円

180万円

一六の一

林田光義

660万円

600万円

60万円

一六の二

林田末満

660万円

600万円

60万円

一六の三

林田清満

660万円

600万円

60万円

一七

上村淑江

1980万円

1800万円

180万円

一八の一

上村マスヨ

396万円

360万円

36万円

一八の二

今林つよ子

396万円

360万円

36万円

一八の三

塩瀧代美子

396万円

360万円

36万円

一八の四

緒方久美子

396万円

360万円

36万円

一八の五

上村正雄

396万円

360万円

36万円

一九

津々木キミ子

1980万円

1800万円

180万円

二〇

奥山盛利

1980万円

1800万円

180万円

二一の一

前田光義

660万円

600万円

60万円

二一の二

大道宏晴

330万円

300万円

30万円

二一の三

大道陽子

330万円

300万円

30万円

二一の四

佐竹類子

220万円

200万円

20万円

二一の五

山田多恵子

220万円

200万円

20万円

二一の六

宮﨑國男

220万円

200万円

20万円

二二

林田太四郎

1980万円

1800万円

180万円

二三の一

岩﨑ハル

1485万円

1350万円

135万円

二三の二

村上トメヲ

99万円

90万円

9万円

二三の三

岩﨑恵子

24万7700円

22万5000円

2万2500円

二三の四

宮島久子

24万7700円

22万5000円

2万2500円

二三の五

緒方昭代

24万7700円

22万5000円

2万2500円

二三の六

岩﨑清

24万7700円

22万5000円

2万2500円

二三の七

岩﨑巧

33万円

30万円

3万円

二三の八

松元晶子

33万円

30万円

3万円

二三の九

原口房江

33万円

30万円

3万円

二三の一〇

平﨑タキノ

16万5000円

15万円

1万5000円

二三の一一

岩﨑剛切

16万5000円

15万円

1万5000円

二三の一二

岩﨑正治

16万5000円

15万円

1万5000円

二三の一三

岩﨑智子

16万5000円

15万円

1万5000円

二三の一四

岩﨑安

16万5000円

15万円

1万5000円

二三の一五

岩﨑安徳

16万5000円

15万円

1万5000円

二三の一六

田尻良子

49万5000円

45万円

4万5000円

二三の一七

田尻良文

49万5000円

45万円

4万5000円

二四

佐々木セッ子

1980万円

1800万円

180万円

二五

栁迫マスエ

1980万円

1800万円

180万円

二六

新立ユキ

1980万円

1800万円

180万円

二七

山下蔦一

1980万円

1800万円

180万円

二八

吉野マキ子

1980万円

1800万円

180万円

二九の一

諫山三秋

990万円

900万円

90万円

二九の二

吉野美雪

165万円

150万円

15万円

二九の三

西川道子

165万円

150万円

15万円

二九の四

諫山洋

165万円

150万円

15万円

二九の五

諫山又男

165万円

150万円

15万円

二九の六

元村美代子

165万円

150万円

15万円

二九の七

諫山修作

165万円

150万円

15万円

三〇

藪下盛義

1980万円

1800万円

180万円

三一

農嶋千年

1980万円

1800万円

180万円

三二の一

洲﨑嘉一郎

330万円

300万円

30万円

三二の二

橋口恵美子

82万5000円

75万円

7万5000円

三二の三

小﨑宗芳

82万5000円

75万円

7万5000円

三二の四

才荷ツヤ子

82万5000円

75万円

7万5000円

三二の五

小﨑善信

82万5000円

75万円

7万5000円

三二の六

洲﨑満潮

330万円

300万円

30万円

三二の七

石本ヒサ子

330万円

300万円

30万円

三二の八

作村玉枝

330万円

300万円

30万円

三二の九

高村ミツエ

330万円

300万円

30万円

三三

石村キク

1980万円

1800万円

180万円

三四

川添ミエ

1980万円

1800万円

180万円

三五の一

坂﨑スマ子

990万円

900万円

90万円

三五の二

坂﨑二十四

198万円

180万円

18万円

三五の三

坂﨑国和

198万円

180万円

18万円

三五の四

坂﨑育子

198万円

180万円

18万円

三五の五

坂﨑昭弘

198万円

180万円

18万円

三五の六

坂﨑弘昭

198万円

180万円

18万円

三六

東シズカ

1980万円

1800万円

180万円

三七

宮﨑鉄藏

1980万円

1800万円

180万円

三八

大石長義

1980万円

1800万円

180万円

四〇

濱田傅一

1980万円

1800万円

180万円

四一の一

横山義男

1980万円

1800万円

180万円

四二の一

濱田タミ子

990万円

900万円

90万円

四二の二

濱田博司

330万円

300万円

30万円

四二の三

今田豊子

330万円

300万円

30万円

四二の四

濱田朗

330万円

300万円

30万円

四三

松永マチエ

1980万円

1800万円

180万円

四四

渕上マツエ

1980万円

1800万円

180万円

四五の一

浦上ユキエ

990万円

900万円

90万円

四五の二

嶋本ヒロ子

198万円

180万円

18万円

四五の三

浦上一義

198万円

180万円

18万円

四五の四

浦上義則

198万円

180万円

18万円

四五の五

島元眞由美

198万円

180万円

18万円

四五の六

浦上正則

198万円

180万円

18万円

四六の一

濱田キメノ

990万円

900万円

90万円

四七

1980万円

1800万円

180万円

(合計金額)

2970万円

2700万円

270万円

四六の二

濱田勲

165万円

150万円

15万円

四六の三

松尾千恵子

165万円

150万円

15万円

四六の四

濱田成昭

165万円

150万円

15万円

四六の五

山根チヅ子

165万円

150万円

15万円

四六の六

濱田敏

165万円

150万円

15万円

四六の七

橋本幸子

165万円

150万円

15万円

四八

浦上フミ子

1980万円

1800万円

180万円

四九

阪田壽一

1980万円

1800万円

180万円

五〇

平野ミカ

1980万円

1800万円

180万円

五一

高橋末人

1980万円

1800万円

180万円

五二の一

岩田ハル子

990万円

900万円

90万円

五二の二

岩田道夫

198万円

180万円

18万円

五二の三

岩田弘

198万円

180万円

18万円

五二の四

岩田隆雄

198万円

180万円

18万円

五二の五

岩田テイ子

198万円

180万円

18万円

五二の六

田上まち子

198万円

180万円

18万円

五三の一

米田三代

990万円

900万円

90万円

五三の二

竹本徳子

990万円

900万円

90万円

五四

門宮フミ子

1980万円

1800万円

180万円

五五

隅本トミエ

1980万円

1800万円

180万円

五六

隅本彰一

1980万円

1800万円

180万円

五七

隅本輝男

1980万円

1800万円

180万円

五八

隅本エツ子

1980万円

1800万円

180万円

五九

林田萬里雄

1980万円

1800万円

180万円

六〇の一

岩本シヅ子

990万円

900万円

90万円

六〇の二

辻祐子

247万5000円

225万円

22万5000円

六〇の三

平松加代子

247万5000円

225万円

22万5000円

六〇の四

瀧本千鶴

247万5000円

225万円

22万5000円

六〇の五

岩本光晴

247万5000円

225万円

22万5000円

六一

宇治原照男

1980万円

1800万円

180万円

六二

福井藤吉

1980万円

1800万円

180万円

六三

嶋中ハマ

1980万円

1800万円

180万円

六四

嶋中ヤス

1980万円

1800万円

180万円

六五

嶋浦良夫

1980万円

1800万円

180万円

六六の一

安田秀

990万円

900万円

90万円

六六の二

安田吉男

247万5000円

225万円

22万5000円

六六の三

安田弘光

247万5000円

225万円

22万5000円

六六の四

安田実

247万5000円

225万円

22万5000円

六六の五

松本ひとみ

247万5000円

225万円

22万5000円

六七

川島テル

1980万円

1800万円

180万円

六八

鶴﨑ナツエ

1980万円

1800万円

180万円

六九の一

溝口シキエ

990万円

900万円

90万円

七〇

1980万円

1800万円

180万円

(合計金額)

2970万円

2700万円

270万円

六九の二

大木シヤ子

247万5000円

225万円

22万5000円

六九の三

溝口時人

247万5000円

225万円

22万5000円

六九の四

溝口ケイ子

247万5000円

225万円

22万5000円

六九の五

福田すえ子

247万5000円

225万円

22万5000円

七一

入江ミドリ

1980万円

1800万円

180万円

七二

藪内溜

1980万円

1800万円

180万円

七三

蓄内ミツ子

1980万円

1800万円

180万円

七四

垣添サツキ

1980万円

1800万円

180万円

七五の一

山中フミコ

330万円

300万円

30万円

七五の二

川田キミコ

330万円

300万円

30万円

七五の三

楠本キミエ

330万円

300万円

30万円

七五の四

楠本金吉

330万円

300万円

30万円

七五の五

名尾スエ子

330万円

300万円

30万円

七五の六

楠本吉昭

330万円

300万円

30万円

七六

川元ヨシエ

1980万円

1800万円

180万円

七八

山本正夫

1980万円

1800万円

180万円

七九

本田トキ

1980万円

1800万円

180万円

八〇

牧育男

1980万円

1800万円

180万円

八一

牧フサエ

1980万円

1800万円

180万円

八二

田中トシ

1980万円

1800万円

180万円

八三の一

荒木貞子

990万円

900万円

90万円

八四

1980万円

1800万円

180万円

(合計金額)

2970万円

2700万円

270万円

八三の二

荒木英敏

165万円

150万円

15万円

八三の三

平野恒子

165万円

150万円

15万円

八三の四

荒木直美

165万円

150万円

15万円

八三の五

荒木敏朗

165万円

150万円

15万円

八三の六

山口知子

165万円

150万円

15万円

八三の七

鶴岡美香子

165万円

150万円

15万円

八五

山田清房

1980万円

1800万円

180万円

八六

山田和子

1980万円

1800万円

180万円

八七

西山一恵

1980万円

1800万円

180万円

八八の一

齊藤アキノ

990万円

900万円

90万円

八八の二

内田勝浩

70万7142円

64万2857円

6万4285円

八八の三

内田浩史

70万7142円

64万2857円

6万4285円

八八の四

齊藤維市郎

141万4285円

128万5714円

12万8571円

八八の五

内田嘉代子

141万4285円

128万5714円

12万8571円

八八の六

山下美志子

141万4285円

128万5714円

12万8571円

八八の七

齊藤伸之助

141万4285円

128万5714円

12万8571円

八八の八

齊藤泰司

141万4285円

128万5714円

12万8571円

八八の九

齊藤雄也

141万4285円

128万5714円

12万8571円

八九の一

村下定明

495万円

450万円

45万円

八九の二

前田三十江

495万円

450万円

45万円

八九の三

窪田十千代

495万円

450万円

45万円

八九の四

村下道徳

495万円

450万円

45万円

九〇

濱付庄作

1980万円

1800万円

180万円

九一

濱付トキエ

1980万円

1800万円

180万円

九二

中村ハツキ

1980万円

1800万円

180万円

九三

濱田俊行

1980万円

1800万円

180万円

九四

濱田マサエ

1980万円

1800万円

180万円

九五

宮脇タチ子

1980万円

1800万円

180万円

九六

脇田キミ子

1980万円

1800万円

180万円

九七

濱畑ナルミ

1980万円

1800万円

180万円

九八

濱﨑タカノ

1980万円

1800万円

180万円

九九

福﨑直明

1980万円

1800万円

180万円

一〇〇

荒木アサヨ

1980万円

1800万円

180万円

一〇一

竹部ミツヨ

1980万円

1800万円

180万円

一〇二

浦中菊枝

1980万円

1800万円

180万円

一〇三の一

平岡子之松

990万円

900万円

90万円

一〇三の二

平岡盛義

990万円

900万円

90万円

一〇四

平岡義雄

1980万円

1800万円

180万円

一〇五

平岡ツルエ

1980万円

1800万円

180万円

一〇六

藤門光俊

1980万円

1800万円

180万円

一〇七

吉永マサエ

1980万円

1800万円

180万円

一〇八

畑﨑レイ

1980万円

1800万円

180万円

一〇九

村上コヅエ

1980万円

1800万円

180万円

一一〇

竹部コズエ

1980万円

1800万円

180万円

一一一

畑﨑徳市

1980万円

1800万円

180万円

一一二

村吉マサ子

1980万円

1800万円

180万円

一一三

神田エカ

1980万円

1800万円

180万円

一一四

荒木ハナヨ

1980万円

1800万円

180万円

一一五

宮脇シノエ

1980万円

1800万円

180万円

一一六

荒木秋雄

1980万円

1800万円

180万円

一一七

井上キヨノ

1980万円

1800万円

180万円

一一八

佐々木ミサコ

1980万円

1800万円

180万円

一一九

木下フミヲ

1980万円

1800万円

180万円

一二〇の一

荒木いつ子

1980万円

1800万円

180万円

一二一

濱田スギ子

1980万円

1800万円

180万円

一二二の一

濱田幸一

220万円

200万円

20万円

一二三の一

220万円

200万円

20万円

(合計金額)

440万円

400万円

40万円

一二二の二

濱田清

220万円

200万円

20万円

一二三の二

220万円

200万円

20万円

(合計金額)

440万円

400万円

40万円

一二二の三

濱田静二

220万円

200万円

20万円

一二三の三

220万円

200万円

20万円

(合計金額)

440万円

400万円

40万円

一二二の四

森幸子

220万円

200万円

20万円

一二三の四

220万円

200万円

20万円

(合計金額)

440万円

400万円

40万円

一二二の五

濱田和憲

220万円

200万円

20万円

一二三の五

220万円

200万円

20万円

(合計金額)

440万円

400万円

40万円

一二二の六

田清子

220万円

200万円

20万円

一二三の六

220万円

200万円

20万円

(合計金額)

440万円

400万円

40万円

一二二の七

濱田照昭

220万円

200万円

20万円

一二三の七

220万円

200万円

20万円

(合計金額)

440万円

400万円

40万円

一二二の八

濱田義隆

220万円

200万円

20万円

一二三の八

220万円

200万円

20万円

(合計金額)

440万円

400万円

40万円

一二二の九

濱田精一

110万円

100万円

10万円

一二三の九

110万円

100万円

10万円

(合計金額)

220万円

200万円

20万円

一二二の一〇

濱田博彰

27万5000円

25万円

2万5000円

一二三の一〇

27万5000円

25万円

2万5000円

(合計金額)

55万円

50万円

5万円

一二二の一一

濱田敏彰

27万5000円

25万円

2万5000円

一二三の一一

27万5000円

25万円

2万5000円

(合計金額)

55万円

50万円

5万円

一二二の一二

竹下久美子

27万5000円

25万円

2万5000円

一二三の一二

27万5000円

25万円

2万5000円

(合計金額)

55万円

50万円

5万円

一二二の一三

濱田康則

27万5000円

25万円

2万5000円

一二三の一三

27万5000円

25万円

2万5000円

(合計金額)

55万円

50万円

5万円

別紙棄却原告一覧表

原告番号 氏名

一〇 岡本勢吾

一五 杉井京松

二九の一 諫山三秋

二九の二 吉野美雪

二九の三 西川道子

二九の四 諫山洋

二九の五 諫山又男

二九の六 元村美代子

二九の七 諫山修作

三五の一 坂﨑スマ子

三五の二 坂﨑二十四

三五の三 坂﨑國和

三五の四 坂﨑育子

三五の五 坂﨑昭弘

三五の六 坂﨑弘昭

五二の一 岩田ハル子

五二の二 岩田道夫

五二の三 岩田弘

五二の四 岩田隆雄

五二の五 岩田テイ子

五二の六 田上まち子

五三の一 米田三代

五三の二 竹本德子

六六の一 安田秀

六六の二 安田吉男

六六の三 安田弘光

六六の四 安田実

六六の五 松本ひとみ

七五の一 山中フミコ

七五の二 川田キミコ

七五の三 楠本キミエ

七五の四 楠本金吉

七五の五 名尾スエ子

七五の六 楠本吉昭

八〇 牧育男

八一 牧フサエ

一〇三の一 平岡子之松

一〇三の二 平岡盛義

一一七 井上キヨノ

一一九 木下フミヲ

第二章事案の概要

本件は、被告チッソ株式会社(旧商号新日本窒素肥料株式会社、以下「被告チッソ」という。)水俣工場(以下、「水俣工場」という。)から排出されたメチル水銀化合物を含む排水によって水俣病に罹患したと主張する原告らが、被告チッソに対し、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求するとともに、被告国・熊本県はあらゆる規制権限を発動して水俣病の発生拡大を防止すべき義務があったのにこれを怠ったとして、被告国・熊本県に対し、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求している事案である。

以下、第三章で水俣病の発生拡大についての被告らの帰責性の有無について、第四章で水俣病の病像について、第五章で各原告と有機水銀との関係の有無及び各原告の損害について順次検討する。

第三章責任

第一被告チッソの責任

水俣病は、水俣工場のアセトアルデヒド製造工程において副生されたメチル水銀化合物を含む工場排水が不知火海に放出されたことにより、魚介類の体内にメチル水銀が蓄積され、これを地域住民が多量に経口摂取することによって起る疾患であることについては当事者間に争いがなく、被告チッソに右放出行為について過失があることについては、被告チッソにおいて明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

第二被告国・熊本県の責任

一当事者間に争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実

1 昭和二九年八月までの経緯

(一) 被告チッソは、明治四一年にその前身が設立され、その後拡大発展してきたものであるが、水俣工場から排出される排水・貯蔵残滓等に伴う漁業補償問題が大正一四年ころから発生しており、昭和一八年一月一〇日には、被告チッソと水俣町漁業協同組合との間で、水俣工場から生じる汚悪水等を水俣町漁業協同組合が漁業権を有する海面に廃棄放流することに伴い、水俣町漁業協同組合が右漁業権を放棄し、被告チッソがその対価として補償金を支払うことを内容とする契約が締結され、以後水俣工場の排水等は水俣湾に流されていた(〈書証番号略〉)。

(二) 第二次大戦後、水俣百間港には、水俣工場から排出されたカーバイト残渣が堆積し、船舶の出入りにも支障を来していたため、被告熊本県は、昭和二四年度から百間港に堆積していたカーバイト残渣を浚渫し、浚渫物をもって海岸を埋立てる工事を実施し、同工事は昭和二八年に完成した(〈書証番号略〉)。

(三) 昭和二七年三月、被告チッソは、被告熊本県からの照会に対して、「工場廃水処理状況」と題する書面を熊本県経済部長あてに送付しているが、そのうちの「工場廃液処理状況に就て」と題する書面の製品名「醋酸」の欄の原材料名欄に「水銀」の記載がある(〈書証番号略〉)。

(四) 三好禮治の報告(〈書証番号略〉)

昭和二七年ころ、水俣市漁業協同組合(以下、「水俣漁協」という。)の組合長から「生簀の魚が死んだり、漁獲が不振であるので実情を調査して欲しい。」との要請がなされたことを受けて、当時の熊本県経済部水産課振興係長であった三好禮治(以下、「三好係長」という。)は、同年八月二七日、水俣工場及び水俣湾周辺の実地調査に赴いた。

三好係長は、右調査結果を復命書で「新日本窒素肥料株式会社水俣工場排水調査」と題して報告しているが、この中で、従来の被害として生簀の魚の斃死があったこと、現在の被害は、巾着網、ボラ囲刺網、大網、延縄等の操業が悪く、かつ漁獲が減少してきたことであること、現在の被害の原因として水俣工場が百間港に排出している一般排水の影響及び従前堆積したカーバイト残渣が考えられることを指摘し、更に、「考察」として、排水に対しては必要によっては分析し、成分を明確にしておくことが望ましい、漁民側の被害の実情についての資料が不備であるので、その程度及び範囲が見当できないが、尚、漁民側の資料に基づいて検討を加えたい、排水の直接被害の点と長年月に亘る累積被害を考慮する必要があるとの指摘をした。

(五) 昭和二九年七月三一日、水俣市茂道の住民が水俣市衛生課に対し、同年六月初めころから急に茂道部落の猫が狂い死にし始め、百余匹いた猫がほとんど全滅してしまい、ねずみが急増して被害が出ているとして、駆除を申入れた(〈書証番号略〉)。(六) 後日の調査によって、昭和二九年八月までに、合計二九名の水俣病患者がすでに発症していたことが明らかになった(〈書証番号略〉)。

2 昭和三二年九月までの経緯

(一) 昭和三一年五月一日、水俣保健所の伊藤蓮雄所長(以下、「伊藤所長」という。)は、水俣工場附属病院(以下、「チッソ附属病院」という。)小児科医師野田某から、原因不明の非常に重篤な症状を呈する患者が入院中であるとの報告を受け、患者が発生した水俣市月浦地区の調査を行った上で、同月七日ころ、熊本県衛生部長に対し、「水俣市字月浦附近に発生せる小児奇病について」と題する報告書を提出するとともに、患者家族が使用していた井戸の水の検査を熊本県衛生研究所に依頼したが、その検査結果に異常は認められなかった(〈書証番号略〉)。

(二) 水俣市奇病対策委員会の調査(〈書証番号略〉)

(1) 伊藤所長らが、更に患者家族や現地の住民から事情を聴取する等して患者の発生状況について調査を進めたところ、同様の症状を呈する患者が既に昭和二八年ころに発生し、また、現在もなお自宅で療養している患者がいることが判明し、しかも、患者は主として漁業従事者の家族から出ていることが明らかとなってきた。

このため、昭和三一年五月二八日、水俣市医師会会長、同副会長及び地元開業医を水俣保健所に招集して意見交換を行ったところ、患者の実数は相当数に上る模様であることが判明したため、水俣保健所、水俣市、水俣市医師会、水俣市立病院及びチッソ附属病院の五者によって、水俣市奇病対策委員会が組織され、患者の掘り起こし等に当たることになった。

(2) 水俣市奇病対策委員会は、その調査結果を昭和三二年一月に報告したが、それによると、同様の患者が恋路島内海湾に面した海岸地方を主として、昭和二八年一二月に一名発症したのを始めとして、昭和二九年中に一一名、昭和三〇年中に一〇名、昭和三一年中に三二名の合計五四名の患者が発症し、そのうち一七名が既に死亡していること、患者には漁業を職業とする者が圧倒的に多いこと、患者の発生した地域では猫が多数死亡していること等が報告された。

(三) 伊藤所長からの前記(一)の報告を受けた熊本県衛生部長は、昭和三一年八月三日、厚生省防疫課長に対して、原因不明の脳炎様患者が多発している旨電文で報告し、更に、同年九月八日、「水俣市における原因不明脳炎様疾患の発生について」と題する文書で同様の報告をなす一方、同年七月二六日、右疾患の調査研究を熊本大学学長に依頼し、熊本大学は、同年八月二四日、同大学医学部に水俣病医学研究班(以下、「熊大研究班」という。)を組織し、右疾患の原因究明のための調査研究を行うことになった(〈書証番号略〉)。

(四) 熊大研究班第一回研究報告会(〈書証番号略〉)

熊大研究班は、昭和三一年一一月三日、熊本大学医学部において、第一回目の研究報告会を開催し、その中で次のとおりの内容の中間報告がなされ、更に、同月二五日の水俣市奇病対策委員会においても同様の中間報告がなされた。

(1) 六反田藤吉教授(微生物学教室)

本病の症状及び発生状況より、本病を神経親和性ウイルスによる疾患と見ての研究と中毒特に神経親和性細菌毒素すなわちボツリムスと見ての研究とを重ねてきたが、両方向とも結論を導くに至っていない。

(2) 喜田村正次教授(公衆衛生学教室。以下、「喜田村教授」という。)

本疾患を病理組織学的所見並びに臨床所見より感染症であることを否定し、中毒症と考えることができるとするならば、その症状からまずマンガン中毒症を考慮する必要があると認め、現地飲料水、海水、土壤並びに剖検死体臓器、患者の屎尿中のマンガン含有量の分析を実施したが、現在までのところ何らマンガン中毒を肯定すべき事実は認められない。しかしながら本疾患の発生状況が季節的に消長を示す点より、現在の飲食物分析値をもってすべてを律することは妥当性を欠き、また、マンガンの体内吸収の点についても研究の余地があるので、尚マンガンに関する検索を継続中である。

(3) 入鹿山勝郎教授(衛生学教室。以下、「入鹿山教授」という。)

水俣奇病の原因は未だ不明であるが、この発生が漁夫に多いことから海産食品との関係が一応疑われる現段階である。海産物の特殊な汚染原因と考えられるものとしては新日窒工場廃水である。該工場廃水が本奇病発生と如何なる関係にあるか、現在のところ何の根拠もないが、既にこの廃水によって附近の海域が汚染され、海産物にも影響していることは当然考えられる。よって、該工場廃水による海域の汚染状況を調査・企画中である。

(五) 国立公衆衛生院における研究発表会(〈書証番号略〉)

昭和三二年一月二五、二六日の両日、国立公衆衛生院において、厚生省、国立予防衛生研究所、国立公衆衛生院、熊大研究班、熊本県、水俣市及びチッソ附属病院の各関係者による合同研究会が開かれた。その結果、現在までのところ、奇病はある種の重金属の中毒であり、金属としてはマンガンが最も疑われ、かつ、その中毒の媒介には魚介類が関係していると思われるとの一応の結論に達し、とりあえずの対策として、危険が解除されるまで魚介類を食べないこと、もし症状が現れたら早期に診断を受けることの二点に注意し、今後は国の研究機関、熊本大学医学部、熊本県衛生部、水俣市奇病対策委員会の四者間で極力、原因究明と対策にのり出すことが決められた。

(六) 熊大研究班第二回研究報告会(〈書証番号略〉)

昭和三二年二月二六日、熊本大学において、熊大研究班は、第二回研究報告会を開き、関係各教授より現在までの研究経過について報告が行われたが、前回同様で病原物質の決定に至らず、現在までに判明した事実に基づき如何なる対策を講ずるかについての討論がなされ、その結果少なくとも水俣湾内の漁獲を禁止する必要があるとされた。

(七) 被告熊本県の対応(〈書証番号略〉)

(1) (五)及び(六)の報告を受けて、熊本県衛生部は、法的に水俣湾内の漁獲を禁止する方法として、厚生省とも連絡をとって、水俣湾内の魚介類が食品衛生法(昭和四七年法律第一〇八号による改正前のもの。以下、単に「食品衛生法」という。)四条二号に該当する可能性があるとして同法に基づく規制が可能か否かの検討が開始された。

(2) そして、水俣奇病問題が社会問題化してきたことから、昭和三二年三月四日、被告熊本県は、副知事を中心に、衛生部、民生部、土木部及び経済部の職員による水俣奇病対策のための打ち合せ会を開催し、水俣奇病に対する対策が検討され、原因究明のための措置、患者の措置、家族対策、漁獲禁止のための措置、漁民救済のための措置等が決定されるとともに、副知事を長として、衛生部、民生部、土木部及び経済部の部長、次長並びに関係課長をもって組織する熊本県水俣奇病対策連絡会(以下、「水対連」という。)を設置することが決定された。なお、漁獲禁止問題については、「漁業法上ではできない。食品衛生法でも原因がはっきりしなければできないので、現段階では行政指導によって摂食しないように指導する。」旨決定されるとともに、浜松のあさり貝事件における静岡県の対策を調査することとした。また、水俣工場との関係については、現在のところ、原因については疑いはもてるが、関係は不明という立場でのぞむとされた。

(3) 被告熊本県は、右決定に基づき、水俣漁協に対して想定危険海域での操業を自主的に禁止するよう勧告するとともに、漁業転換事業を実施した。

(4) また、被告熊本県は、同年三月六日、貝中毒に関する措置について静岡県に照会した。同年四月三日、熊本県衛生部は、静岡県からの回答を受け取ったが、それによれば、浜名湖において、昭和一七年にアサリ中毒が、昭和一八年にカキ中毒が、昭和二四年にアサリ又はカキによる中毒が発生したこと、昭和二四年の事件については、食品衛生法四条二号により、県知事の告示がなされたことが回答されていた。

(八) 熊本県水産課内藤大介技師の報告(〈書証番号略〉)

熊本県水産課内藤大介技師は、昭和三二年三月六、七日の両日、水俣市百間港一帯における漁業被害の実態調査を行ったが、その結果について、「現在この一帯においては漁業皆無で、漁民は、この附近で魚介類をとることに恐怖を感じており、奇病発生が今後も予測されることと、経済的に行き詰っている現状から、その困窮状態は甚だしい。海岸一帯で顕著にみられることは、礁に付着しているかき、ふじつぼ等の脱落で、特に干潮線附近のものは死殼のみで、満潮線附近にわずか生貝をみとめられるが、……斃死前の状態にある。明神岬の内側、恋路島の東岸には、海藻類の付着がほとんどなく、明神岬の突端から西方にある七ツ瀬は、従来わかめが生育し年産三〇〇メ内外あったといわれているが、岩礁は灰泥に覆われ、海藻類はほとんど認められない。なお、海岸に斃死した小魚、しゃこの漂着が認められ、翼脚のきかないかいつぶりを一羽発見したが、二九年以来このような海況の変調は頻繁にあり、特に昨年奇病問題としてとり上げられる以前海岸に漂着した魚類をひろい食用に供した者は多いということである。」と報告した。

(九) 熊大研究班は、昭和三二年三月九日、「熊本県水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患について」という論文集を配布したが、その中には、次の報告がなされていた(〈書証番号略〉)。

(1) 喜田村教授らは、疫学的調査成績の要約として、①患者は昭和二八年末より発生し、昭和二九、三〇年にはそれぞれ一三名と八名、昭和三一年には急増し一一月末までに三一名発生している、②月別患者発生は四~九月に比較的多発し、冬季はその発生数が少なく、季節的変動が著明である、③発生地域は水俣市百間港沿岸の農漁村部落に限られ、その発生範囲の拡大は認められない、特に漁家に患者発生は多く、家族集積率は四〇パーセントと極めて高率である、また、同地区飼育の猫は同様の症状で多数斃死している、④本疾患は共通原因による長期連続曝露を受け発症するものと認められ、その共通原因としては汚染された港湾棲生の魚貝類が考えられると述べるとともに、港湾汚染を招来する可能性ありと考えられるものとして、水俣工場、月の浦地区の水俣市営屠殺場、湯堂地区の海中の湧水、茂道地区の旧海軍の弾薬貯蔵庫を挙げた上、茂道地区にあった弾薬については、これを海中投棄した事実は認められないと報告した。

(2) 入鹿山教授らは、水俣奇病の発生と水俣港湾の汚染との間に何らかの関係があるのではないかと疑われているとした上で、同港湾の汚染状況の調査結果として、概して水俣工場廃水の排水口に近い地点ではその影響が強く現れているが、同港湾全体としても汚染度が大であり、これは、同工場廃水以外に船舶や家庭廃水等により汚染され、これが港湾の地形、潮流等の関係からして同港湾内に停滞しているものと考えられると報告した。

(3) 勝木司馬之助教授らは、患者八名についてその臨床症状及び検査所見を考察した上で、①本症は炎症性疾患の所見を欠き、何らかの中毒による中枢神経障碍が臨床的にも推定された、その臨床症状はマンガン中毒症状に最も近い病像であったが、従来の記載と全くは一致するものではなかった、②本症の発生には摂取した魚貝を介する機転が考えられ、更に猫に現れた症状も同一機転との関連がある様に思われたと報告した。

(4) 武内忠男教授(以下、「武内教授」という。)らは、人体及び猫の剖検例の検索から、①本症は感染症よりむしろ中毒症を想わす疾患と考えられる、中毒性物質の中では第一にマンガン中毒が考慮されるが、本症がそれに該当するか否かは多くの研究を必要とする、②現地発症の猫症例の脳にも類似の病変を認めると報告した。

(一〇) 伊藤所長の報告(〈書証番号略〉)

昭和三二年三月二六日、伊藤所長は、津奈木村の衛生主任伊藤一吉から同村の平国部落で猫が発病したという報告を受け、直ちに現地に赴き調査したところ、同部落の合串及び割刈の二地区約三〇戸の家庭の飼猫及び野良猫合計九匹がイリコを食べて発病し、斃死したこと、平国地区の漁業者の一部が同年二月下旬ころより水俣湾内の茂道及び百間地区等において操業をなしていた様であることを確認し、津奈木村長らに対し、イリコの摂食と水俣湾内での操業を中止するよう指導を依頼し、以上の点について、「水俣奇病に関する速報について」と題する文書で熊本県衛生部長に報告するとともに、天草郡、葦北郡及び八代郡方面の漁業者に対し、水俣湾内での操業を禁止するよう指示する必要がある旨の意見を付した。

(一一) 厚生省厚生科学研究班の報告(〈書証番号略〉)

厚生省は、昭和三一年一一月、厚生省厚生科学研究班を組織して水俣奇病の調査研究を開始し、現地調査をなした上で、昭和三二年三月三〇日、「熊本県水俣地方に発生した奇病について」と題する報告書を作成した。

右報告書は、「本病の発生がどのような原因によって起こるものであるかについては、なおその結論が得られていない」としつつ、現在の調査研究の段階で、「最も疑われているものは疫学的調査成績で明らかにされた水俣港湾において漁獲された魚介類の摂食による中毒である。魚介類を汚染していると思われる中毒性物質が何であるかは、なお明らかでないが、これはおそらくある種の化学物質ないし金属類であろうと推測される。」と指摘し、更に、今後の調査研究方針の中で、「なお、新日窒工場の実態につき充分な調査を行い、工場廃水及び廃鉱等の成分、それによる港湾の汚染状況等をも明らかにすることにより、本病発生の原因を明らかにしたい。」と指摘した。

(一二) 熊本県芦北事務所長の報告(〈書証番号略〉)

熊本県芦北事務所長は、昭和三二年三月二九日、津奈木村において猫の奇病が発生したとの情報を得て、同月三〇日、同村福浜に赴き調査したところ、同地区の地曳網業(加工兼業)浜田某が同月二三日水俣市袋湾において片口小羽いわしを漁獲し、乾燥中、同月二四日、附近の猫一五匹がこれを食べて発病し、斃死したことを確認し、各町村並びに各漁協長あて危険区域での操業を自粛するように警告するとともに、以上の点を熊本県衛生部長に対し、「水俣市における奇病(猫)に関する調査について」と題する書面で報告した。

(一三) 伊藤所長の猫実験(〈書証番号略〉)

伊藤所長は、武内教授の要請を受けて、昭和三二年三月二六日から、特に魚介類の種類を選択することなく、猫に水俣湾産魚介類を与えて飼育し発病させる実験を開始したところ、同年四月四日に初めて痙攣発作の発生が確認され、更に同年七月五日までに四例の発症(早い例では七日目、最も遅いものでは四七日目)が確認され、そして、合計五例の症状及び病理学的所見は自然発症の猫のそれと同様であることが確認された。

(一四) 水俣病研究懇談会での研究報告(〈書証番号略〉)

昭和三二年七月一二日、国立公衆衛生院において、水俣病研究懇談会が開催され、厚生省厚生科学研究班等から研究報告がなされ、結論として、水俣病は、感染症ではなく中毒症で、水俣港湾内において何らかの化学毒物によって汚染を受けた魚介類を多量に摂食することによって発症するものであることが確認されたが、その有毒物質ないし発病因子が何であるかについては、目下更に研究調査を続行中であるという報告がされた。

(一五) 食品衛生法四条二号の適用をめぐる動向

(1) 昭和三二年七月二四日、水対連第三回会議が開催され、水俣湾内の魚介類は「有毒な又は有毒な物質が含まれ、又は附着しているもの」と看做す必要があり、当面の措置について打ち合せをした結果、衛生部関係では、水俣湾産の魚介類については食品衛生法四条二号に該当する旨の告示をすること、右告示を実施する前に水俣市及び地元漁協等関係者と打ち合せをなし、事前に十分了解をつけること、厚生省とも更に文書をもって連絡打合せをすることが決定された(〈書証番号略〉)。

(2) 同年八月一四日、水対連の右方針に基づき、水俣保健所において、被告熊本県から衛生部公衆衛生課長、経済部水産課長及び水俣保健所長が出席し、現地から水俣市衛生課長、同商工課職員、同市議会議長、同議員、水俣漁協組合長、同参事、水俣市医師会長、同副会長及びチッソ附属病院長が出席した上で、水俣病対策懇談会が開催され、被告熊本県側から水対連で決定された告示の方針及び想定危険海域の範囲として明神崎、恋路島、茂道岬を結ぶ線の範囲内を考えている旨等の説明がなされたが、水俣漁協側から、漁業権の買上げや事実上の漁業停止の見返りとしての補償の有無等の質問がなされ、その結果、想定危険海域として明神崎、恋路島北端、恋路島針の目崎、柳崎を結ぶ線以内の海域(別紙図面一参照)とすることで、水俣漁協と合意に達し、水俣漁協は同海域における操業を自主規制することになった(〈書証番号略〉)。

(3) 昭和三二年八月一六日、水対連の前記方針に基づき、被告熊本県は、衛生部長名で厚生省公衆衛生局長あてに「水俣病にともなう行政措置について(照会)、標記の件については、昭和三二年七月一二日水俣奇病研究発表会の際に、結論として、本疾患は諸種の調査研究及び実験的追求の結果、その本件は中毒性脳症であって、水俣湾産魚介類を摂取することによって発症するものであることが確認された。したがって、同湾内に生息する魚介類は、食品衛生法四条二号に該当するものと解釈されるので、該当海域に生息する魚介類は海域を定めて有害又は有害な物質に該当する旨県告示を行い、法四条二号を適用すべきものと思料するが、貴庁の御見解を御伺いします。」という照会をなした(〈書証番号略〉)。

これに対して、厚生省公害衛生局長は、同年九月一一日、「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患にともなう行政措置について」と題する書面において、「一、水俣湾内特定地域の魚介類を摂食することは、原因不明の中枢神経系疾患を発生する虞があるので、今後とも摂食されないよう指導されたい、二、しかし、水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対し食品衛生法四条二号を適用することは出来ないものと考える。」旨回答した(〈書証番号略〉)

(4) 被告熊本県は、厚生省の右回答を受けた結果、食品衛生法四条二号に基づく告示をなすことを断念した。

3 昭和三四年一一月までの経緯

(一) 水俣病患者発生の状況

(1) 昭和三三年八月一日、水俣市茂道に住む生駒秀雄(当時一五歳)が、袋湾内で捕獲した蟹を多量に摂食した結果発症し、水俣病と診断された。後日の調査結果によれば、水俣病患者は続発していたことが指摘されているが、この当時においては、水俣病患者の発生は、昭和三一年末で終息したと考えられていた。(〈書証番号略〉)

(2) 昭和三三年九月ころ、水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造施設の排水の排水経路が百間港から八幡プールに変更され、右排水は八幡中央排水溝から水俣川河口に排出されるようになった(〈書証番号略〉)。

(3) 昭和三四年三月二六日、水俣川河口付近である水俣市八幡に住む森重義が水俣病と診断されたが、同人は水俣川河口付近だけでなく、水俣湾内の想定危険海域でも漁獲していた(〈書証番号略〉)。

(4) 昭和三四年四月二四日、水俣湾外の水俣川河口付近を漁場としていた水俣市浜下に住む中村末義が水俣病と診断され(〈書証番号略〉)、更に、同年九月二三日には、葦北郡津奈木村岩城に住む船場藤吉が水俣病と診断されたのを始めとして、水俣湾外の海域を漁場とする者の発病が確認され、同年一二月五日までに、水俣病患者数は六二世帯、七八人にのぼり、うち三一名が死亡するに至っていた(〈書証番号略〉)。

(二) 水俣病の原因究明

(1) 熊大研究班は、昭和三二年九月二八日、「熊本県水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患について(第二報)」を発行配付し、次のとおりの報告をした(〈書証番号略〉)。

① 喜田村教授らは、「疫学調査成績補遺」として、「本症と診断された患者は累計五六名となったが、昭和三二年以降は新患者の発生が一名も認められない。水俣港湾周辺地区では猫、鳥などの諸動物が引続き発生死亡しているが、これらは同港湾内漁獲の魚類摂取によるものと認められる。廻遊性の魚類であり、水俣湾内に短期間滞留したものであっても、魚類は毒性を帯びるに至るようである。水俣港湾内での魚撈は引続き行われているが、現地の住民はその摂食を行って居られない。したがって、患者の新発生は起こらないものと認められ、この点もやはり水俣港湾内魚貝類摂食が本疾患の原因であることを示す一証差であろう。」旨の報告をした。

② 喜田村教授らは、「動物実験成績(第一報)」として、「港湾内泥土は、おたまじゃくし飼育の実験で明瞭に毒性が認められる。猫に対しての実験成績でも毒性を有することが証明され、その際の猫の症状も若干水俣現地発症の猫に類似の状態を生ぜしめるが、本質的に同一の毒性をもつか否かは、症状のみからでは決定し難い。各種のマンガン塩類を、種々の条件下で経口的に投与したものでは、猫その他の動物飼育実験において、異常を認めることはできない。亜セレン酸ソーダ液の皮下注射により猫に現地発症の猫に極めて類似の症状を起こしうるが、経口投与の場合には、類似の症状を発症せしめることはできない。亜セレン酸ソーダとマンガン塩とは、おたまじゃくしには相乗毒性作用を示すが、この混合液を猫などに経口投与しても異常の症状を起こさしめえない。タリューム塩は経口投与によっても現地発症のものに若干類似の症状を起こせしめうるが、症状よりみていずれも水俣疾患に本質的には同一のものとは首肯し難い点がある。」などと実験結果について報告した。

③ 喜田村教授らは、「化学毒物検索成績(第一報)」において、昭和三一年一〇月以降昭和三二年四月までの分析結果として、水俣港湾内泥土中にはマンガン、銅の異常沈積の認められる地区があること、水俣港湾内漁獲の魚貝類中にはマンガン及び銅の多量に含有されているものも認められるが、全般的に対照と比較してマンガン、銅の含有量はとくに有意差があるとは認められないこと、現地発症の猫の諸臓器中のマンガン、銅、亜鉛の含量は対照との比較において、とくに毛の中のマンガン量に有意差が認められ、現地発症の猫においては多量のマンガンが含有されていること、患者毛髪中のマンガン含有量は対照との間に差が認められないことなどを報告し、更に、「化学毒物検索成績(第二報)」においては、港湾泥土中には明らかに異常多量のセレニュームの含有を認めるが、同港湾内魚貝類中には対照の魚貝と比べて著明に多量のセレニュームは検出されないこと、現地発症の諸動物及び死亡患者の臓器、殊に肝中には従来のセレニューム中毒例の場合に匹敵する多量のセレニュームを検出し対照に比し著明な差を示していること、タリュームは現地港湾泥土、一部魚貝類内臓に若干検出される程度であって、対照と比較して大差は認められず、発症動物、患者の諸臓器中の含有量は、正常のそれと比較して差を認め難いことなどを報告した。

④ 世良完介教授らは、動物実験において、猫に対するマンガン、銅同時投与例において水俣病病理所見にかなり近似する所見がみられたと報告した。

⑤ 入鹿山教授らは、「水俣港湾の汚染状況と水俣病との関係について」と題する報告において、原因物質として推定されるマンガン、タリウム、セレン等の動物実験ではまだこれらの本病との関係を明らかに証明できないと報告した。

(2) 厚生省厚生科学研究班は、昭和三二年一〇月、第一二回日本公衆衛生学会において、「熊本県水俣地方に発生した奇病に関する厚生科学研究班の調査研究成績について(第二報)」と題して、「本病は現地の水俣市で昨年一二月以降、全く新発生をみていない。これは現地住民が水俣湾内で漁獲された魚貝類を摂取しなくなったためであると考えられる。本病は同湾内産の魚貝類を摂取又は投与することによって、猫その他の動物にも自然的に、又は実験的に発症するものであるが、その病理学的所見は人の場合と酷似している。同湾内の一部の泥土で動物の脳に類似の病理学的変化を起こすこともできる。現在の泥土中には、マンガン及びセレンが多量に証明せられ、また発症猫の臓器中にもマンガン、セレンが著明に認められる。マンガン及びセレンによる猫の実験的研究でも、泥土の場合と同様の病理的所見が認められる。セレン化合物の経口投与で、小動物を致死せしめた時の臓器内セレン含有量は、現地で発症死亡した動物体内のセレン含有量と大差を認めない。同湾内産の魚貝類で飼育した猫の示す中毒症状は、実験的タリウム中毒に酷似している。本症患者には、その血液及び胆汁中にマンガンが多く証明されたものがある。以上の成績から本症は水俣湾内である種の化学毒物によって汚染を受けた魚貝類を多量に摂取することによって発症する中毒性疾患で、その化学毒物として、現在の段階では、セレン、マンガン、タリウムが主として疑われる。」旨の報告を行い、同年一一月二九日に開催された国立公衆衛生院での報告会においても同様の報告を行った(〈書証番号略〉)。

(3) 熊大研究班は、昭和三三年四月一六日、水俣保健所において開催された水俣奇病研究発表会において、研究成果を発表した(〈書証番号略〉)。

① 宮川教授は、水俣湾で採れたイリコと烏貝を猫に投与して実験した結果、イリコより烏貝の方が毒力が強いこと、水俣湾産の烏貝よりタリウムが顕著に検出されたことなどを報告した。

② 武内教授は、マンガン及びセレンの猫投与実験について、マンガンは肝臓毒であり、猫の場合は水俣病とは似た点があるが、全く同じとは言えないことなどを報告した。

③ 喜田村教授は、マンガンについて、発症した猫の毛の中に多いが、人間の患者の毛髪中のそれは健康な者と差がなく、マンガン塩類を猫に投与しても発症しないこと、セレンについて、水俣湾産のものには多いが、皮下注射実験によっても症状が全部似ているとは言えないことなどを報告した。

(4) 厚生省は、昭和三三年七月七日付で「熊本県水俣地方に発生したいわゆる水俣病の研究成果及びその対策について」と題する書面を公衆衛生局長名で熊本県知事に対して発し、この中で、厚生科学研究班の報告書を添付しているところ、右報告書によると、原因物質としてセレン、マンガン、タリウムが主として疑われるが、いずれも単独では実験的に再現できず、これらの物質が魚介類に摂取されて、その性状を変化し、毒性を増強し、それが生体の諸種の条件とあいまって特異な累積中毒作用を発現するに至るものであろうと考察されると指摘した。

(5) 昭和三三年一一月ころ、厚生省は、水俣病の原因を究明するために、厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会の特別部会として「水俣食中毒部会」を設置することを決め(以下、「水俣食中毒部会」という。)、同年一二月三日、熊本大学、被告熊本県等と右部会の編成について打合せを行い、右部会は、昭和三四年一月一六日に主要な人選が決まり、同年二月一七日に開催された食品衛生調査会打合せ会に、水俣食中毒部会の委員代表として、熊本大学学長及び熊本県衛生部長が出席して水俣病問題について討議した(〈書証番号略〉)。

(6) 昭和三四年三月三一日、熊大研究班は、「熊本県水俣地方に発生したいわゆる水俣病に関する研究(第三報)」を刊行配布し、研究成果を報告した(〈書証番号略〉)。

① 武内教授らは、「慢性経過をとった水俣病―四剖検例についての病理学的研究」と題する報告において、本症の剖検所見からみた原因物質に対する考察を行い、マンガン中毒の病理所見とは類似性が遠ざかりつつあること、セレンについては、神経系統の病理所見はほとんど不明であることから、その異同について猫を使用し、急性例では異なった所見を得ているが、なお検討中であること、タリウムについては、実験的に異同を追求中であるが、今までのところ尚すべてが合致する所見を得るまでに至っていないことを指摘するとともに、有機水銀による中毒は水俣病の臨床症状に極めて類似していることを指摘しているが、同時に、有機水銀が現地の魚介類に存在するかはなお検討されておらず、又、有機水銀が現地湾内に存在し得るかは今後の検討にまたなければならないとも指摘した。

② 神経精神医学教室の瀬口三折らは、「水俣病の原因とその発生機転に関する研究」と題する報告において、猫にタリウムを投与する実験を行い、その実験結果として、タリウム中毒の場合にも水俣病と同様な間代性痙攣の起こることを認めたと報告した。

③ 喜田村教授らは、「水俣病に関する化学毒物検索成績(第四報)」と題する報告において、生体内のセレニウム含有量分析成績について報告しているが、生体内のセレニウム蓄積とその意義については、今後とも更に追求すべき点が多く存在していると指摘した。

(7) 昭和三四年七月二二日、熊大研究班は、熊本大学医学部講堂において、水俣病研究発表会を開催し、「熊大医学部の水俣病研究班は、七月一四日研究会議を開き、臨床的、病理学的並びに分析的研究報告の結果、水俣病は現地の魚貝類を摂取することによって惹起せられる神経系統疾患であり、魚貝類を汚染している毒物としては、水銀が注目されるに至った。」との結論を発表するとともに、各教授から要旨次のとおり報告がなされた(〈書証番号略〉)。

① 徳臣晴比古助教授らは、臨床症状が従来報告された有機水銀中毒と極めてよく一致すること、エチール燐酸水銀の猫への経口投与実験により発症が認められたことなどを報告した。

② 武内教授は、多くの剖検例を得るとともにその症状及び剖検例を検討して、本症が最もよく有機水銀中毒例に類似していることを知り、これについて検討し、かつ実験的に研究した結果、本症が有機水銀中毒により惹起されるものであろうと考えるに至ったと報告した。

③ 喜田村教授は、ジチゾン法による水銀の定量結果として、「要するに、現地港湾泥土、魚貝類、発症の動物並びに人には、明らかに異常、大量の水銀の蓄積が認められるのであるから、従来の中毒学の常識からすればこれを水銀中毒と看做して差し支えないのであるが、疫学的見地からも尚検討を要するし、当教室(公衆衛生学教室)で行った有毒元素セレニウムの分析結果も若干これに似た傾向を示した事実や、また少量の魚貝摂取によって発症した例についての水銀分析は未だ行っていない点などから更に引続き検討を加える予定である。しかしながら、魚貝を汚染した因子として水銀は極めて注目すべきものであることは言うまでもない。」と報告した。

④ 入鹿山教授らは、猫等を使用しての発症実験の成果等について報告しているが、有毒貝について行ったスポットテストでは、橙色に着色したが、水銀の発光分析については更に十分な検討を加えたいと指摘した。

⑤ なお、宮川教授は、本病の原因としてタリウムが依然主要な原因をなすものと確信する旨述べている。

(8) 昭和三四年七月二四日付熊本日日新聞は、後藤源太郎熊本大学理学部教授が、同月二三日、「工場の廃液を海に放流する排水口付近の海底のドロには0.2%の無機水銀が含まれ、ドロは酸化した水銀で真っ黒となっているほどだ。地中の無機水銀をエビやゴカイが吸収し、これらの生物を魚が食い、この過程のなかで無機水銀は有毒な有機水銀に変っていく。また付近に生息する魚自体も次第に体内に有機水銀が蓄積する。水銀は新日窒水俣工場が昭和二八年から塩化ビニールの触媒に使っているもので、患者も二八年から発生している。」として、水俣工場から排出される水銀が原因であると断定したと報道した(〈書証番号略〉)。

(9) 熊大研究班の研究報告に対する批判的見解の発表

① 水俣工場の研究陣は、昭和三四年八月五日、熊本県議会水俣病対策特別委員会で工場側の研究発表を行い、熊大研究班の中で唱えられている有機水銀説は実証性のない推論である旨発表した。同研究陣は、熊大研究班が動物実験に使用した有機水銀はいずれも水俣病の原因物質とは異なっていることが実験的に明らかにされていること、発表された所見について熊本大学教授の中にも異論があること、水俣工場では昭和七年からアセトアルデヒドの合成に無機水銀の一種である硫酸水銀を、昭和二四年から塩化第二水銀をそれぞれ触媒として使用しており、これらの無機水銀の一部が排水溝から海に流れ湾内に存することは事実であるが、これらの無機水銀は相当昔から世界各地の化学工場で使われてきたものであり、これら無機水銀から有毒物質が副生されたという文献はないこと、無機水銀が生体内で有機水銀に変化するというのは客観的に実証されていない単なる推論でしかないこと等を挙げて、有機水銀説を批判した(〈書証番号略〉)。

② 東京工業大学の清浦雷作教授は、昭和三四年八月二四日から同月二九日までの間、水俣湾内及びその周辺の海水について調査を実施し、水俣病の原因の一つとして考えられているセレン、タリウムなどの重金属の融解度は、水俣湾内外とも大差はなく、特別に水俣湾だけが多いとはいえず、水銀についても他の化学工場と変らない等として、水俣病原因究明には更に総合化学的な研究が必要と思う旨発表した(〈書証番号略〉)。

③ 日本化学工業協会の大島竹治理事は、同年九月二九日、水俣病は、水俣、八代一帯に存した特攻隊と軍隊の集積所の爆薬、薬品が水俣湾内に投棄され、その成分である四エチル鉛、ヘキソ―ゲン、ピクリン酸等の薬物が昭和二八年ころから流れだしたことに起因するとする見解を発表し、有機水銀説に対し、水銀を含む泥土に海水を入れて飼育した魚を猫に与えても発症しないという報告があること、水俣病が昭和二八年から急に発生していること、水俣工場と同様の工場が海岸に接して古くから全国に数多く存在しているが、そこでは水俣病は発生していないこと等を指摘して、同説を批判した(〈書証番号略〉)。

(10) 昭和三四年九月八日、水俣食中毒部会は、熊本大学医学部で初会合を開き、武内教授、徳臣助教授、喜田村教授らから、現在までの研究結果から水俣病は水銀中毒による症状に似ており、それは有機物質によるものであると思われるので、将来の研究方向を有機水銀に置きたいとの発言がなされたが、宮川教授、入鹿山教授らは、有機物質による中毒症状の疑いはあるが、それが有機水銀であるとの証明は出来ないので、水銀が疑わしい程度にしたいと主張し、結果として「水銀が疑わしい。」ということにとどまった(〈書証番号略〉)。

(11) 昭和三四年一〇月一六日、食品衛生調査会合同委員会が開催され、水俣食中毒部会は、水俣病の原因究明の中間報告を行ったが、その結論は、「水俣病は臨床症状及び病理組織学的所見が有機水銀中毒に酷似し、ある種の有機水銀を猫及び白鼠に経口的に投与して、水俣湾魚介類によるものと全く類似の症状及び病理組織学的変化を惹起せしめえ、かつ患者及び罹患動物の臓器中より異常量の水銀が検出される点より原因物質としては水銀が最も重要視される。しかし水俣湾底の泥中に含まれる多量の水銀が魚介類を通じて有毒化される機序は未だ明白でない。したがって今後の研究はこの点を明らかにすることと原因物質そのものの追求に向けられねばならない。」ということであった。

(12) 水俣中毒部会の中間報告に対する批判的見解の発表

① 被告チッソは、「水俣病原因物質としての「有機水銀説」に対する見解」と題する文書を公表し、有機水銀説に対する疑問点として、次の点を指摘した(〈書証番号略〉)。

まず、水俣病発生の特異性として、水俣工場では、昭和七年以来今日まで醋酸の製造に水銀を使い、また昭和一六年以来塩化ビニールの製造にも水銀を使用し、これら水銀の損失の一部が工場排水とともに水俣湾内に流入しているのに、また、醋酸、塩化ビニールは古くから世界各国で生産されているもので、製法は水俣工場と同様に水銀を触媒として使用しているのに、なぜ突然昭和二九年から水銀によって水俣病が発生したといえるのか、昭和二八~二九年を境として水俣湾内で異常が起こったと考える方が常識的である。

次に、実験並びに証拠方法として、水俣病原因物質でないと自ら認めている有機水銀化合物(エチル水銀及びエチル燐酸水銀)のみで動物実験を行い、その結果が水俣病に酷似しているとして有機水銀説の最重要な根拠とすることは、正しい実験方法とはいえない。

そして、海底土、河水、海水の水銀含有量について、海底の泥土を直接猫に投与しても発症せず、又海底の泥土と真水で飼育した鮒を猫に投与しても発症しない事実からすると、泥土中の水銀よりむしろ海水中の水銀に関心をもつべきであるところ、海底の泥土及び河川水中の水銀との関連を調査した結果、河川水中の水銀は意外に多く、海域の水銀濃度は、海底泥土中の水銀よりもむしろ河川水中の水銀の影響をうけていることがわかった。

更に、魚介類有毒化の経路、機構について、有機水銀説においては、有毒化機構に関する証明がない。

② 東京工業大学の清浦雷作教授は、昭和三四年一一月一〇日、「水俣湾内外の水質汚濁に関する研究」と題する報告の中で、工場廃水に含まれる無機水銀が有機化するという説については、水俣湾以外に水銀の多い場所があること、他産地の魚介類にも水銀が多いものがあるが、これらの魚介類を食用に供しても発症した事実を聞かないこと、体内及び排泄物中に水銀が多くても水俣病と関係ないこと、発症物質でない有機水銀で水俣病症状を呈してもそれから直ちに発症物質が有機水銀というには論理の飛躍があること等を指摘した(〈書証番号略〉)。

(13) 昭和三四年一一月一二日、食品衛生調査会は、厚生大臣に対し、「水俣病は、水俣湾及びその周辺に棲息する魚介類を多量に摂食することによっておこる、主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因となすものはある種の有機水銀化合物である。」旨答申した。翌一三日、水俣食中毒部会は解散し、水俣病の原因物質の究明は、経済企画庁、厚生省、通産省及び水産庁による総合的調査により行われることとされ、その調整を経済企画庁調整局が行うことになった(〈書証番号略〉)。

(14) なお、チッソ附属病院院長細川一は、猫に醋酸工程から採取した排水をかけた餌を摂取させる実験を行った結果、昭和三四年一〇月七日に至って一匹の猫(ネコ四〇〇号)が発症したことを認め、その旨を水俣工場技術部へ報告した上、同月二一日この猫を屠殺して病理解剖したところ、水俣病と類似の所見が認められたが、右実験結果は外部に一切公表されなかった(〈書証番号略〉)。

(三) 社会的状況

(1) 昭和三三年九月一日、水俣漁協は、漁民大会を開催し、想定危険海域内の操業を法的に全面的に禁止し、それに伴う生活補償を漁民に与えること及び水俣病の発生経路を早期に究明すること等を要望する旨の決議を行った(〈書証番号略〉)。

(2) 水俣市鮮魚小売商組合は、昭和三四年七月三一日、水俣漁協の漁獲した魚介類を一切取り扱わない旨決議して水俣漁協に申入れ、水俣市等を交えて協議したが決着せず、同年八月一日の臨時総会で再度不買決議をして同月三日から実施した(〈書証番号略〉)。

水俣漁協は、昭和三四年八月四日開催の臨時総会及び漁民大会での決議に基づき、同月六日、水俣工場と交渉を開始し、漁業補償一億円、ヘドロの完全除去及び排水浄化装置の設置を要求し、同月一七日の第四回交渉の際には、工場側の回答に怒った漁民が交渉会場に乱入する事態ともなったが、同月二九日、水俣市長らで構成される斡旋委員会の斡旋案を受入れて妥結した(〈書証番号略〉)。

(3) ところが、昭和三四年九月二三日、葦北郡津奈木村岩城に居住する船場藤吉が水俣病と診断されたことから、津奈木村漁業協同組合は、水俣工場の汚悪水浄化設備の急設、百間、西海岸汚水の除去、漁民の転換漁業その他の救済策、工場廃液による不知火海の汚染海域の科学的調査を求める決議をした(〈書証番号略〉)。

(4) 昭和三四年一〇月一七日、熊本県漁業協同組合連合会は、水俣市において、漁民総決起大会を開催し、被告チッソに対し、工場排水浄化設備完成まで操業を中止すること、水俣湾及び現在の排水口にある沈殿物の完全処理を図ること、不知火海沿岸漁民が受けた廃液による漁業並びに漁場被害に対し経済上の補償を行うこと等を内容とする決議を行い、被告チッソ側に右決議内容を記載した文書を交付したが、同月二三日、水俣工場長は、工場操業中止の要求には応じられない等の回答をなした(〈書証番号略〉)。

(5) 熊本県漁業協同組合連合会は、更に、水俣工場長に対し、完全排水中止措置をとることを求めたが、水俣工場長は、完全排水中止は操業停止となるとして、これを拒否した(〈書証番号略〉)。

(6) 昭和三四年一一月二日、熊本県漁業協同組合連合会は、漁民総決起大会を開催し、水俣工場に対し、交渉を申入れたが、これを拒否されたため、漁民が水俣工場に乱入し、警官隊と衝突する事態となった(〈書証番号略〉)。

(7) 昭和三四年一一月五日、水俣市議会は、水俣病対策についての決議を行い、その中で、水俣病の原因の早期究明、水俣病患者及び漁民の援護救済対策を求めるとともに、水俣工場の操業停止については慎重であるべきであるとした(〈書証番号略〉)。

(四) 被告国・熊本県の対応等

(1) 昭和三二年一二月一三日、熊本県衛生部長は、水俣市長及び水俣保健所長に対し、水俣港改築に伴って同湾の一部浚渫が開始されることから、地元漁協及び関係者と緊密に連携をとり、一段の配慮を御願いする旨の通知をなした(〈書証番号略〉)。

(2) 昭和三三年六月二四日、当時の厚生省環境衛生部長尾村偉久は、参議院社会労働委員会において、水俣病が水俣でとれた魚類を摂食することによって起こることが確実である旨、タリウム、マンガン、セレンのいずれか、あるいはこの三つの二つないし三つの総合によるものであろうということが原因物質として今のところ分っている旨、水俣湾に接したところに右各物質と関係ある化学工場があって、右工場から流出したと想定される旨答弁するとともに、二〇年以上にわたって操業してきた同工場付近のみにおいて、しかも昭和二八年以降になって患者が発生したことに疑問がある旨答弁した(〈書証番号略〉)。

(3) 昭和三三年八月一一日に水俣市茂道に住む生駒秀雄が水俣病と診断されたことを受けて、水俣保健所は、「湾内の魚介類を食べることは危険」なる旨を水俣市の回覧板又は地元の学校を通じて市民及び子供達に普及徹底する様PR活動を行うことにし(〈書証番号略〉)、熊本県経済部長は、同月二一日、水俣漁協長及び水俣市第一漁協長を除く沿海各漁協長あてに想定危険海域内での操業をしないよう指導を依頼する旨の通知を、水俣漁協長及び水俣市第一漁協長に対し、操業自粛の申し合せを組合員に遵守させるよう指導を依頼する旨の通知をなした(〈書証番号略〉)。

(4) 昭和三三年一二月二五日、公共用水域の水質保全に関する法律(以下、「水質保全法」という。)及び工場排水等の規制に関する法律(以下、「工場排水規制法」という。)が制定され(以下、両者を併せて述べる場合には、「水質二法」という。)、翌三四年三月一日施行された。

(5) 昭和三四年六月五日、熊本県水産試験場技師沢本良は、水俣川河口に赴いて、水俣漁協参事中村某から、「本年春先より水俣川河口付近に魚類がふらふらして遊泳、斃死に至る現象が甚だしくなった。……これらの原因としては工場廃水に由来するものと考えられ、工場廃水の流入状況については一昨年七月頃から新たに水俣川河口付近に流しているらしく、干潟に廃水の流出した形跡が見られる。」等の事情を聴取し、これを報告した(〈書証番号略〉)。

(6) 昭和三四年六月八日、水俣市長、同市議会議長らは、熊本県副知事らに対し、水俣湾外の水俣川河口付近でも患者が発生したことを踏まえ、これらの患者発生に対する対策、危険海域を漁獲禁止区域として漁業権を被告熊本県が買い上げること、水俣病の原因を早期に究明することを要望し、これに対し、被告熊本県側は、食品衛生法で漁獲禁止することはできない旨説明した(〈書証番号略〉)。

(7) 昭和三四年六月一九日から同月二四日にかけて、水俣市議会議長らは、厚生省公衆衛生局環境衛生部長らに対し、水俣病発生原因の早期究明及び漁業禁止区域設定についての特別立法措置を要望した(〈書証番号略〉)。

(8) 昭和三四年七月八日、熊本県議会に水俣病対策特別委員会が設置され、同委員会は、水俣病の原因の早期究明や漁獲禁止の特別立法措置を要望することを決め、これを受けて、同月二四日から二七日にかけて、熊本県知事及び熊本県議会議長は、関係各省庁に対し、水俣病発生原因の早期究明、危険海域の調査指定及び危険海域を漁獲禁止区域とする特別立法の制定を要望する陳情を行った(〈書証番号略〉)。

(9) 昭和三四年一〇月一五日、被告熊本県は、関係各省庁に対し、熊本県知事及び熊本県議会議長名の同月一〇日付「水俣病についての陳情書」をもって水俣病発生原因の早期究明及び危険海域の調査指定を陳情したが、その際、危険海域の調査及び指定等、操業禁止海域の設定及び補償、漁民の救済援護等を内容とする水俣病対策特別立法の立法措置を陳情した(〈書証番号略〉)。

(10) 昭和三四年一〇月二六日、被告熊本県は、熊本県議会水俣病対策特別委員会において、水俣病対策特別措置法要綱案を示し、被告国に対して立法を働きかけることとした。

(11) 水俣工場の排水に対する措置と被告チッソの対応

① 厚生省公衆衛生局長は、昭和三四年一〇月三一日、通産省企業局長に対し、「水俣病の対策について」と題する書面で、水俣食中毒部会の研究の結果水俣病は水俣湾付近の一定水域において漁獲された魚介類を摂取することに起因して発病するものであること、右魚介類中の有毒物質は概ね有機水銀化合物であると考えられることの二点が明らかにされるに至っているとし、このことをもって直ちに水俣市所在の化学工場からの排水に起因するものであるとは断定し難いものの、当該排水の排出状況と水俣病患者の発生の状況に相互関連があるとの意見があり、また、前年九月の新排水口の設定以来その方面に新患者が発生している事実もあることから、現段階において工場排水に対する最も適切な処置を至急講ずるよう要望した(〈書証番号略〉)。

これを受けて、通産省は、昭和三四年一一月一〇日、軽工業局長から被告チッソ社長あての「水俣病の対策について」と題する書面で「かねてから、排水路の一部の廃止等種々対策を講ぜられているところであるが、水俣病が現地において極めて深刻な問題を惹起している状況には誠に同情すべきものがあるので、この際一刻も早く排水処理施設を完備するとともに、関係機関と十分協力して可及的速やかに原因を究明する等現地の不安解消に十分努力せられたい」旨の行政指導を行った(〈書証番号略〉)。

② 被告チッソは、昭和三四年一一月一一日、熊本県経済部鉱工課長及び熊本県議会水俣病対策特別委員会に対し、「水俣工場の排水について(その歴史と処理及び管理)」と題する文書を提出したが、右文書には、アルデヒド醋酸廃水は、昭和三三年九月まではアルデヒド工場付近の鉄屑槽を経て百間排水溝にそのまま放流していたが、昭和三三年九月からアセチレン発生残渣とともに八幡プールへ送り、昭和三四年一〇月一九日、大容量の鉄屑を入れた処理槽(醋酸プール)の完成に伴い、醋酸プールで微量の残存金属を除去して八幡プールへ送っていること、構内プール、醋酸プール、八幡プール浸透水逆送管等の設備完成前には、八幡プールの上澄水は、八幡地区中央排水溝に放流しており、百間港への排水における水銀値は、0.01mg/l(同年七月六日、排水量毎時三二〇〇立方メートル)、八幡プール排水における水銀値は、0.08mg/l(同年七月三日、排水量毎時六〇〇立方メートル)であったこと、右各設備完成後においては、八幡プールからの排水は皆無となり、百間港への排水における水銀値は、0.009mg/l(同年一一月七日、排水量毎時三五〇〇立方メートル)であったこと、工事中のサイクレーター、セディフローターを主体とする排水浄化装置完成後においては、アルデヒド醋酸廃水等はサイクレーターに入れ、酸、アルカリをPHメーターの指示により添加して中和を行い、アルギン酸ソーダ等の凝集沈殿剤を加えて固形物を沈降させて浄化作業を行い、右固形物を含む泥水は、八幡プールへ送られ、浄化された後の水は一般工場排水とともに百間排水溝に入れられること等が記載されていた(〈書証番号略〉)。

③ 右サイクレーター及びセディフローターは、昭和三四年一二月二四日ころに運転が開始された(〈書証番号略〉)。

4 昭和三四年一二月以降昭和四三年九月二六日の政府公式見解発表までの経緯

(一) 内田教授らは、昭和三五年から同三六年にかけて、水俣湾産のヒバリガイモドキから有毒物質を抽出し、これが水俣病類似症状を惹起し得ることを確認し、昭和三六年になって、それがCH3―Hg―S―CH3であると発表した(〈書証番号略〉)。

(二) 入鹿山教授らの研究

(1) 入鹿山教授らは、昭和三六年九月一日、水俣湾産のヒバリガイモドキを磨砕してペプシン消化し、これを水蒸気蒸留して有機溶媒で水銀化合物が抽出し、これと種々の有機水銀とくにアルキル水銀との性状を比較した結果、ヒバリガイモドキから抽出された水銀化合物がアルキル水銀化合物と一致する旨及び水俣工場廃水溝泥土中にある種の有機水銀が証明され、その性状が水俣湾の魚介から抽出した水銀化合物と極めて近似していた旨の報告を行った(〈書証番号略〉)。

(2) 入鹿山教授らは、昭和三四年八月及び昭和三五年一〇月に水俣工場の醋酸工程の反応管から直接採取していた水銀滓から有機水銀を抽出することに成功したが、その構造は、内田教授らが水俣湾産のヒバリガイモドキから抽出したのとは異なり、CH3―Hg―Clであるとし、右実験結果を昭和三七年八月に発表した(〈書証番号略〉)。

(3) 入鹿山教授らは、アセトアルデヒド製造施設内におけるメチル水銀化合物の生成機序について解明するために、水俣工場のアセトアルデヒド製造施設で用いた触媒(無機水銀)からメチル水銀化合物が生成するかについて実験を行ったところ、右生成機序のすべてを証明し得たとはいえないとしながらも、アセチレンと無機水銀との反応では直接メチル水銀化合物は生成しないが、これと無機水銀、鉄塩、二酸化マンガン及び塩化物を加えることによってメチル水銀化合物の生成が推知されたとして、昭和四二年六月、右実験結果を発表した(〈書証番号略〉)。

(4) 更に、入鹿山教授らは、昭和四一年七月、一〇月及び一二月に水俣工場内の排水処理系統の水銀汚染の調査を行い、アセトアルデヒド製造設備の精溜搭排液中等からメチル水銀化合物(CH3―Hg―Cl)を検出し、昭和四二年八月、その調査結果を発表した(〈書証番号略〉)。

(三) 昭和四三年九月二六日、「水俣病は、水俣湾産の魚介類を長期かつ大量に摂取したことによって起こった中毒性中枢神経疾患である。その原因物質は、メチル水銀化合物であり、新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド醋酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂取することによって生じたものと認められる。」との政府公式見解が発表された。

二原告らの主張の要旨

1 基本的視点

(一) 本件は、何よりもすでに現実に発生していることが明らかになっている水俣病をどう防ぐかという問題であり、多数の住民がばたばたと死亡していき、次々と患者が発生している事実を認識している公務員が、被害発生を防止する適切な措置をとらずに拱手傍観していることが許されるのかということが問われている事件であり、まさに活用できるあらゆる手段を活用してすぐにでも被害発生を防止することが必要となっていた事例なのである。

(二) 被告国・熊本県は、住民の生命、健康の安全を確保すべき法的義務を、憲法を頂点として、厚生省設置法、地方自治法等の基本法によって負っており、広域多数の住民の生命、健康を害う工場排水に含まれる有害物質によって罹患する水俣病のような重大な危害の発生を認識し、あるいは予見しえたのであるから、直ちにあらゆる法的権限を行使し、できるかぎり予防措置をとるべき法的義務を負っていた。ましてや、現実に多数住民の生命、健康に重大な危害が発生していることが確認され、その原因が被告チッソの水俣工場排水に含まれる有害物質であることが判明した時点においては、直ちに魚介類の採捕及び販売の禁止、水俣工場排水の排出停止ないし浄化装置の設置を命ずべき法的義務を負っていたのであって、以下述べるとおり各種法規に基づく規制権限等を行使し、強力な行政指導をなすべき法的義務を負っていた。

したがって、被告国・熊本県は直ちにその組織全体として、危害発生、拡大防止のために、いかなる規制権限の行使が必要であるか、そのためにいかなる行使可能な権限を規定した法律規定が存在するかということを検討し、行使可能な活用できるあらゆる法規を駆使し、強力な行政指導をも行うべき作為義務が存していたのである。すなわち、本件の場合には、ある権限法規の本来の保護法益が水俣病を防止する(健康被害発生を防止する)というものでなくても、その権限法規の本来の保護法益が侵害され、その法規の行使要件が充足されているならば、被告国・熊本県としては、その法規を活用すべき作為義務があったというべきである。

(三) 更に、水俣病の原因は、戦前より現在まで化学工業を一貫して統制、監督の下におき、その製品製造について常に一定の関与を行ってきた被告国の産業政策そのものに存するのであり、産業政策という先行行為に基づいて、被告国は水俣病の被害発生を防止する義務を負っていたというべきである。

ところが、被告国は、自らの産業政策を守り遂行するために、水俣病の原因究明を妨害しただけでなく、原因の隠蔽を図るとともに、被害の全貌・実態の調査を全くせず、被害者を放置した。すなわち、本件においては、被告国・熊本県は、規制権限を法律上行使できなかったのではなく、あえて行使しなかったのであり、このことは、被告チッソの加害行為に加功、加担したのと同等以上の規範的評価を行われて当然である。

2 昭和二九年八月までの段階

(一) 被告国・熊本県の認識及び人体被害の予見可能性

(1) 被告熊本県には、三好係長の報告(前記一の1の(四))により、水俣工場の廃液によって漁業被害が発生していることの認識があり、右漁業被害のため、かねてより被告チッソが繰り返し漁業補償せざるを得ない状況にあったことの認識があった。

(2) 被告熊本県には、被告チッソの提出した「工場廃水処理状況報告書(前記一の1の(三))及び三好係長の報告により、少なくともアセトアルデヒド醋酸排水には、「水銀」という有毒物質が含まれているという認識はあったし、水銀を含んだ母液が工場排水中に含まれて流出していたという認識もあった。

(3) 被告熊本県は、水俣市茂道地区の猫の全滅という事実を知っており、さらに調査すれば広範な動物の異常死の事実を確認できた。

(4) (1)~(3)からすると、被告国・熊本県が、昭和二九年八月の段階で、水俣湾の魚を猫に投与する実験を行い、かつ、水俣工場の排水についての分析などの措置をとっておれば、漁業被害等の原因が水俣工場の排水であるということだけでなく、その中の水銀ないし水銀化合物であるという予見は十分可能であったのであり、重大かつ広範な人体被害の発生の事実を容易に予見することができた。

そして、これらの措置をとることは当時十分可能であった。

(二) 水産行政上の責任

(1) 農林省設置法によれば、水産行政をつかさどる被告国(農林大臣)及びその委任を受けた被告熊本県(知事)には、水産資源を保護培養して漁業の発展を図り、漁民らの生活を守り向上させるとともに、国民食糧としての安全な魚介類が国民の間に供給されるようにすべき責務があるのであって、被告国(農林大臣)及び被告熊本県(知事)は、工場排水などによって漁場である海が汚染され、魚介類が死滅、汚染、有毒化し、漁業や漁民の生活に重大な被害をもたらし、あるいは国民食糧としての魚介類の安全性が損われ、国民の生命、健康に重大な危害を及ぼすような事態になる前にこれを防止する義務があることは明らかである。

(2) 水俣病の発生及び被害の拡大を防止するうえで水産行政として取り得た措置の要点は、第一に水俣工場の排水に対する規制を行い、水産動植物に対し有害な物を排出させないようにして安全な魚介類を確保することであり、第二にもしその時点で阻止できないのであれば、有害な魚介類が国民の口に入らないような漁獲禁止措置を講ずべきであった。

(3) 水俣工場の排水規制措置

① 根拠法規

水産資源保護法四条一項は、「農林大臣又は都道府県知事は、水産資源の保護培養のために必要があると認めるときは、左に掲げる事項に関して、省令又は規則を定めることができる。」とし、同項四号は、「水産動植物に有害な物の遺棄又は漏せつその他水産動植物に有害な水質の汚濁に関する制限又は禁止」と規定しており、同法等に基づき制定された熊本県漁業調整規則(以下、「調整規則」という。)三二条は、「何人も、水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつするおそれがあるものを放置してはならない。2知事は、前項の規定に違反する者があるときは、その者に対して除害に必要な設備の設置を命じ、又は既に設けた除害設備の変更を命ずることができる。」と規定している。

魚介類を有毒化したうえ右魚介類を摂取すれば人体に害をもたらすような物が、右規則にいう「有毒な物」に該当することは明らかであるところ、右「有毒な物」の特定としては、有毒原因物質の特定までは必要ではなく、本件の場合においては、水俣工場の排水中に魚介類に害を及ぼし、奇形を発生させ、あるいは斃死させたり、さらにはこれを食する人間の生命、健康を脅かすような有毒または有害な物質を含むということが判明していれば十分であるというべきである。

② 熊本県知事の取りうる措置ないし権限

熊本県知事は調整規則三二条二項に基づき、違反者に除害に必要な設備の設置を命じ、又は既に設けた除害設備の変更を命ずることができることは規定上明らかであるが、除害設備の設置が時間的場所的に困難であるとか、除害設備が除害の効果を有しないような場合には、有毒物の排出自体を禁止しえると解すべきである。そうでなければ、右規定は無意味ないしは極めて実効性の乏しいものになってしまう。

更に、熊本県知事には、右権限を適正に行使するために、自ら廃液の分析調査を行うことはもちろん、廃液排出者をして調査に必要な資料の提供を求め、または、調査をさせる権限を有していると解すべきである。

(4) 漁獲禁止措置

① 根拠規定

漁業法三九条一項は、「漁業調整、船舶の航行、てい泊、けい留、水底電線の敷設その他公益上必要があると認めるときは、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、又はその行使の停止を命ずることができる。」と定めているが、国民の生命・健康の保持は、右「公益」に当然該当するというべきである。仮に、右「公益」が第一義的には国民の生命、身体を直接保護する目的を有するものとして立法されていないとしても、国民の生命、身体の安全が犯され、また現に犯されつつある緊急事態のもとでは、「公益」のなかに水産行政の基本的な責務としての国民の生命、身体の安全の保護という目的が含まれるというべきである。

したがって、国民の生命・健康の保持にとって危険が生じているのであれば、同条の権限を行使することが要請される。

② 調整規則三〇条一項は、漁業法六五条一項及び水産資源保護法四条一項を受けて、「知事は漁業調整その他公益上必要があると認めるときは、許可の内容を変更し、若しくは制限し、操業を停止し、又は当該許可を取り消すことができる。」と規定しているが、右「公益」には当然国民の生命・健康の保持が含まれるというべきである。

(5) 作為義務違反

① 水俣工場廃液による漁業被害そのものが漁民の生活を圧迫するほど極めて深刻な状態にまでなっており、また、単に漁獲減少のみならず魚介類が大量に死滅するという異常事態の発生がみられていた状況のもとで、茂道地区での猫の全滅という異常事態が発生し、その原因として、猫の主食である魚介類を疑うべきことは当然であり、魚介類の大量死滅と併せ考えれば魚介類の有毒化は容易に考えられた。

したがって、魚介類が猫を全滅させるまでに有毒化しており、当然魚介類を摂取する人体の被害発生まで考えられ、当時調査すれば容易に多くの人体被害を発見できたのである。

② 前述した状況においては、調整規則三二条に基づく熊本県知事の権限行使は、その要件が充足されるかぎり、熊本県知事に義務付けられていたというべきであり、仮に右権限行使に裁量の余地があるとしても、右状況のもとでは、裁量権収縮の要件をみたしていたというべきであるから、熊本県知事は、調整規則三二条二項に基づき、水俣工場に対し、排水規制(具体的にはアセトアルデヒド排水及び塩化ビニール排水について閉鎖循環方式を採用させること)をとるべきであり、何らの対策も講じなかったことは違法というべきである。

調整規則三二条に基づく熊本県知事の権限は、地方自治法一四八条二項別表第三の一の九三に定める被告国の委任事務であり、被告国はその責任を免れえない。さらに、それまでの被告国の化学産業重視政策のもとでの被告チッソに対する保護育成政策の遂行は、被告国の責任を加重するものである。

③ 右の水俣工場廃液による魚介類の有毒化を通じて人体被害の発生まで予想できるような状況においては、熊本県知事は、漁業法三九条一項に基づき、水俣湾における漁業権の行使を停止すべき義務があり、さらに、調整規則三〇条一項に基づき、水俣湾における知事許可漁業の操業を停止し、または許可を取り消すべき義務があったのであり、これらの措置を講じなかったことは違法である。

漁業法三九条一項及び調整規則三〇条一項に基づく熊本県知事の権限は、地方自治法一四八条二項別表第三の一の八八及び九三に定める被告国の委任事務であり、被告国はその責任を免れえない。さらに、それまでの被告国の化学産業重視政策のもとでの被告チッソに対する保護育成政策の遂行は、被告国の責任を加重するものである。

3 昭和三二年九月までの段階

(一) 被告国・熊本県の認識

(1) 昭和三二年九月までの水俣湾内における動植物の汚染状況、特に漁業被害はその後も深刻化し、汚染魚介類の摂取により水俣病が発生するという報告がなされるに及んで壊滅的打撃を受けた。

そして、昭和三一年五月一日に水俣病が公式に発見されたが、昭和三二年二月には五四名の患者の発生が確認され、うち一七名はすでに死亡し、死亡率31.5パーセントという緊急事態になっていた。

一方、昭和三一年一一月には水俣病の原因は、重金属により汚染された魚介類の摂取によるものであり、汚染源としては水俣工場の排水が強く疑われ、ほぼ間違いないという状況になっていた。

(2) 被告熊本県は、漁業被害の深刻な状況、水俣湾の動植物の汚染状況、水俣病の発生状況等を認識していただけでなく、その対策として、食品衛生法を適用しなければならない必要性があることまで十分に痛感していた。

また、被告国は、被告熊本県から逐一報告を受け、食品衛生法の適用についても照会を受けていたのであり、被害状況の認識だけでなく、食品衛生法適用の必要性についても認識していた。

(二) 水産行政上の責任

(1) 前記(一)の事態に対しては、熊本県知事は、調整規則三二条に基づいて水俣工場の排水規制措置をとるべきであり、また、漁業法三九条一項及び調整規則三〇条一項に基づいて漁獲禁止の措置を講ずべきであったにもかかわらず、これを怠ったのであって、右は違法である。

(2) 熊本県知事の右権限はいずれも被告国の委任事務によるものであるから、被告国はその責任を免れず、さらに、被告国は、石油化計画を策定していく中でさらに被告チッソに対する保護育成政策を通じて、被告チッソにカーバイド・アセチレン法によるアセトアルデヒド及び塩化ビニールの大増産を行わせ、その結果ますます水産資源の汚染が進行・拡大し、水俣病患者が発生・拡大したのであって、その責任は重大である。

(三) 食品衛生行政上の責任

(1) 食品衛生法の義務法規性

① 食品の絶対的安全性確保の責務

人間の生命・健康は、侵すことのできない絶対的な価値であり、その尊厳を守ることは、人類普遍の原理として、国の施策の基幹をなすものである。

そして、食品は、人間が個体として生命・健康を保持し、種族として維持発展をはかるうえで絶対不可欠なものであるから、食品の安全性が確保されなければならない。

ところが、高度経済成長政策の中で、食品の流通形態が一定の変貌をとげるとともに、自然の恵沢として採捕される食品にも環境汚染の影響がつきまとうようになった。すなわち、組織力、財力及び権力を持ち合せた被告国のみが食品の安全性を確保することができるという状況になったのであって、食品の安全性を確保するうえで、製造販売者にのみ責任ありとしてすまされる状況ではなくなった。

このような状況からすると、食品製造業者に安全性確保の義務があるとしても、なお、食品の絶対的安全性の確保は被告国の基本的責務に属するものであるといわなければならない。

② 食品衛生行政のあり方

食品衛生法の目的とするところは、「飲食に基因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与すること」にあり、この目的達成のために厚生大臣に強大な行政権限を付与し、その行政権限の適正な行使を通じて、食品の安全性を確保するという体系をとっている。

そして、憲法一三条、二五条を受けて制定された食品衛生法の趣旨からすれば、同法上の表現が「……できる」という権限規定の形式になっている場合においても、国民に代って食品の安全性を確保するという目的に沿って権限を適正に行使しなければならない制約を受けているというべきである。仮に、行政権限の行使に裁量の余地があるとしても、それは国民の健康を確保するためどのように食品の安全性を維持増進させるかという面についてのみ認められるというべきである。すなわち、食品の安全性を確保することについては、裁量の余地がなく行政庁の義務であり、食品の安全性を維持増進する方法、程度についてのみ裁量の余地がありうるというべきである。

(2) 水俣病における食品衛生法四条の要件該当性

① 食品衛生法四条の趣旨

食品衛生法四条は、昭和四七年の改正前において、「左に掲げる食品又は添加物は、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む、以下同じ。)、又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。」「二 有毒な、若しくは有害な物資が含まれ、若しくは附着しているもの。但し、人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定める場合においては、この限りではない。」と規定されていた。

右規定の趣旨は、人の健康をそこなうおそれのある食品等の販売等を禁止することによって、食品衛生法の目的であるところの、食中毒等「飲食に起因する危害の発生を防止」することにあり、これは食品の安全性を確保するための当然の規定である。

同法四条二号は、昭和四七年の改正により、「又はこれらの疑いがあるもの」という表現が新たに付け加えられたが、これは、改正前の規定が「疑いのある」食品の危険を容認していたわけではなく、改正によって、趣旨を明確にしたに過ぎないものと解すべきである。

そして、同法四条の文理上の表現は、すべての国民に向けられた規範の形式をとっているが、そもそも食品衛生法は、国民の生命・健康を維持増進するため食品の安全性を確保する目的に沿って立法され、運用されるべきものであり、国民の生命・健康を直接に保護するものであるから、行政として「できることはなすべきだ」ということが原則である。特に、水俣病のように患者が多発し、その病状が重篤な場合には、その被害の深刻かつ広範な発生の可能性から緊急避難的に行政の規制権限を規定したものと解すべきである。すなわち、国民の生命・健康を守る緊急避難的見地から、名宛人に対する規制が名宛人との関係で違法でない、すなわち適法に規制しうることになる。したがって、行政庁は、食品の安全性を確保し、食品による被害の発生を防止するために前記権限を行使すべきであり、同法四条は右食品の安全性を確保するための義務規定と解すべきである。

② 水俣病における要件該当性

漁民が魚市場等へ販売するために漁獲することは、食品衛生法四条にいう「販売の用に供するために、採取し」に該当するが、漁民は通常販売の用に供する目的をもって魚介類を採取しているのである。更に、水俣病のように被害が重大である場合には、個別政策的に行動の自由を規制しなければ国民の生命・健康の安全を守れないのであるから、いわゆる自己摂取も規制の対象となるといわなければならない。

そして、水俣湾の魚介類を食べた猫ないし人が発病することが明らかになった段階においては、水俣湾内の魚介類は、同条二号に該当するというべきであり、昭和三二年九月の段階において水俣湾内の魚介類は魚種を問わず有毒化していたのであるから、昭和三二年九月の段階においては、食品衛生法四条二号の要件を具備していたというべきである。

(3) 作為義務違反

① 食品衛生法四条二号の適用を妨害した被告国の責任

前記一の2の(一五)のとおり、厚生省は、被告熊本県からの照会に対し、食品衛生法四条二号は適用できない旨の回答をしたのであるが、当時の調査結果等からすれば、魚介類が有毒化していることの資料があったのであるから、まず、同条に基づく販売・採取の防止措置をとるべきであり、その後右有毒物質の究明を尽くすべきであったのであって、厚生省としては、食品の安全性を確保するため同条の適用を積極的に推進させるような回答をすべきであった。ところが、厚生省は、右のとおり、同条の適用を妨害する回答をなした。その結果、同条の適用は実行されなかった。もし右時点で同条の適用を実行していれば、原告ら多数の住民は水俣病に罹患しないですんだのであり、被告国は、水俣病患者の発生・拡大に直接的に加担したというべきである。

② 販売・採取等の防止措置義務違反

昭和三二年九月の段階においては、被告熊本県としては、食品衛生法四条を適用し、「(ア)水俣湾内の魚介類を摂取することは危険であること、(イ)水俣湾沿岸の住民に対し、水俣湾の魚介類の『販売』を禁止すること、(ウ)漁民に対し、水俣湾の魚介類の『採取』を禁止すること、(エ)鮮魚店及び魚市場に対し、水俣湾の魚介類の『販売』、『貯蔵』及び『陳列』を禁止すること」を旨とする知事告示による魚介類の有毒性の周知徹底等多様な措置をとって、人体被害の発生を防止すべき義務があった。そして、更に、販売・採取等の防止措置義務を貫徹するために、食品衛生法四条に違反した場合には行政処分のみではなく、刑罰が科せられる旨を右知事告示に付加すべきであった。

しかるに、被告熊本県は、厚生省の回答に盲従し、同条に基づく知事告示を実行しなかった。

③ 危害除去義務、営業停止等の義務違反

厚生大臣または熊本県知事は、営業者が水俣湾内の魚介類を販売等した場合には、食品衛生法二二条に基づき食品衛生上の危害を除去するために必要な処置をとることを命じ、あるいは営業を禁止又は停止させることができたのであり、有毒物質に汚染された魚介類を摂取することによって水俣病に罹患することが判明し、しかも、水俣湾周辺で水俣病により人が相次いで死亡していくという危険が現実化していた状況のもとにあっては、右権限の行使は自由裁量ではなく、その権限を行使することが義務となっていたというべきである。すなわち、鮮魚商、魚市場仲介人、漁民等の営業者に対し、有毒な魚介類を廃棄させるなどの食品衛生上の危害を除去するための必要な処置、営業を期間を定めて停止させる処置、営業の全部又は一部を禁止する処置、営業の許可を取り消す処置をなすべき義務があった。

同法二二条に基づく措置は、魚市場等に対しては容易であり、鮮魚店に対しても魚介類の流通経路を調査する等さえすればその魚介類が水俣湾内で漁獲されたものかどうかを確定した上でとることが可能であったが、被告熊本県において右義務を何ら尽くさなかったために、魚介類の流通経路に沿って水俣病被害が拡大していったのである。

④ 調査義務違反

被告熊本県は、水俣湾内の魚介類の有毒性はすでに明らかであったのであるから、食品衛生法一七条に基づいて鮮魚商や魚市場仲介業者等の営業者、漁民その他の関係者に対し、水俣湾魚介類の採取・流通経路等の必要な調査活動を行うべきであったし、水俣湾外の魚介類についても、その有毒性について調査し、どの海域の魚介類までが危険なのか調査すべきであった。

そうすれば、その後の水俣病被害の拡大を防止することができたのである。

(四) 行政指導義務とその懈怠

(1) 被告国は、あらゆる行政指導を行って被害の防止につとめるべきであった。すなわち、行政指導は、事実上権力的処分に準ずる効果をもつのであり、水俣病に対処するに際しても、被告国は、「事実上の強制」を伴う行政指導の限りを尽くして、その発生の防止のために全力をあげる必要があった。

(2) 厚生省及び被告熊本県がなすべきであった行政指導

伊藤所長の猫実験の成功によって水俣病が水俣湾内に生息する魚介類を摂食することにより発症するものであることが確認されたのであるから、遅くとも昭和三二年四月には、厚生大臣及び熊本県知事に、水俣湾及び周辺の水域の魚介類を反復して多量に摂食する可能性のある地元住民に対し、これを止めるよう指導すべき作為義務が発生していたのであり、そのためには、第一に、水俣湾及びその周辺水域での魚介類の摂食の絶対的禁止の告示とその周知徹底を図る義務があったのであり、第二に調査解明義務があったのであり、更に、第三に、危害予防義務として、昭和三二年春の時点では、水俣病の原因が工場排水で有毒化していた魚の摂食によることが明らかとなっていたのであるから、水俣湾及びその周辺水域に対して魚介類の漁獲・販売を禁止すべきであったのである。

(3) しかしながら、被告熊本県が行ったといわれている漁獲禁止の「行政指導」なるものは、漁業協同組合の一般組合員を直接指導したものではなく、組合理事だけを対象としたものであって、漁民に徹底する方策は何らとっておらず、全く効果がなかったのである。すなわち、当時なされたとされる行政指導はその範囲が狭すぎたのであり、もっと広い範囲に行われるべきであったのである。

4 昭和三四年一一月までの段階

(一) 被告国・熊本県の認識

(1) 漁業被害

熊本県知事は、昭和三四年当時、不知火海一円において水俣工場排水による深刻な漁業被害が発生していたことを認識していた。

(2) 動植物の異変

昭和三四年一〇月六日に発表された水俣食中毒部会の「水俣病研究中間報告」の「不知火海沿岸各漁村部落ネコの水銀量」によると、不知火海一円の猫が水銀によって汚染されていることが明らかであり、被告国・熊本県は右事実を認識していた。

(3) 人体被害

① 水俣病患者が続発していたこと及びその続発の可能性について、被告国(厚生省)・熊本県は十分予見することができた。

② 被告熊本県は、やがては、人体被害が不知火海一円に拡大することを予見ないし認識していた。

(二) 被告国・熊本県の責任

(1) 被告国・熊本県は、憲法前文、同一三条及び二五条、厚生省設置法四条、地方自治法二条三項の立場からして、国民の生命・健康・財産への重大な侵害が存在し、かつ被告国・熊本県自らもこれを知っているときには、行政の権限を規定した法規が、直接的には国民の生命・健康・財産を守ることを目的にしてはいなくとも、その権限を行使することによってその侵害を防止することができる場合はもちろんのこと、さらには行政庁の権限が明示的に規定されていない場合であっても、現実的になしうる防止措置をとるべきであり、直接国民の生命・健康・財産を守ることを目的とする法規がある場合は断固としてその権限を行使して、国民の生命・健康・財産を守るべき義務があるのである。

昭和三三年から同三四年にかけては被告国・熊本県はまさに右の立場で水俣病の発生・拡大を防止すべきであった。

(2) 水産行政上の責任

① 厚生省は、昭和三三年七月七日、水俣工場排水中の重金属(セレン、マンガン、タリウム)が水俣病の原因であると推定し、昭和三四年一一月には、厚生大臣に対して水俣病の原因物質は有機水銀とまで特定されて答申されたのであるから、熊本県知事としては、一刻の猶予もなく、水俣工場排水の規制及び漁獲禁止措置をとらなければならなかったのである。

② しかしながら、熊本県知事は、水産資源保護法四条一項四号に基づく調整規則三二条二項による排水停止、少なくとも閉鎖循環方式などによる水俣工場排水規制措置をとっていないし、かつ漁業法三九条一項及び調整規則三〇条一項による水俣湾周辺についての漁獲の操業停止等の措置もとっておらず、その義務違反は明らかである。

とくに、熊本県知事が昭和三三年九月段階までに水俣工場の排水停止措置をとっておれば、水俣工場の排水路変更による不知火海一円への汚染の拡大を防ぐことができたのは明らかである。

③ 熊本県知事の前記権限はいずれも被告国の委任事務によるものであり、被告国はその責任を免れえない。

被告国は、第二期石油化計画を策定していく中でさらに被告チッソに対する保護育成政策を通じて、被告チッソにカーバイド・アセチレン法によるアセトアルデヒド及び塩化ビニールの大増産を行わせ、その結果、ますます水産資源の汚染が進行・拡大し、水俣病患者は発生・拡大したのである。

(3) 食品衛生行政上の責任

① 昭和三四年七月には、水俣病の原因物質が有機水銀であることが明らかにされ、同年一一月には、厚生省もこれを認めるところとなったのであるから、一刻の猶予もなく食品衛生法により水俣湾周辺だけでなく、水俣川河口周辺も含めて緊急に漁獲禁止をすべき事態となったのであり、被告国・熊本県は直ちに食品衛生法を適用すべき状況にあることを十分に認識していた。

そして、水俣病の原因物質が判明する以前でも食品衛生法による規制は可能だったのであるが、判明後においては、総水銀による規制を行うことが十分可能であった。

② 熊本県知事は、昭和三二年九月以降いつでも食品衛生法四条二号に基づき、水俣湾産魚介類の「採取」・「販売」等を禁止する知事告示を行い、販売・採取等の防止措置を講ずべき義務があった。また、営業者に対しては有毒な魚介類を廃棄させるなどの食品衛生上の危害を除去するために必要な処置等をとるべき義務があった。

さらに、水俣湾内を出入りする廻遊魚についての湾外における有毒性の調査や水俣湾周辺の魚介類の有毒性の調査、水俣湾周辺で採取された魚介類の販路についても調査する義務があった。

そして、昭和三三年九月の排水路変更以降、汚染が水俣川河口を経て不知火海一円に拡大してからは、少なくとも水俣湾及び水俣川河口周辺、さらには不知火海南部海域一円について右の販売・採取等の防止措置を講ずべき義務があった。また、営業者に対しては有毒な魚介類を廃棄させるなどの食品衛生上の危害を除去するために必要な処置等をとるべき義務があった。さらに汚染の範囲や魚介類の採取海域や流通経路について調査をする義務があった。

加えて、昭和三四年一一月には、水俣病の原因物質がある種の有機水銀であることが明らかとなったのであるから、一刻の猶予もなく右各措置をとるべきであった。

しかし、熊本県知事は右知事告示すらも出していないのであって、右義務違反はもはや到底許されるものではない。

③ 熊本県知事の前記権限は、いずれも被告国の委任事務によるものであり、被告国はその責任を免れえない。しかも、厚生大臣は、直ちに熊本県知事をして前記知事告示を出させるなどの措置をとらなければならなかったにもかかわらずこれを怠った。

被告国は、第二期石油化計画を策定していく中でさらに被告チッソに対する保護育成政策を通じて、被告チッソにカーバイド・アセチレン法によるアセトアルデヒド及び塩化ビニールの大増産を行わせ、その結果、ますます水産資源の汚染が進行・拡大し、水俣病患者が発生・拡大したのである。

(4) 水質二法行政上の責任

① 水質二法が制定された時期は、水俣病が「再発生」したとされた時期であり、水俣病に関していえば、まさに行政が国民の生命・健康・財産を守るために水俣工場排水を規制すべく制定された法律であり、直ちに適用されるべき法律であった。

② 水質保全法と工場排水規制法との関係

水質保全法は、河川・湖沼・港湾・沿岸海域・その他の公共の用に供せられる水域(公共用水域)の水質の保全を図るために、水汚染が問題となっている水域を指定し(指定水域)、その指定水域に排出される水の汚染度の許容基準すなわち「水質基準」を設定するにとどめ、そのための規制の方法や違反した場合の制裁については規定していない。

これに対して、工場排水規制法は、水質保全法によって定められた水質基準を具体的に工場・事業場等に適用し、当該工場等の排水の水質が右基準に適合しない場合、種々の規制を課しているのであって、二つの法律があいまって公共用水域の水質の保全という目的を達成しようとしていたのである。

③ 水質保全法と経済企画庁長官の作為義務

水質保全法は、水質規制に関する基本法としての地位にあり、公共用水域の汚染の防止、水質の保全は緊急を要するにもかかわらず、指定水域の指定、水質基準の設定がなされなければ、具体的な規制が発動しない仕組になっているのであるから、経済企画庁長官は、同法五条の「公共用水域のうち当該水域の水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の被害が生じ若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれのあるもの」という要件に該当する以上、すみやかに指定水域の指定をなすべき義務があるとともに、右のような被害や影響又はそれらのおそれを除去するに必要な水質基準を設定する義務がある。

④ 工場排水規制法と内閣及び主務大臣の作為義務

工場排水規制法は、製造業等の用に供する施設のうち汚水等を排出するものを政令で「特定施設」として定め(二条二項)、特定施設を設置している者には、その特定施設から排出される汚水等の処理を適切にし、公共用水域の水質の保全に心掛けなければならない(三条)旨を規定し、工場等における水質保全の基本的義務を課し、他方特定施設ごとに政令で定める主務大臣を定め(二一条)、その主務大臣は、特定施設を設置している者に対し、同法四条以下の規定に基づいて種々の規制をし、もって公共用水域の水質の保全の実を上げようとするものである。

そこで、まず、内閣には、政令により、製造業等の用に供する各施設で汚水等を排出するものにつき、公共用水域の汚染の防止、水質の保全という法の趣旨にのっとり、すみやかに特定施設を指定するとともに、特定施設ごとに主務大臣を定める義務がある。

次に、主務大臣は、(ア)工場排水等を指定水域に排出する者が特定施設の設置・変更を行う場合あるいは特定施設の使用方法ないし汚水の処理方法の変更を行う場合に事前にその計画を提出させたうえ(四条ないし六条)、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合するかを検討し、適合しないと認めるときは、汚水の処理方法に関する計画の変更を命じ、更に必要のある場合は特定施設自体に対する計画の変更又は廃止を命じ(七条)、(イ)工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認められるときに、汚水等の処理の方法の改善、特定施設の使用の一時停止やその他必要な措置をとるべきことを命じ(一二条)、(ウ)必要によっては立入り検査(一四条)や報告の徴収をし(一五条)、もって、公共用水域の汚染の防止、水質の保全をはかるべき義務がある。更に、水質保全法二条及び工場排水規制法三条の趣旨からして、主務大臣には、指定水域の指定のない場合でも、特定施設を設置している者に対して、その特定施設の状況、汚水等の処理の方法又は工場排水等の水質に関し報告させ、その調査結果によっては、各工場、事業場に対し汚水処理施設を整備させるための行政指導を積極的に行う義務がある。

⑤ 経済企画庁長官の作為義務違反

昭和三四年一一月までに水質基準の設定の前提条件は備っていた。すなわち、水質基準の設定の前提条件は、(ア)当該水域の汚濁が特定の工場から排出される廃水によるものであることが社会観念上明らかであること、(イ)廃水中の特定物質を除去すれば当該水域の汚濁を防止できることが社会観念上明らかであること、(ウ)廃水中の特定物質の分析定量方法が一応確立されていること、(エ)廃水中の特定物質の許容限度は指定水域の要件となった事実を除去し、または防止するのに必要な限度を越えないものであることが必要であると解されるところ、水俣湾及び不知火海南部海域については、右前提条件は満たされていた。

したがって、経済企画庁長官は、水質保全法五条一項、二項に基づき、次のような水質基準を設定すべき義務があった。

「指定水域

水俣大橋(左岸・熊本県水俣市八幡町三番地の二四地先、右岸・熊本県水俣市白浜町二一番地の二五号地先)から下流の水俣川、熊本県水俣市大字月浦字前田五四番地の一から熊本県水俣市大字浜字下外四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれに流入する公共用水域

水質基準

アセトアルデヒド醋酸製造業またはアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場または事業場から右に掲げる指定水域に排出される水の水質基準

水銀またはその化合物 検出されないこと(ジチゾン比色法による)

適用の日 昭和三四年一一月三〇日」

しかるに、経済企画庁長官は、右義務を全く履行しなかった。もし、経済企画庁長官が右の指定水域の指定及び水質基準の設定をしておれば、主務大臣となったはずである通商産業大臣(以下、「通産大臣」という。)としても水俣工場に対し、工場排水規制法に基づく強力な規制を実施せざるを得ず、その結果、水俣病の発生・拡大を防止しえたはずである。

⑥ 内閣の作為義務違反

内閣を構成する各大臣は少なくとも昭和三四年一一月までに水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造施設と塩化ビニールモノマー製造施設の排水が水俣病の原因であることを十分知っていたか、少なくとも容易に知ることができたことは明白であって、内閣には、工場排水規制法二条二項に基づき遅くとも昭和三四年一一月までに政令で水俣工場の右両施設を「特定施設」と定める義務があったとともに、同法二一条により、通産大臣を右両施設についての主務大臣と定めるべき義務があった。

しかるに、内閣は右義務を全て履行しなかった。もし、内閣が右義務を履行しておれば、通産大臣としても、水俣工場に対し、工場排水規制法に基づく強力な規制を実施せざるを得ず、その結果、水俣病の発生・拡大を防止しえたはずである。

⑦ 通産大臣の作為義務違反

本件の場合には、通産大臣は主務大臣としてあるいは少なくとも主務大臣に準じて工場排水規制法一五条に基づき水俣工場に対して行政指導することができ、行政指導すべき義務を負っていたというべきであり、さらに、国(通産省)は、産業政策の遂行にあたって国民の生命・健康を保障する立場から工場排水の規制を行うべき義務があったというべきである。具体的には、通産大臣は、遅くとも昭和三四年一一月までには、被告チッソに対し、アセトアルデヒド醋酸製造施設や塩化ビニールモノマー製造施設の状況、汚染物質等の処置の方法又は工場排水等の水質に関し報告をさせるか又は独自に調査をなし、その結果に基づいて、「水銀またはその化合物」が公共用水域に排出されないようにするために、アセトアルデヒド母液等が冷却水内に流出されないように、アセトアルデヒド母液の閉鎖循環方式及びその故障や解体時において水銀を冷却水内に排出しない方法などの汚水処理施設を整備させるため、行政指導を積極的に行う義務があった。

しかるに、通産大臣は、厚生省において水俣病の原因が水俣工場の排水であり、その原因が有機水銀であると発表したにもかかわらず、その原因究明を被告チッソとともに否定し、サイクレーターの水銀除去能力を調査すらもせず、被告チッソに対し閉鎖循環方式の排水処理施設をつくらせようともせず、水俣工場排水を水俣湾、不知火海に流出させるがままに放置したものであり、その結果、水俣病被害を発生拡大させたものである。

(5) 警察法・警察官職務執行法上の責任

① 魚介類の捕獲禁止措置を行わなかった違法

遅くとも昭和三四年一一月の段階においては、水俣湾内周辺の有毒魚介類の摂取によって重大な人体被害が発生していたことは明白であったのであるから、被告国・熊本県は、警察官職務執行法四条一項に基づき、警察官等をして、現実に水俣湾内の漁獲を行う漁民に対しては、まず、何よりも水俣湾産の魚介類を摂取すれば水俣病に罹患することを警告し、立て札や回覧・放送等により周知徹底すべきであり、それにもかかわらず、水俣湾内において操業する漁民がいるのであれば、警察官を陸上または海上に配置し、操業しないよう説得してこれをひきとめ又は中止させ、さらにこれに応じない者に対しては実力をもってこれを止めさせるよう措置すべきであったが、これらの措置はついにとられることはなかった。

② 水俣工場廃液の浄化または排出停止措置を行わなかった違法

熊本県警察本部長は、水俣湾の魚介類が水俣工場の廃液により有毒化していることを知りえたのであるから、所属の警察官をして、被告チッソに対し、まず、警察官職務執行法四条一項に基づき、水俣湾内に有毒な廃液を排出することは、毒物及び劇物取締法、水産資源保護法、調整規則、港則法、河川法、漁港法、清掃法、軽犯罪法等に違反する旨警告し、直ちに除害設備を設置するか、排出を停止するよう指導すべきだったのであり、それでも被告チッソがなお廃液の排出を強行した場合には、少なくとも、昭和三一年一一月三日以降にあっては、直ちに水俣工場長に廃液の排出停止を命じ、これが無視されたときは自ら百間排水口を閉鎖する等の措置を取るべきであったとともに、殺人及び傷害または業務上過失致死傷の疑いで水俣工場の工場長等の幹部に対し強制捜査に踏切るべきであった。

しかしながら、熊本県警察は、右いずれの措置も取らなかった。

5 規制権限不行使の責任と根拠法規との関係

(一) 義務法規違反

ここで義務法規とは、企業ないし市民が他人に対し被害をもたらさないために、法規が行政庁に対しその可能的加害者に対する一定の権限を与えるとともに、同時に、その権限を行使して、損害を発生させないことが行政庁の国民に対する義務ならしめている法規をさす。食品衛生法については、直接国民の生命・身体・健康の維持に係わる食品の絶対的安全性の要請からみても、また、公衆衛生は個人の健康の集積をまってのみ到達可能であることからしても、そして憲法一三条、二五条の趣旨を踏まえて積極行政の根拠規定であることからしても、行政が食品衛生法によって与えられた権限は、国民個人に対する直接的義務を意味するというべきである。水質二法も全く同様である。

漁業法、水産資源保護法関連法規は、加害者の経済性と被害者の経済性の調和点として、裁量の余地があるようにみえる。しかし、水産資源もまた結局は国民の生命・身体・健康に係わるものであり、しかも本件ではまさに、かかる状況下における資源の枯渇があったのである。これまた、義務規定と解さざるを得ない。警察官職務執行法などについてもしかりである。

したがって、これらの権限不行使は当然、国家賠償法上違法と判断される。そこで、不行使について過失があったか否かのみに帰するが、それは、被害の予見可能性で足りる。

(二) 裁量法規違反

(1) 法規が行政庁に、可能的加害者に対する損害発生抑止の規制権限を与えているが、その権限を行使するか否かは行政庁の裁量に委ねられ、たとえ不行使の結果、国民に被害が発生しても、その不行使は、国民との間で違法にはならないという解釈がとられる場合においても、いわゆる裁量権収縮の要件が備るならば、裁量はゼロに収縮して、国民個人に対し義務化すると解することは判例学説上異論をみない。また、裁量権収縮の要件は、権限裁量法規を義務規定化する機能のほかに、法規が欠缺している場合に権限自体を導きだす機能を与えられていることは定着した考え方である。

(2) 裁量権収縮の具体的要件については、厳しいものから緩和されたものまであるが、もっとも普遍的な要件は、①国民の生命・身体・健康に対する毀損という結果発生の危険があること、②行政庁において規制権限を行使すれば容易にその結果の発生を防止することができること、③行政庁が権限を行使しなければ結果の発生を防止できないという関係にあること、④行政庁において右危険の切迫を知りまたは容易に知り得べかりし情況にあること、⑤被害者として規制権限の行使を要請し期待することが社会的に容認され得る場合であること(東京スモン訴訟判決、東京地裁昭和五三年八月三日判決)であるが、本件では右要件を充たしており、仮に、原告らの引用した法規が裁量法規という解釈に立っても、その権限不行使は当然違法となると解するものである。

(三) 緊急避難的行政行為

国民の生命・健康・財産への重大な侵害の危険が切迫し、行政庁がそれを容易に知り得るときは、行政の権限の規定法規が、直接には国民の生命・健康・財産を守ることを目的としていなくともその権限を行使することによってその侵害を防止することができる場合はもちろんのこと、さらには行政庁の権限が明示的に規定されていない場合であっても、行政庁は行使可能な権限行使や行政指導等あらゆる可能な手段をつくして現実的になしうる防止措置をとるべきである。ここでいう緊急避難的状況とは実は前述した裁量権収縮の要件に示された状況にほかならない。そして、本件水俣病をめぐる諸状況は、かかる行政行為を必要とする緊急事態であったのである。

6 被告国・熊本県の主張に対する反論

(一) 反射的利益論について

元来反射的利益論が論じられてきたのは抗告訴訟における原告適格の有無の認定に関してであり、本件のような国家賠償請求訴訟の場にもちだすのは筋違いの主張である。

(二) 法律による行政について

被告国・熊本県は「法律による行政」の原則を主張するが、その本来の趣旨は、国民の権利自由を保障するところにこそ、その主眼があるのであるから、国家の行為(不作為を含む)によって生命・健康等の重大な法益を侵害された原告らのような国民が、その救済を求めて、国等に対して国家賠償を請求しているような事案において、「法律による行政の原理」の形式的適用を強調することは許されないというべきである。

(三) 行政指導の作為義務について

被告国・熊本県は、本件の場合に担当公務員が行政指導しなかったとしても、その不作為が作為義務違反にならないと主張するが、行政指導がなされると、それが権力を背景にもち一応の合理性を備えていれば、相手方は通常従わざるを得ない現実があるのであるから、むしろ従わなかったはずだという方に立証責任があるというべきである。したがって、右立証がなされていない以上、行政指導も作為義務の根拠となりうるというべきである。

三被告国・熊本県の主張の要旨

1 基本的視点

(一) 公権力の行使に当たる公務員の行為が国家賠償法一条一項の適用上違法であると評価されるためには、その公務員が損害賠償を求めている当該国民に対して個別具体的な職務上の法的義務を負担し、かつ、当該行為が右職務上の法的義務に違反してなされた場合でなければならない。すなわち、右職務上の法的義務は、単なる内部的な職務規律上の義務では足りず、公務員がその行為規範として個別の国民に対して負う職務上の義務でなければならないのである。

このように国家賠償法上の違法をとらえるべきものとすると、規制権限の行使・不行使に係る当該公務員の職務上の法的義務は、基本的にその規制権限を規定する根拠法規に求められるから、本件で問題となっている公務員の規制権限の不行使が、国家賠償法上違法となるかどうかは、当該公務員の右規制権限の行使の過程における行動が規制権限の根拠となる法令の定めに違背しているかどうかの問題ということができ、したがって、違法性判断の第一次基準は当該行為の根拠法規ということになる。

(二) そして、当該公務員の権限不行使が国家賠償法一条一項にいう「違法」となるためには、権限不行使の時点において、当該公務員に当該職務行為を行うべき作為義務が存し、かつ、その作為義務に違反してその職務行為を行わなかったことが必要である。

(1) 規制権限を問題とするときには、その行使は多かれ少なかれ規制を受ける側の国民の権利を侵害するものであるから、法律による行政の原理からして、原則として法律上の明文の根拠を要する。

(2) 規制権限の不行使の違法を基礎づける作為義務が生ずるか否かは、当該規制権限の根拠法規の趣旨、目的、性格を十分に検討し、かつ、具体的権限発生の要件は何かを各法規に沿って検討して判断されなければならない。

そこで、まず、当該規制権限の根拠法規の趣旨、目的が、原告らが侵害されたと主張する具体的利益の保護を目的としていない場合には、そもそも当該根拠法規の趣旨、目的を離れて公務員が権限を行使する義務はないのであるから、原告らに対する作為義務を借定することはできず、権限不行使の違法が問題となる余地はない(反射的利益論)。

次に、原告らが被告国・熊本県の公務員においてとるべきであったと主張する規制措置について、原告らが指摘する法条が果たして規制権限の根拠規定たりうるのか、それを行使する要件が当時の具体的事実関係の下で充足されていたのか、ということが検討されなければならない。

(3) 更に、ある規制権限について、それを行使するための要件が完全に充足されているとしても、その規制権限を行使するか否かが行政庁の裁量に委ねられている場合は、不行使の当・不当が問題とされることはあってもそれが違法とされることは原則的にはあり得ないのであり、また、ある規制権限について、その権限を行使すべき要件が充足されているか否かの判断について行政庁の専門性・技術性という観点から一定の裁量の余地が認められている場合には、第一次的には右行政庁の専門的判断を尊重すべきであって、事後的にその判断の当否を論ずるに当たっても、第三者が自ら行政庁の立場に立って判断し、その結果と行政庁のした判断との不一致を問題とするといったような、行政庁の裁量を無視した判断代置方式によるべきではなく、行政庁のした判断を前提として、それが右裁量の範囲を逸脱しているか否かという観点から慎重に検討されるべきである。

(三) 本件のように規制権限の不行使の違法が問題となっている場合には、いわゆる裁量権収縮論によるべきではなく、裁量権消極的濫用論によるべきである。

すなわち、国家賠償法一条一項における違法の判断は、総合的な法的価値判断であるとはいえ、それが実定法の解釈である以上、第一に評価の対象となる行政作用を規律する根拠法規や権限根拠規定の趣旨、目的等を十分に参酌してなされなければならないことは当然のことであって、このことは、権利侵害的行政行為である規制権限の不行使に係る違法の問題を検討するについては、より一層妥当する。したがって、規制権限不行使が国家賠償法上違法と評価されるための判断枠組みは、具体的諸事情の下において、権限行使を行政庁に委ねた根拠規定の趣旨、目的、性格等に照し、その不行使が著しく不合理と認められるか否かを基準とすべきである。

(四) 本件のように、直接の加害者が別に存在する場合においては、まずその者に対する損害賠償請求をすれば足りるのであり、被告国・熊本県が損害賠償責任を負うためには、その不作為において違法性が規範的評価において直接の加害者の不法行為に加功、加担し、共同不法行為と認められる程度に達していなければならない。

2 被告国・熊本県の認識状況

(一) 昭和二九年八月までの段階

(1) 三好係長の報告について

三好係長は、水俣湾における漁獲減少の原因がカーバイド残渣、工場排水、それ以外の原因のいずれにあるのか不明であったことから、その原因の一つとして水俣工場の排水を疑ったことはあるものの、右排水中に水銀が含まれているとか、それが漁獲減少の原因となっているとまで考えていたものではない。三好係長は、水銀は触媒であって何ら変化がないものと考え、また水銀が有毒という認識もなかったことから、生簀の魚の斃死はアセトアルデヒド母液が漏れて酸性の硫酸が流れだすためではないかと単純に推測したにすぎず、漁獲減少の原因として水銀を念頭において水俣工場の係員に尋ねたものでもないのである。また、三好係長は、排水分析が望ましいと指摘しているが、これは、将来漁業被害に関する紛争が生じた場合の資料とするために分析が望ましいとしたものであり、PH・BOD等の一般的な分析の必要性を考えたものであって、水銀ないし醋酸系排水が漁獲減少の原因であり、危険なものであるという認識はなかったのである。三好係長は、当時、熊本県経済部水産課の振興係長として、主に熊本県内の水産振興に関する企画、助成、水産製品の生産検査の職務に従事していたものであって、その職務内容に照し、水銀ないし醋酸系排水が漁獲減少の原因であり、ひいては人体に有害であるというような専門的科学的知識を有すべき地位にはなかったのであるから、右の認識がなかったのはやむを得ないことというべきである。

(2) 衛生担当公務員について

被告熊本県の衛生担当公務員がチッソ附属病院からの通報を受けて後に水俣病とされた奇病を確認したのは昭和三一年五月のことであって、昭和二九年八月当時にはまだ水俣病が発生していることを全く知らなかった。すなわち、被告熊本県が水俣病患者の存在を初めて知ったのは昭和三一年五月であり、昭和二八年ころから水俣病患者が発生していたことを知ったのも昭和三一年五月のことである。

(二) 昭和三二年九月までの段階

被告国・熊本県の衛生担当公務員が、昭和三二年九月までの段階において、水俣病患者が発生していることを認識し、その原因が水俣湾産の魚介類の摂食によるものであることの疑いを有していたことは事実である。

しかしながら、危険な魚介類が生息しているとの認識は、あくまでも、水俣湾内の魚介類についてであって、水俣湾外の海域の魚介類についてではない。また、当時は原因物質としては主としてマンガンが疑われていた時期であり、原因物質が水俣工場の排水に由来するメチル水銀であることは全く判明しておらず、昭和三二年九月までの水俣病の原因究明の経緯に照しても、担当公務員が、水俣病の原因がメチル水銀であり、しかも、それが水俣工場の排水に由来するものであることの認識を有していなかったこと及びこれを認識することも全く不可能であったことは明らかであるというべきである。この時期においては、新たな患者が一名も発生しておらず、被告国・熊本県の担当公務員としては、水俣湾内の魚介類の摂食禁止等の行政指導等が効を奏しているものと認識していたのである。

(三) 昭和三四年一一月までの段階

(1) 水俣病の原因物質についての認識

熊大研究班内で提唱された有機水銀説は、現在ではその正当性が承認されており、この見解がその後の原因究明に果たした功績は十分に評価されなければならない。

しかし、この説が提唱された時期においては、熊大研究班の中でも一致をみず、依然セレン説やタリウム説も精力的に唱えられており、水俣工場の反論等にみられるように、なお、検討すべき課題も多かったのである。そして、このことは、昭和三四年一一月において示された食品衛生調査会による答申についても同様であって、一応の結論は示されたものの、これ以後も、原因物質をめぐる厳しい論争が続けられることになるのである。歴史的に振返ってみて、いつの時点で原因が究明されたといえるかということと、その当時種々論争されている中でいかなる説を正当なものと判断できたかということは明らかに別のことであって、このような有機水銀説が一部において唱えられたからといって、直ちに同説を前提とした規制措置が採りえないことはいうまでもない。

(2) 水俣工場の排水経路変更についての認識

昭和三四年三月以降、それまで途絶えていた患者が水俣川河口付近から発生し始め、患者発生地域が次第に北上したことは事実であり、現在においては昭和三三年九月に水俣工場がアセトアルデヒド製造工程の排水経路を水俣川河口に変更したことが判明しており、このことが患者が北方に拡大したことの原因と推測することもできるのであるが、当時、被告国・熊本県において、右排水路変更の事実を知っていたわけではない。被告国・熊本県が右排水路変更の事実をおぼろげながら知るようになったのは、昭和三四年六月ころのことであって、当時は有機水銀説が唱えられる以前のことでもあり、被告国・熊本県の認識も特定の排水系統に着目したものではなく、工場の内部で何らかの排水系統の変更があったらしいという漠然たるものであった。

以上のとおり、昭和三四年六月ころに至るまでは、水俣工場が排水経路を変更したことを被告国・熊本県は全く知らず、中村末義の発病時までは、水俣湾の北においても、南においても、水俣病は発病していなかったことからすれば、当時、被告国・熊本県の公務員において将来の水俣病患者の発生及びその発生区域の拡大を予測することはできなかったものというべきである。

(四) 水俣病患者発生の推移

(1) 被告国・熊本県が知りえた水俣病患者は、昭和四三年の時点までで合計一一一名であり、そのうち胎児性の患者が二二名であるが、これは水俣病の原因究明に尽力した熊大研究班等の関係研究者を含め国民一般の認識でもあったのであって、少なくとも昭和四〇年代半ばに至るまでの約一〇年間これを疑うものはなく、まさに水俣病は昭和三五年をもって終息したと信じられていたのである。

(2) 患者発生の推移を概観すると、患者は昭和二八年以来、毎年平均して発生してきたのではないことは明らかである。すなわち、公式発見以来約七か月の間に二五名の患者が続発したが、その後、被告熊本県の行政指導等によって魚介類が危険との認識が浸透するとともに患者は発生しなくなり、この状態は、昭和三三年の夏ころに三名の発生をみただけで、昭和三四年春までの約二年四か月にわたり続いていた。水俣工場の排水がほとんど無処理のまま排出され、最も濃厚な汚染があったと考えられるこの時期に三名の例外を除き新たな患者の発生をみなかったということは、まさしく被告熊本県の実施した行政指導が患者発生防止に有効であったことの証拠であるし、このような事情を背景に、被告国・熊本県が行政指導により患者の発生を妨げると考えていたことには十分な根拠があったというべきである。

(3) 現在、熊本県及び鹿児島県を中心として、多くの住民が水俣病と認定されているが、その大部分は症状初発時期が昭和三五、六年以前である。このような状況からして、被告国・熊本県が認識していた患者以外にも現在の医学的知見に照せば水俣病と判断し得る患者がその当時から存在していたことは否定しない。

これらの者のほとんどが、その後一〇年余を経るまで水俣病と診断されなかった理由には種々のものがあるであろうが、その大きな要因の一つとして水俣病像の変遷ということを指摘しておかなければならない。すなわち、当時、水俣病の疾病像はハンター・ラッセル症侯群といわれる症候がほとんどそろって出現するものと理解されていたため、これらの症候がそろっておらず、しかもその各症状にしても、当時の重篤な患者の各症状が極めて特徴的であったため、現在におけるように軽微で症状の有無についてすら専門的な判断を要する患者については水俣病とは診断しえなかったのであり、当時の医学的知見の下においてはやむを得なかったというべきである。

したがって、被告国・熊本県の公務員は、医学関係者以上に特別の医学的知見を有するものではないから、医学関係者以上の認識を持つことは不可能であったというべきであって、原告らの被告国・熊本県において住民の健康調査を実施しておれば、なお多くの潜在患者の存在が判明していたはずであるという主張は失当である。

3 水俣地域における漁業被害

(一) 不知火海及び水俣市における漁獲高の変動をみてみると、これらに共通していることは、昭和三一年及び同三二年の漁獲高がその前後の年と比べて減少していることである。その原因のすべてを水俣病の発生と関連づけることはできないかもしれないが、水俣病の発生以降徐々に水俣湾内の魚介類が危険であるとの認識が浸透し、被告熊本県の漁獲禁止及び摂食禁止の行政指導ともあいまって漁民が水俣湾内での操業を自粛したことによる影響が大きいとみるのが合理的である。

これに対して、原告らは、水俣湾内及びその周辺海域で魚介類の異常が観察されたといった証言等を基にして水俣湾周辺の魚介類が枯渇していたかのような主張をしているが、仮に断片的にそのような事実があったとしても、それが水俣湾周辺という広範な海域での魚介類の生息状況とどの程度相関しているのかということになると、メチル水銀自体は魚介類をほとんど障害しないという、その毒性の特異性を考えるまでもなく、大いに疑問なのであって、実際、漁獲高に影響を与えるほど大量の魚介類の異常が観察されたというような報告などは一切存しないところである。

(二) 水俣湾外においては魚介類そのものが水俣工場の排水によって減少したというようなことはなかったと考えられるが、容易に湾外への漁法転換を図り得なかった漁民はもとより、それ以外の漁民においても一貫して窮状を訴えていたことは事実であり、水俣病が発生し、当初パニック状態の下で漁獲そのものが減少していた時期において、漁民が極めて深刻な打撃を受けたことは容易に理解することができるだけでなく、漁獲が回復してから後でも程度の差はあれ、漁民の窮状は続いていたものといえる。このような経緯において、漁民が被告熊本県に対し、何度か水俣湾の漁獲禁止ということを要求していたことがあるが、その趣旨は魚介類がもたらす健康被害を問題とするものではなく、事実上操業がされていない水俣湾内について漁獲禁止という法的措置を採ることにより漁民にその補償をして欲しいということにあったのである。

被告熊本県においては、漁獲を禁止する根拠法規は存しないと判断し、漁民に対しては別途できる限りの対策を講じてきたのである。

4 メチル水銀に関する知見について

(一) メチル水銀の毒性の特色

水銀には、極めて多種多様な化合物が存在し、その毒性も異なっている。まず、金属水銀は、経口毒性はほとんどないとされており、経気毒性としては、神経系統を侵し、精神症状、振せん等の症状がでるものの水銀から放れると回復するとされている。また、無機水銀化合物は、経口、経気毒性として、歯齦炎、口内炎、嘔吐、腹痛、下痢等の症状がみられ、主として肝臓や腎臓に蓄積される。さらに、有機水銀化合物の毒性は一様ではなく、フェニル水銀化合物等の毒性は、経口毒性として無機水銀化合物のそれとほとんど同様であるが、アルキル水銀やエチル水銀は、脳血管関門機構を通過して脳内に侵入し、とくにメチル水銀は神経細胞を障害して感覚障害や運動失調等のハンター・ラッセル症候群を引き起こすとされており、とりわけ、メチル水銀の毒性は特異なものである。

(二) 水俣病の発生機序の特異性

水俣病は、魚介類の摂食を介してメチル水銀が人体内に多量に取り込まれ、これが発症閾値を超えるまでに蓄積して引き起こされる疾病であり、その意味では一般の中毒と特に異なる点はないが、水俣病の発生機序が特異であり、その原因究明に多くの困難が伴ったというのは、その発症の前提として食される魚介類に従来予想もされなかったほど多量のメチル水銀が蓄積され、しかも魚介類自身をほとんど障害することはないというメチル水銀の特異性にある。

このようなメチル水銀の特異性が解明されたのは、昭和四〇年以降のことであり、水俣病患者が発生していた昭和三五年以前には予想もされていなかったことであった。

(三) 昭和三四年当時の水銀の定量分析法

(1) 総水銀の定量分析法

昭和三四年当時においては、無機(金属)水銀を分析対象とする発光分析法、水溶状態にした(イオン化した)水銀を分析対象とするジチゾン比色法があったが、発光分析法では排水中などに含まれる微量の水銀化合物の定量は全くできなかった。他方、ジチゾン比色法によると、通常の操作ではサンプル量五〇〇ミリリットル当たりで0.01PPmが定量限界であり、法規制として排水などに含まれる微量の水銀の定量分析を行うのは極めて困難であったというべきである。

この点については、東京工業試験所や水俣工場の技術部等では昭和三四、五年ころ、工場排水などを0.001PPmオーダーまで測定した旨のデータを出しているが、当時の東京工業試験所や水俣工場の技術部の定量分析技術というのは卓越していたものであり、到底通常の技術者による再現性のある数値とはいえず、これをもって定量限界となしえないものである。

(2) 有機水銀の定量分析法

昭和三四年当時の有機水銀の定量分析技術としては、赤外線吸収スペクトル法及びペーパークロマトグラフ法があったが、いずれも排水中に含まれる微量の有機水銀の定量分析には到底使用できないものであったのであり、当時は工場排水中の有機水銀を定量分析するということは全く不可能であった。

(四) メチル水銀の副生に関する知見

現在においては、水俣病を引き起こしたメチル水銀は、水俣工場のアセトアルデヒド製造工程中で触媒である無機水銀から副生したものであることが知られているが、水俣病発生以前にアセチレン接触加水反応においてメチル水銀化合物が副生することは全く予想されておらず、そのことを指摘した文献も存在しなかった。

(五) 水俣工場排水中のメチル水銀量の変遷

(1) 原告らは、水俣工場における塩化ビニール排水中にも水俣病の原因物質たるメチル水銀化合物が含有されていたかのような主張をしているが、水俣工場の塩化ビニールモノマー製造工程中でメチル水銀が副生し排出されたというような研究成果は今日まで明らかになっておらず、むしろ塩化ビニール製造工程内でメチル水銀が副生するということは理論的にありえないと指摘されているのである。

(2) 本件で問題とされているメチル水銀は、生成器中でアセトアルデヒドが生成される際に副生したものであるが、アセトアルデヒドの生産量とメチル水銀の排出量は必ずしも比例しているのではないというべきである。すなわち、水俣工場では、アセトアルデヒド製造工程中の精ドレン排水につき鉄屑槽や醋酸プールのような水銀を回収する工夫、サイクレーターのように総合的な排水浄化設備の設置、装置内循環方式や完全循環方式のように排水を工場外に出させない工夫を重ねており、これらの点を無視して、あたかもアセトアルデヒドの生産量とメチル水銀の排出量が比例しているかのような主張は適切ではない。

(3) また、昭和三五年以降現に水俣病患者が発生しなくなったということからしても、昭和三四年秋以後において水俣工場の排水処理施設の設置、改良により、排水中のメチル水銀量が著しく減少し、かつ、昭和三五年八月以後の装置内循環方式の採用により、原則として工場外にメチル水銀が排出されなくなったことが明らかである。

(4) したがって、患者発生と因果関係が認められる工場排水の排出は昭和三四年以前のことであり、それ以後は排出量等からして、患者発生との関連では特に問題にならないというべきである。

5 石化政策について

原告らは、被告チッソが石油化学法に転換するのを円滑にするために被告国(通産省)は被告チッソにアセトアルデヒドの増産をさせたと主張するが、水俣工場がアセトアルデヒドを増産したのはその自主的な経営判断に基づくものにほかならず、被告国(通産省)において、水俣工場に対してかかる増産を指示する権能もなければ、それを指導した事実もない。

6 原告らの主張する規制権限について

(一) 食品衛生法について

(1) 食品衛生法の制定された経緯、目的及び規定の内容等に鑑みると、同法は、食品衛生行政庁に対して、食品の製造、販売等に関し、積極的な行政責任を負わせた規制法ではなく、本来営業の自由に属する食品の製造、販売等に対し、食品の安全性という見地から必要最小限度の取り締まりを行うことを目的とする消極的な警察取締法規に過ぎないことが明らかである。

これに対し、原告らは、食品衛生行政は、憲法一三条、二五条の規定を受けた積極的福祉行政であると主張するが、食品衛生法が憲法一三条、二五条の規定の趣旨を受けていると解することができるとしても、食品衛生行政を規律するために行政庁にどのような権限を与え、どのような規制、取り締まりを実施させるかは、本来立法政策の問題であり、食品衛生法上の規制権限を消極的な警察取締法規と解したとしても、それが憲法一三条、二五条に反するといえないことは明らかである。

(2) 食品衛生法四条

① 食品衛生法四条の規定は、その文理解釈から明らかなとおり、有毒有害食品を販売又は販売目的で採取等しようとする者に対し、不作為(禁止)義務を課した規定であって、原告らが主張するように厚生大臣又は都道府県知事に対して右行為を禁止すべき作為義務を課したものでないことはもちろん、禁止すべき権限を与えた規定でもないことは明白である。同条に違反した場合は、同法二二条により行政処分を受け、あるいは同法三〇条により処罰されることがあるが、このことから厚生大臣又は都道府県知事の作為義務を導き出すことは法理論上到底できないところである。

② そして、食品衛生法四条二号は、刑事罰及び行政処分を課するための要件規定であるのであるから、具体的な食品等がそこに規定している「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」という要件に該当するか否かは、その見地から厳格に解釈されるべきであって、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」と確実に判断し得るもののみがこれに該当し、単にその「疑い」があるといった程度では足りないのである。

したがって、衛生担当公務員が特定の食品について食品衛生法四条二号にいう有毒有害食品に該当すると判断するためには、当該食品に有毒有害物質等が含まれ、又は附着していると確定的に判断し得るだけの十分な根拠が必要である。そして、右判断は、食品を有毒ないし有害ならしめている原因物質が判明し、当該原因物質を分析定量する方法が確立している場合には、その食品に含まれる許容限度を定めることにより、科学的に実施することができ、原因物質が判明していない場合でも、その時点で判明していた科学的な知見や長年の経験等種々の事実関係に照して、当該食品に有毒有害物質が含まれ、又は附着していると明確に判断できるときには、当該食品を食品衛生法四条二号に該当すると判断することも可能である。

③ 水俣湾内産の魚介類の非該当性

まず、原因物質による規制という観点からは、昭和三四年一一月の段階においても、熊大研究班内で有機水銀説が有力に唱えられ始めていたものの、なお同班内でも他の原因物質を疑う諸見解が存在していて必ずしも意見の一致をみず、厚生省食品衛生調査会の答申にしても、水俣病の「主因をなすものはある種の有機水銀化合物である」とするにとどまり、原因物質を特定したというには程遠い内容のものであった。仮に、ある種の有機水銀化合物がその原因物質であると考えたとしても、その種類は多く、いかなる有機水銀についてどのような許容量を設定するべきかについても確たる知見は存在せず、有機水銀を分析定量する技術すら存しなかったのであるから、当時、原因物質に着目して食品衛生法四条二号の該当性を判断することができなかったことは明らかである。

次に、昭和三四年一一月までの段階における動物実験結果や疫学的調査結果などの諸研究を総合しても、当時判明していたことは、水俣湾産の魚介類の中には相当期間継続的に大量摂取した場合には水俣病を発症せしめる有毒有害魚介類が存するということだけであって、水俣湾産の魚介類のすべてが有毒有害化しているとはいえなかったことはもちろん、種類や生息場所を限定して特定の魚介類が有毒有害化しているともいえる状況になかったことは明らかである。

(3) 食品衛生法二二条

① 食品衛生法二条七項但書によれば、漁民は食品衛生法上の営業者には該当せず、漁民に対して同法二二条に基づく規制権限を行使する余地は全くなく、本件において、仮に同法二二条の権限を行使すべきであったとしても、右営業者に該当しない原告らに対して同権限を行使し得る余地はなく、右不行使と原告らが水俣湾内の魚介類を漁獲し、摂食したこととの間には何の因果関係もないというべきである。

② 食品衛生法二二条所定の規制権限を行使するためには、営業者が同法四条等の規定に違反していることが必要であるが、当時においては、営業者に同条違反の行為があったとは到底判断し得ず、厚生大臣又は熊本県知事が水俣湾産の魚介類の販売業者に対し、右規制権限を発動することは不可能であったというべきである。

(4) 食品衛生法一七条

食品衛生法一七条所定の権限は、同法四条各号違反の事実を調査確定するために認められているものであるから、厚生大臣または熊本県知事が右権限を行使するためには、同法四条二号に該当すると判断される食品が存在し、営業者等に同条違反の行為が疑われるため、「必要があると認められる」状況にあることが必要であるが、当時、水俣湾内の魚介類については、これが食品衛生法四条二号に該当するか否かを判断する方法がなかったのであるから、厚生大臣または熊本県知事は右権限を行使し得なかったというべきである。

(5) 反射的利益について

本件で問題となっている水俣湾内の魚介類を漁民が採取し、自らこれを食するといった行為は、もともと食品衛生法における規制、取り締まりの対象外のことであって、同法は、有毒有害な魚介類が流通経路を経て一般市民に衛生上の危害を及ぼさないようにするため、これら魚介類の販売及びその前段階としての販売の用に供するための採取を禁止しているに過ぎないのである。したがって、たまたま有毒有害魚介類の販売目的の採取が禁じられている結果、漁民がその摂食を免れることがあっても、そのようなことは本来同法が予定していることではなく、事実上ないしは反射的利益に過ぎないのであって、担当公務員の権限の不行使が漁民らに対する関係で違法となることは到底考えられないところである。

(二) 漁業法、水産資源保護法及び調整規則について

(1) 漁業法について

① 漁業法の目的

漁業法の制定の経緯、構造及び内容のいずれからみても、同法が「漁業生産力を発展」させることと「漁業の民主化」を図ること以上に、原告らの主張するような「食生活上国民の生命、健康の安全確保を目的」とするものでないことは明らかである。

② 漁業法三九条一項

漁業法三九条一項に規定している漁業権の取消等の規制権限は、漁業権者の権利を剥奪又は制限するという重大な効果を有するものであるから、同項の「公益上の必要があると認めるとき」という要件は、安易に拡張して解釈されてはならない。そして、漁業権は漁業を営むことを権利として保護するものであるから、これを剥奪、制限し得るに足りる「公益」とは、漁業権を保護することにより侵害される公共の利益を指すのであり、しかも、その利益の実現のために水面の利用が不可欠であり、その水面の利用が漁業権を有する物権的排他性により実現できないことが不都合であるような公共の利益をいうものと解すべきである。

したがって、当該漁業権区域内の魚介類を摂食することに起因する国民の生命、身体の安全を確保する目的で漁業法三九条一項の権限を行使するなどということは、本来同法の全く予定していないことである。

(2) 水産資源保護法及び調整規則について

① 水産資源保護法及び調整規則の目的

水産資源保護法は、「水産資源の保護培養」を図ることを目的とするものであり、同法四条一項を受けて制定された調整規則も専ら「水産資源の保護培養」を図るためのものであることはいうまでもない。

そして、「水産資源の保護培養」とは、漁業生産力を将来にわたって持続的に拡大していくための資源として水産動植物の繁殖保護を図ることであるから、水産資源保護法及び調整規則が国民の生命、健康を保護することをその目的としていないことは明らかである。

② 調整規則三〇条一項

調整規則三〇条一項は、熊本県知事に、許可漁業についての許可の内容の変更等の権限を付与しているが、同項にいう「漁業調整その他公益上の必要あると認めるとき」とは、調整規則の目的に照せば、漁業法六五条の「漁業取締その他漁業調整のため」又は水産資源保護法四条の「水産資源の保護培養のために必要があると認めるとき」に準じて解釈されるべきものである。

したがって、原告らの主張するような人の生命、健康を保持する必要から、右規制権限を行使するというようなことは、そもそも許されないことである。

③ 調整規則三二条

調整規則三二条に基づいて熊本県知事が有していた権限は、除害設備の設置又はその変更を命じることであり、原告らの主張のように排水の停止までを命じる権限の存しないことは明らかである。

そこで、除害設備の設置を命ずるという点について検討すると、右権限を行使し得るためには、その前提として、水産動植物の繁殖保護に有害な物が何であるのか、これを遺棄し、又は漏せつするおそれがあるものを放置する者が誰であるのかが特定され、かつ、右遺棄等の行為と水産動植物の繁殖保護上の有害性との間の因果関係が明らかになっていることが必要不可欠であるというべきである。

まず、昭和三二年までの段階では、水俣湾内の魚介類を有毒化せしめているのは何らかの化学物質ではないかと考えられるようになり、そのことから水俣工場の排水が徐々に疑われるようになってきたことは事実であるが、化学物質といってもそれが何であるかについては推測の域を出ないものであるうえ、一応可能性の問題として疑われていたマンガン等にしてもそれが水俣工場に由来するとの根拠はなかったのである。そして、排水の規制という面から考えてみると、通常排水規制は有害物質を定め、一定の許容限度を設定することにより規制されるのであるが、当時の水俣工場は、大別して百間港方面と八幡方面に二つの排水口があり、これに七系統の排水が混合排出されていたのであるから、排水を規制するといってもいかなる工程から排出されるいかなる物質をどの程度にまで規制すべきか皆目見当もつかない状況にあったのである。原告らは、すべての排水を停止すべきであったと主張するのかもしれないが、被告国・熊本県にそのような権限があったか否かの点はひとまずおくとしても、そのような措置を採るということは当然水俣工場の操業を全面的に停止させることを意味するのであって、右の状況下ではそのような措置は採り得なかったというべきである。

次に、昭和三四年一一月までの段階についてみると、熊大研究班内で一つの有力な学説として有機水銀説が唱えられるに至ったが、右有機水銀説も熊大研究班内でさえも意見が一致をみず、被告チッソ等による反論にも一応の説得力があったところから、被告国・熊本県としても直ちに右有機水銀説が正しいと断定することができず、また当時有機水銀を定量する技術もなかったため、仮に有機水銀の排出を規制したとしても、その違反の有無を検証する方法もなかったのである。右のような状況を前提とするならば調整規則三二条二項による措置を採るための前提としては、右有機水銀説は余りにも未成熟かつ流動的な要素が多いものというべきである。また、有機水銀の定量の問題にしても、原告らは、有機水銀が定量できないのであれば総水銀でもって規制すべきであったと主張するのであるが、そうすると、当時でも原因物質でないと考えられていた無機水銀の排出を規制する結果となるのであり、そもそも、多くの化学物質を含有している工場排水について、しかもそれが海水中に排出されている場合に、総水銀という漠然たる範囲で定量限界以下に規制するというような発想は当時においては存在せず、原告らの主張は、水俣工場排水中のメチル水銀化合物が水俣病原因物質であることが判明している現在の知見に基づいて、採ることのできる方策を述べているのであって、当時の技術水準を無視して抽象的に論じているに過ぎないものである。

なお、この点については、水産動植物の繁殖保護に有害なものというのは、何も化学物質として特定されている必要はなく、単に特定の工場の排水というだけで足りるとの議論もあるが、本件では、その程度の特定すらできていなかったのである。

したがって、いずれの段階においても、被告国・熊本県の公務員が調整規則三二条に基づいて水俣工場の排水を規制するための要件が充足されていなかったことは明らかである。

(3) 反射的利益について

前述した漁業法、水産資源保護法及び調整規則の目的に照すと、右各法令に基づく各規制権限は、個々の国民の生命、健康といった利益を保護しているものではないのであるから、前述した各法条は、担当公務員に対しかかる個々の国民の法益を保護するために右権限を行使すべき行為規範として作用する余地はなく、したがって、付近住民が水俣病に罹患するのを防止するために右各権限を行使すべき作為義務が生ずるなどということはありえないというべきである。

(三) 水質保全法及び工場排水規制法について

(1)水質保全法について

① 水質保全法の目的

水質保全法は、水質保全に関し従前制定されていた鉱山保安法等や本法と同時に制定された規制実施法である工場排水規制法の基本法たる性格を有し、公共用水域のうち一定の水域を指定水域に指定し、同時に水質基準を設定することにより、種々の法律による工場、事業場、鉱山・水洗炭業に係る事業場、公共下水道及び都市下水路の規制の基準を明確にし、水質の保全を図ることを目的としたものであるが、同法一条にあるように「産業の相互協和」という目的の範囲内で水質の保全を図るという限界をそもそも有していたのであり、その限界の中で同法の解釈運用がなされていたのである。

② 当時の作業状況

水質保全のためにの具体的な規制のためには、経済企画庁長官が水質保全法五条一項に基づいて指定水域を指定し、同法二項に基づいてその水域に適用される水質基準を設定することが必要となるのであるが、そのためには、詳細な実態調査及び科学的調査が必要となってくる。

ところが、このような調査を全国の問題のある箇所について一斉に行うことは、調査担当者の不足、予算の制約、当時の科学的知見等から実際上は困難であるので、現実には右調査は、数年をかけて逐次行っていくことになる。

水俣病に関連する八代海南部海域についての作業状況に照すと、その原因物質の特定等に時間を要したため、早急には指定水域の指定や水質基準の設定には至らなかったものと思われる。原告らは、経済企画庁長官は遅くても昭和三四年一一月の段階で水俣水域を指定水域に指定すべきであったと主張するが、それは不可能を強いるものであったというほかはない。

③ 水質基準設定のための要件の非充足

昭和三四年一一月までの段階で水質保全法五条二項に基づく水質基準を設定することが可能であったか否かということをみてみると、右水質基準の設定のためには、(ア)特定の公共用水域の汚濁原因物質が特定されていること、(イ)当該汚濁原因物質が工場から排出されていることが科学的に証明されていること、(ウ)当該汚濁原因物質の分析定量方法が確立されていること及び(エ)当該汚濁原因物質について合理的科学的な許容量を決定し得ることの各要件が充足されていることが必要である。

これを本件についてみてみると、昭和三四年一一月までの段階で、食品衛生調査会は、水俣食中毒部会の検討をもとに水俣病の主因をなすのは「ある種の有機水銀化合物」である旨の答申をしたが、右答申は、病理及び水銀量等から原因物質を「ある種の有機水銀化合物」と大きな枠で特定したに過ぎず、多数存在する有機水銀化合物の中のいかなる化合物であるのかという肝心な点は未解明のままであったのであり、「今後の研究は、原因物質そのものの追求に向けられなければならない」としていたのである。しかも、多数の有機水銀化合物の中には水俣病の原因物質となり得ない化合物が存在することは既に実証されていたのである。したがって、昭和三四年一一月の段階では、水俣湾及びその付近水域について、その汚濁原因物質が特定されていたとは到底いえないから、この点で、まず右水域については水質基準を設定し、右水域を指定水域として指定することはできなかったことが明らかである。また、昭和三四年の段階では、水俣湾及びその付近水域の汚濁原因物質が水俣工場から排出されていることが科学的合理性をもって解明されていたとまでは到底いえなかったのである。さらに、昭和三四年一一月当時、有機水銀化合物を分析定量することはできなかったのである。

原告らは、この点に関し、水俣工場排水から「総水銀」つまり「水銀または化合物」が検出されないことという水質基準を設定すべきであったと主張するが、水俣病の原因物質が有機水銀であるとの説そのものがいまだ確立したものではないのであるから、原告らの主張はその前提を欠くものといわざるを得ない。加えて、当時においては、金属水銀や無機水銀を含有したまま排出されていた工場排水は多数存在し、そもそも総水銀による規制という発想は全くなかったところであり、総水銀による規制を実施すると、性状や毒性の異なる金属水銀や無機水銀をも取り込んだ規制となって過剰規制となることが明らかであり、水質保全法五条三項の趣旨にも反する結果をもたらすことになる。

なお、当時の水銀の分析定量の技術的限界に関しては、昭和三五年一二月改定のJIS規格においてさえ0.02ないし一PPmとされており、これより更に進んだ技術水準を持っていた入鹿山教室の藤木素士教授の分析技術をもっても、当時のジチゾン法の感度としては、0.01から0.05PPmが限度であったことからして、これより以下の水銀の定量データを示している東京工業試験所のデータは異なる技術者が繰り返し測定したところで同様の結果が得られるという意味での再現性のあるデータといえるか極めて疑わしいものである。そして、その点はさておくとしても、仮に水俣工場の排水中の総水銀の量が東京工業試験所で分析した程度であるとすれば、その大半が0.02PPmであることからして、当時のジチゾン法による分析定量の技術水準において合理的と考えられるJIS規格に従って水銀が検出されないという水質基準を設定したとしても、水俣工場の排水中の水銀はほとんど検出限界以下ということになり、水俣病の発生を防止するという観点からいえば何の意味もない規制ということになる。仮に、原告らの主張が、JIS規格の基準よりもはるかに厳しい基準あるいは全く検出されないという水質基準を設定すべきであるとすれば、それは、不可能を強いるものである。

④ したがって、昭和三四年一一月までの段階では、水質保全法五条一項に基づいて指定水域の指定等をすることは時期的に不可能なことであったのであり、この点をひとまずおくとしても、右指定等のために必要な各要件がいずれも充足されていなかったといわなければならない。

(2) 工場排水規制法について

① 工場排水規制法による規制は、水質保全法に基づく指定水域の指定及びそれと同時にする水質基準の設定がその前提となっているが、昭和三四年一一月当時、水質保全法に基づく指定水域の指定及び水質基準の設定はなされていなかったし、その設定はいずれも不可能であったのであるから、工場排水規制法に基づく規制権限の不行使を問題とする余地は全くない。

② 更に、昭和三四年一一月当時には、水俣工場の排水が水俣病の原因と判断することはできなかったのであるから、水俣工場のアセトアルデヒド製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設を政令で特定施設と定めることも、工場排水規制法二一条に基づき通産大臣を主務大臣と定めることも困難であった。

(3) 反射的利益について

① 水質保全法五条一項に基づく指定水域の指定及び同条二項に基づき指定水域の指定と同時に行われなければならない水質基準の設定は、各種の法規を運用する場合の共通の客観的基準を制定するものであって、直接国民を相手として行われる一般の行政行為とは著しく性格を異にする一般的規範定立行為であり、また、特定施設の指定も内閣が政令により行うものである以上、やはり一般的規範定立行為であるといわなければならない。

② そして、経済企画庁長官が指定水域の指定及び水質基準の設定を行い、これを公示するに当たっては、諸般の事情を考慮しながらその合理的裁量に基づいて、指定水域の指定及び水質基準の設定の要否、内容について判断することになるうえ、その内容が高度に専門的技術的事項にわたることに照せば、右権限の行使に関する裁量の範囲は極めて広いものであるというべきである。

また、同様に、政令のような行政立法の制定は、内閣の極めて高度な政策的及び専門技術的裁量に委ねられているというべきである。

③ したがって、経済企画庁長官及び内閣に政治的責任が生じうるか否かはともかくとして、指定水域の指定、水質基準の設定、特定施設の指定をしなかったことが、個々の国民たる原告らとの関係で国家賠償法一条一項にいう違法が存すると評価されることはありえないというべきである。

(四) 警察法及び警察官職務執行法について

(1) 警察官職務執行法五条

警察官が、警察官職務執行法五条に定める権限を行使するためには、「犯罪がまさに行われようとするのを認めた」ことが必要であるが、警察官の行うこの判断は、それまでに知りえた情報や周囲の状況等に照して合理的なものでなければならない。これを本件についてみると、昭和三四年一一月の段階でみても、水俣病の原因究明については、熊本大学の専門家等によって研究が進められていた段階であって、そのような状況下において、水俣湾産魚介類が食品衛生法四条二号に該当すると、あるいは、被告チッソが調整規則三二条一項に違反する行為をなしていると合理的に判断することはできなかったのである。

(2) 警察官職務執行法四条

警察官が、警察官職務執行法四条に基づき、水俣湾内で魚介類を採取する者に対し必要な措置をとり、あるいは水俣工場に対して必要な措置をとるためには、現に採取されている水俣湾内の魚介類が有毒であることが明らかであること、あるいは水俣工場が魚介類を有毒化させる物質を排出していることが判明していたことが必要であると解されるが、昭和三四年一一月の段階においても、右の事実はいずれも明らかとはなっていなかったのであるから、警察官が独自に警察官職務執行法四条一項に規定する状況にあると判断できるものではなかったとことは明らかである。

(3) 捜査を行うべき義務

原告らは、水俣湾内の魚介類を販売目的で採取等する者を食品衛生法違反、業務上過失致死傷の疑いで、また、水俣工場長等の幹部を殺人、傷害等の疑いで捜査等すべき義務があったと主張するが、そのいずれについても、当時捜査を行うだけの根拠がなかったことは明らかである。

しかも、これら犯罪の捜査及び公訴の提起によって被害者が受ける利益というものは反射的利益であって、犯罪の捜査及び公訴の提起がなされなかったことを理由として損害賠償を認める余地はないというべきであるから、この点でも原告らの主張は失当である。

(4) 毒物及び劇物取締法について

被告チッソが触媒として使用していたという酸化水銀及び塩化第二水銀が毒物及び劇物取締法の規制の対象となっていたことは事実であるが、水俣工場においてはこれらの化学物質を漏出等していたわけではない。仮に、水俣工場において触媒として使用する目的でこれらの化学物質を保管していて、それが漏出していたというのであれば、原告らの主張するように罰則適用の余地も考えられないではないが、水俣工場が排出していたのはこれらの物質ではなく、工場排水中に微量の水銀化合物が含有されていたというのであるから、この排水をもって、毒物及び劇物取締法が規制の対象としている「水銀化合物」「水銀を含有する製剤」に該当するということはできない。

したがって、水俣工場の排水が毒物及び劇物取締法にいう毒物又は劇物に該当することを前提とする原告らの主張は、その前提において失当である。

(5) 港則法について

港則法は、港内における船舶交通の安全及び港内の整頓を図ることを目的とする法律であるから、原告らが指摘する同法二四条一項の規定も右の趣旨から解釈されるべきであり、右の趣旨からすると、船舶交通の安全及び港内の整頓の確保に何ら支障を来さない水俣工場の排水が同法二四条一項にいう「廃物」に該当しないことは明らかである。

(6) 旧河川法について

旧河川法上、河川の水質の管理についての定めは、同法一九条に規定されているだけであり、同条に規定されている「命令」については主務大臣が発するについては政令に基づき、地方行政庁が発するについては都道府県知事の規則に基づくものとされているが、右政令は制定されていないし、熊本県の河川取締規程には工場排水を規制する規程は存しなかったのであるから、水俣工場の排水について適用し得る罰則は存在しない。

(7) 漁港法について

水俣工場が排水していたのは、時期により若干の相違はあるものの、百間港及び水俣川河口付近に限定されており、原告らの主張のように丸島港の漁港区域内に排出していたことはない。

したがって、原告らの主張はその前提を欠くものである。しかも、当時は水俣病の原因物質が不明であり、現実に被告チッソに漁港法に違反する行為があると判断しえなかったのである。

(8) 清掃法について

清掃法一一条二号に規定する「ごみ」とは、一般に「社会通念上、人の営む生活環境に支障を生じるため占有者が意思を放棄して廃棄した物又は廃棄しようとしている物」と解されており、この中には排気及び排水は含まないと解されている。

(9) 軽犯罪法について

工場排水は、軽犯罪法一条二七号にいう「廃物」に含まれるが、同号に定める罰則の要件としては、それが「公共の利益に反してみだりに」なされることを要するのであって、水俣工場の排水に何らかの有毒有害物質が含まれ、これが原因で水俣病が発生しているということが判明していなかった当時においては、右要件を具備していたと判断することはできなかったというべきである。

(五) 行政指導

(1) 行政指導とは、概ね行政機関が一定の行政目的を実現するために行政客体に働きかけ、相手の同意又は任意の協力を得て、その意図するところを実現しようとする事実行為であり、行政指導に従うか否かは、あくまでも行政客体たる相手方の自由であり、その程度を超えて事実上相手方に強制を加えることは許されないものである。

(2) 行政指導の不作為が国家賠償法の適用上違法となるかどうかは、当該公務員が個別の国民に対する関係において、行政指導すべき職務上の法的義務を負担していたかどうかの問題に帰着するが、本件で原告らが問題としているのは、いずれも法令の根拠に基づかないでなされる行政指導であり、この場合においては、するかどうか、するとした場合にいかなる内容で、いかなる時期に、いかなる方法で行うかはすべて当該公務員の全く自由な裁量にゆだねられているというほかないのであり、行政指導をしなかったことにより政治的責任を負うかはともかくとして、国家賠償法上違法となることはないというべきである。

しかも、被告国・熊本県の担当公務員は、当時の状況下において最も適切な行政指導を行っていたというべきである。

7 過失

本件において、原告らが各種の規制権限の存否及びその行使の要件として主張しているような見解は当時には存在せず、それに関して実務上特に疑いを差し挾む解釈をされたことも、裁判上とりたてて問題とされたこともなかったのであるから、当時の被告国・熊本県の公務員が本件で問題となっている規制権限につき、当時の一般的な見解に従って解釈し、その結果、かかる権限は法律上存在しないか、その行使の要件が充足されないとの判断に達したものである以上、当該権限を行使しなかったことにつき何らの過失も認められないというべきである。

四判断

1 本件における違法性の判断に関する基本的視点について

(一) 国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を与えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであり(最高裁判所第一小法廷昭和六〇年一一月二一日判決・民集三九巻七号一五一二頁参照)、国家賠償法一条一項にいう違法とは、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することである。

そして、公務員の規制権限の不行使あるいは行政指導の不行使という不作為が個別の国民に対する関係で違法であるというためには、公務員に規制権限を行使すべき作為義務あるいは行政指導すべき作為義務のあることが必要である。

(二) そこで、まず、公務員に規制権限を行使すべき作為義務が発生する要件について検討するに、(1)公務員が規制権限を有すること、(2)権限不行使の時点において、公務員が規制権限を行使することが可能であったこと、(3)公務員が個別の国民との関係において規制権限を行使すべき法的義務を負っていたことが必要であると解せられる。

右(3)の点について、前記二及び三で述べたとおり、原告らは、多くの法規をその根拠として主張し、これに対して被告国・熊本県は、いわゆる反射的利益論・自由裁量論を主張しているので、ここで一般的に右見解の当否について検討を加えることとする。

(1) 国家賠償請求事件における反射的利益論の適用の当否について

被告国・熊本県の主張は、要するに、公務員に作為義務が発生するためには、当該根拠法令の趣旨・目的からして、当該根拠法令が、個別の国民の利益を直接保護していることが必要であり、公務員に作為義務が発生するのは、そのような場合に限られるということであると解せられる。

確かに、当該根拠法令の趣旨・目的からして、当該根拠法令が、個別の国民の利益を公益に包摂される形での保護等も含めておよそ考えていない場合には、公務員に作為義務を認めることは困難であり、この意味においては、被告国・熊本県の主張を肯認できないではない。

しかしながら、当該根拠法令が個別の国民の利益を直接保護しているわけではないが、公益に包摂される形において間接的に保護する趣旨をも含むと解される場合においては、当該法令が直接保護の対象としている公益とその背後にある個別の国民の利益とがどの程度密接に関連しているかを検討し、これを前提として、当該具体的事案の下で当該規制権限を行使しないことが著しく不合理であるといえるかどうかで決するのが相当である。

したがって、右と見解を異にする限度において、原告ら及び被告国・熊本県の各主張はいずれも採用しない。

(2) 自由裁量論について

被告国・熊本県の主張するように、ある規制権限について、その権限を行使するか否か、またどのような方法で行使するかの判断について、行政庁の専門性・技術性という観点から一定の裁量の余地が認められている場合には、当不当の問題は生じることはあっても、原則として、公務員に作為義務は発生しないというべきであるが、具体的事案の下で、当該公務員がその有する規制権限を行使しないことが著しく合理性を欠くと認められる場合においては、当該公務員は規制権限を行使する法的義務を負うと解するのが相当である。

(三) 次に、公務員に行政指導すべき作為義務が発生する余地があるのか、発生するとすれば、そのためにはどのような要件が必要かについて検討する。

(1) 行政指導とは、行政機関が、公の行政目的を達成するため、行政客体の一定の行為(作為・不作為)を期待し、その自発的な協力、同意のもとに実行するよう働きかける事実行為である。

原告らは、本件において、被告国・熊本県の担当公務員について様々な観点から行政指導すべき義務があったと主張しているが、そのいずれも、法令上、その要件、内容等について規定されているものではなく、しかも、右のとおり、行政指導は、法的には、相手方に対して強制力をもつものではないことからして、前記(二)で述べた規制権限不行使の場合と同様に作為義務を観念することは困難であるというべきである。

(2) しかしながら、わが国においては、法令と現実との乖離を埋めるために、このような法令上直接の具体的規定を欠く行政指導が多く行われており、法律上の強制力はなくても、多くの場合に事実上相手方に受入れられ、その趣旨に従った結果を実現されていることは当裁判所に顕著な事実であるから、この実情からして行政指導の不作為について作為義務を認める余地がないとすることもまた妥当でないというべきである。

すなわち、国民の生命、身体、健康に対する差し迫った危険が発生しているにもかかわらず、これに適切に対応するための法令がなく、それに対応するための立法措置をまっていたのでは国民の生命、身体、健康に対する重大な被害を発生させることが十分に予測されるような状況下において、行政庁が右状況を知りあるいは知りえたにもかかわらず、右重大な結果の発生を回避するために有効適切な行政指導を行わなかったと評価できるような場合には、行政指導の不行使は国家賠償法上違法と判断されるというべきである。

(四) 原告らは、本件においては、被告国・熊本県には、行使可能な活用できるあらゆる法規を駆使し、強力な行政指導をも行うべき作為義務があったと主張し、その根拠として、被告国・熊本県には憲法・地方自治法等の基本法上住民の生命、健康の安全を確保すべき法的義務があること、水俣病の原因は被告国の産業政策そのものにあり、被告国は産業政策という先行行為に基づいて水俣病の被害発生を防止する義務があることを挙げる。

まず、原告らは、被告国の当時の産業政策が水俣病の原因であり、本件において、被告国の当時の産業政策は本件における要件事実であって、単なる事情でないと主張する。この主張が、被告国が産業政策を通じて原告らに直接加害行為を行ったとする主張かどうかは必ずしも明らかでないところ、被告国の産業政策は、水俣工場の排水をどうするかといった細目を決定するものではなく、しかも、今日においてこそ、いわゆる高度成長経済政策という時代背景の中で、水俣病という公害被害が発生し、関係住民に重大な損害を与えたことは公知の事実であるが、本件当時までに水俣病のような有機水銀中毒事件が歴史上なかったことも当事者間に争いのない事実であり、本件当時における被告国の政策決定段階においてそのような被害が生じるということは予測しえなかったというべきであって、被告国の産業政策自体が原告らに対する直接的な加害行為とも、産業政策の策定にあたった公務員について故意または過失があったとも言い難いから、本件においては、これ以上被告国の産業政策について認定判断は行わないこととする。

次に、原告らが主張する緊急避難的行政行為の当否について検討するに、行政庁がその有する規制権限を行使するためには、法令の根拠が必要であり、法の趣旨目的を逸脱して、規制権限を行使することは本来違法であるが、国民の生命、身体、財産に対する差し迫った危険があり、その危険を回避するために、他に有効適切な手段がない場合に、行政庁が行使可能な規制権限を行使することは、たとえ当該規制権限の行使が本来の法の趣旨目的から逸脱していたとしても違法でないと評価することは可能であると思われる。しかしながら、このことは、右のような場合、行政庁が行使可能な規制権限を行使すべき作為義務を負うということを意味するものでないことは明らかである。なぜなら、このような場合、行政庁は本来当該規制権限を行使する権限をもたないからである。したがって、原告らのこの点についての主張は採用できない。

以上検討したところによれば、本件のように規制権限の不行使の違法性が問題となる場合には、前記(一)ないし(三)で述べた段階を踏んで判断せざるを得ないのであって、以下、水俣病患者発生と因果関係ある排水及び排水がなされた時期並びに本件当時における水俣病に対する知見及び被告国・熊本県の担当公務員の認識がどうであったかについての事実を認定したうえで、それをもとにして、原告らが作為義務の根拠として主張する点について順次検討を加えることとする。

2 水俣病患者発生と因果関係ある排水及び排水がなされた時期について

(一) アセトアルデヒド醋酸製造施設の排水(以下、「アセトアルデヒド排水」という。)中に水俣病の原因物質であるメチル水銀化合物が含まれていたことについては当事者間に争いがない。原告らは、これに加えて、塩化ビニールモノマー製造工程でもメチル水銀化合物が生成されていた、アセトアルデヒド醋酸製造工程及び塩化ビニールモノマー製造工程で使用された無機水銀が工場外に排出され、自然界の中でメチル水銀化合物に変化していったとして、塩化ビニールモノマー製造施設の排水(以下「塩化ビニール排水」という。)も水俣病患者の発生と因果関係ある旨主張するので、この点について、まず、検討する。

(1) 証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

① 藤木素士らは、「10年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的ならびに病理学的研究」と題する報告書(第2年度)の中で、「水俣湾泥中の無機水銀のメチル水銀化に関する研究」と題して、「無機水銀が存在した場合に、これが都市下水、活性メチル基をもつ化合物を含む工場排水などと反応し、自然界でメチル水銀が生成することが明らかになった。」、「水俣湾の泥土中には現在も多量の無機水銀が存在しており、メチル水銀を生成する可能性を含んでいるが、その無機水銀が不活性のものであり、本実験においてはメチル水銀が生成しなっかった。」と報告している(〈書証番号略〉)。

② 入鹿山教授は、「水俣病の経過と当面の問題点」と題する研究において、「塩ビニールモノマー廃触媒中に一〇―二五PPmのメチル水銀を証明した。塩化ビニールは、活性炭に塩化第二水銀を吸着させ、これを触媒としてアセチレンを塩化水素より気相反応によってつくられる。この反応の途中、水分を含んだアセチレンが活性炭中の水銀と反応してアセトアルデヒドを生じ、アセトアルデヒドと無機水銀からメチル水銀の生成が考えられる。この廃触媒は投棄されることなく、別の水銀回収工場(水俣化学)で水銀の回収が行われている。塩化ビニール廃水中にも水銀が含まれるが、その中にごく微量(ガスクロ0.3PPb)のメチル水銀が証明されている。仮に、この値をとると、塩化ビニール廃水中のメチル水銀は、アセトアルデヒド廃液中のそれの一/一〇〇〇〇以下である。したがって、水俣湾魚介のメチル水銀による汚染に関しては、塩化ビニール設備廃水の影響は、アセトアルデヒド設備に比してほとんど問題とならなかった。」と指摘している(〈書証番号略〉)。

(2) (1)の各研究報告によれば、塩化ビニールモノマー製造工程でメチル水銀化合物が生成されて、これが排水とともに水俣工場外へ流出した可能性があること、アセトアルデヒド醋酸製造工程及び塩化ビニールモノマー製造工程で使用された無機水銀が、水俣工場外でメチル水銀化合物に変化した可能性があることは否定できないが、生成された可能性のあるメチル水銀の量は、いずれもアセトアルデヒド排水中に含まれていたメチル水銀化合物の量と比較すると、極めて微量なものに過ぎないと推測される。

したがって、水俣病患者の発生と因果関係があるメチル水銀化合物のほとんどはアセトアルデヒド排水中に含まれていたものと認めるのが相当である。

(二) アセトアルデヒド排水及び塩化ビニール排水の各排水経路及び処理方法の推移

証拠(〈書証番号略〉、検証)及び当事者間に争いのない事実並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 水俣工場の所在する水俣市の位置は別紙図面二のとおりであり、不知火海における潮流は、別紙図面三及び四のとおりである。そして、水俣市における水俣工場の位置は、別紙図面五のとおりであって、水俣市のほぼ中央に位置し、その幹線排水溝である百間排水溝は、水俣湾内の百間港に通じ、水俣湾の北側の水俣川河口付近には、カーバイド残滓沈澱用の八幡プール群が存在し、八幡プール群には八幡中央排水溝が存在する(別紙図面五、六参照)。

(2) アセトアルデヒドの製造は、昭和七年に開始され、昭和四三年五月一八日まで続けられ、一方、塩化ビニールモノマーの製造は、昭和二四年一〇月に開始され、昭和四六年三月二五日まで続けられた。

(3) アセトアルデヒド排水は、昭和七年から昭和三三年八月までの間は、特段の処理をされることなく、百間排水溝から百間港に排出されていた。

(4) 塩化ビニール排水は、昭和二四年一〇月から昭和三四年九月までの間は、鉄屑槽を経由して、百間排水溝から百間港に排出されていた。

(5) アセトアルデヒド排水は、昭和三三年九月から、鉄屑槽を経由して八幡プールに送られ、八幡プールの上澄み液が八幡中央排水溝から水俣川河口へ排出されるようになり、これが昭和三四年一〇月一八日まで続けられた。

(6) 昭和三四年一〇月一九日、醋酸プールが設置されたことに伴って、アセトアルデヒド排水及び塩化ビニール排水とも、鉄屑槽、醋酸プールを経由して、八幡プールに送られ、八幡プールの上澄み液が、八幡中央排水溝から水俣川河口へ排出されるようになり、これが同月二九日まで続けられた。

(7) その後、昭和三四年一〇月三〇日からは、アセトアルデヒド排水及び塩化ビニール排水とも、鉄屑槽、醋酸プールを経由して、八幡プールに送られ、八幡プールの上澄み液がアセチレン発生残渣ピットに送られるようになったが、翌昭和三五年一月から同年五月にかけて、一旦、アセチレン発生残渣ピットに送られた八幡プールの上澄み液が、再び八幡プールに送られるようになった。

(8) 更に、昭和三五年六月からは、アセトアルデヒド排水及び塩化ビニール排水とも、醋酸プール、泥水ピット、八幡プールを経由してサイクレーターに送られ、百間排水溝から百間港へ排出されるようになり、これが昭和四一年五月まで続けられた。

(9) 昭和三五年三月から昭和四一年五月までの排水処理経路を図示すると、別紙図面七のとおりである。

(10) 昭和四一年六月からは、アセトアルデヒド排水については、これを地下タンクに集め、これを再びアセトアルデヒド生成器に送るようになり、これがアセトアルデヒド製造停止まで続けられたが、一方、塩化ビニール排水については、(8)の処理が昭和四三年二月まで続けられ、昭和四三年三月に、新八幡プールが完成したことに伴って、直接八幡プールに送られるようになり、これが塩化ビニール製造停止まで続けられた。

(三) メチル水銀の生成量

(1) アセトアルデヒド製造工程における生成量

証拠(〈書証番号略〉)によれば、次の事実が認められる。

① 水俣工場におけるアセトアルデヒドの昭和七年から昭和四三年までの生産実績は、別表一の「生産実績」欄記載のとおりである。

② 工業生産では、原料と製品・廃棄物の間には、一定の量的並行関係があるが、実際上の生産活動においては、経済的効率の追及から常に能率向上のため改良が図られており、その比率は徐々に改善される。水俣工場ではアセトアルデヒドの基本的製法はほとんど変化はないが、三六ヵ年にわたる生産過程で、技術革新や工程の改良が多々なされ、原料と製品・廃棄物との量的比率関係は少しづつ変化してきた。

以上の事実によれば、アセトアルデヒド製造工程の廃棄物のひとつであるメチル水銀化合物の生成量についても、生産の増加にしたがって増加していくと抽象的にはいえるものの、生産量との関係でどれだけのメチル水銀化合物が生成されたかについて具体的に判断することは困難である。

本件については、藤木素士教授が「鑑定書」と題する書面(〈書証番号略〉。以下、「藤木鑑定」という。)において、それまでの様々な研究結果を踏まえて、アセトアルデヒド製造工程中の精ドレン排水量から、メチル水銀化合物の生成量を別表一の「精ドレン排水中のメチル水銀量」欄記載のとおり推定しており、本件証拠上他にメチル水銀化合物の生成量についての的確な証拠はないから、右をもってアセトアルデヒド製造工程におけるメチル水銀化合物の生成量を推定せざるを得ない。

(2) 塩化ビニールモノマー製造工程及び自然界における生成量

本件全証拠に照しても、これを的確に判断できる証拠はないから、これについては、不明であるといわざるを得ない。ただし、前記(一)で述べたように、塩化ビニールモノマー製造工程及び自然界におけるメチル水銀化合物の生成量は、アセトアルデヒド製造工程のそれと比較すると、ごく微量であったと思われる。

(四) メチル水銀の流出量

(1) 前記(二)で認定したとおり、アセトアルデヒド排水については、排水経路及び処理方法に変遷があり、直ちに前記(三)で推定したメチル水銀が全部百間港または水俣川河口へ流出したということはできない。

① 昭和七年から昭和三三年八月までの間は、特段の処理はなされていなかったのであるから、別表一の「精ドレン排水中のメチル水銀量」欄記載のメチル水銀が百間港に流出したと推定される。

② 昭和三三年九月以降については、排水経路及び鉄屑槽・醋酸プール・八幡プール・サイクレーターの水銀除去能力が検討されなければならない。

(2) 藤木鑑定においては、鉄屑槽・醋酸プール・八幡プール・サイクレーターの水銀除去能力等からメチル水銀流出量を推定し、正常運転の場合には、昭和三三年九月以降はメチル水銀化合物の一部が除去されて排出され、昭和三四年一二月以降昭和三五年七月までの間は大部分のメチル水銀化合物が除去されて排出されていた、昭和三五年八月以降はほとんどメチル水銀化合物は排出されていなかったと推定している。

(3) 証拠(〈書証番号略〉、検証)及び当事者間に争いのない事実によれば、以下の事実が認められる。

① これらの施設はいずれも水銀除去を目的として設置されたものではない。

② 昭和三五年から昭和四三年八月までの水俣湾及び水俣川河口の貝中水銀量は、別表二のとおりであり、貝採取場所は、別紙図面八のとおりであるが、入鹿山教授は、「水俣病の経過と当面の問題点」と題する書面(〈書証番号略〉)において、水俣湾及び付近の貝の水銀汚染状況について、次のとおり指摘している。

「三五年の始め、水俣湾月の浦のヒバリガイモドキ中の水銀は一〇〇PPm(乾燥重量あたり)近くあったのが、三六年の末から一〇PPm前後となり、この値は四一年末まで続いた。しかし、この貝は次第に消失したので、アサリ貝についての水銀含有量の変化をみるに、同地域・同時間では、アサリ中の水銀にヒバリガイモドキの約三倍を示した。その理由はアサリが土の中に棲息するのに対し、ヒバリガイモドキは岩の上に付着しているためと考えられる。水俣湾のアサリ中の水銀は、三七年から四〇年まで二〇~四〇PPmであったのが、四一年一〇月には月の浦、恋路島内側八〇PPmに達している。四二年は四一年に比して減少し、明神で一〇PPm前後、月の浦で二六PPm前後を示していたが、恋路島では五〇PPmを示すときもあった。この数字は、四三年三月ころまで続いたが、六月以降急激に減少し、八月には二~五PPmとなった。恋路島内側のアサリの水銀がなぜ多かったかについては、おそらく干潮時の工場廃水の流れの方向と一致するのではないかと考察した。これらの貝中のメチル水銀は総水銀の五~二〇%で、総水銀に対するメチル水銀の比率が三五年ころに三〇%以上占めたのに比して減少している。しかし、かなり多量の水銀が貝中に含まれていたことは、廃水処理の不備を物語るものである。四一年五月アセトアルデヒド廃水の循環方式が採用されてからも貝中の水銀が前より減少しなかったのは、八幡プールにたまった水銀含有水が、サイクレーターを通じて水俣湾へ流されたと考える。しかし、アセトアルデヒドの生産を停止した昭和四三年五月以降は貝中の水銀量は著明に減少した。」「大崎海岸のアサリの水銀は、四三年三月まで五PPm前後、ときに一〇PPmの水銀が含まれたが、四三年六月以降これも急激に減少し、八月には一PPm以下となっている。おそらく旧八幡プールから洩れた水銀含有水が水俣川河口を汚染したためと考えられ、新プールができてから水俣川方面への水銀の排出がほとんどなくなったと考えられる。」

③ 八幡プール水俣川河口部分は、カーバイド残渣の廃棄場所であって、その土手部分はカーバイド残渣で固められていたに過ぎないこと、検証の当時(昭和六二年一一月一二日)においても、浸透水が土手部分下方の素堀の側溝を経て、土手部分最下方の集水桝に集められ、水俣川に流れ出しやすい状況であった。

(4) (3)の各事実を総合すると、百間港、水俣川河口のいずれについても、昭和三五年以降メチル水銀化合物を含む水銀の流出はその量は減少したと推定されるものの、アセトアルデヒドの製造が停止される昭和四三年五月までは、流出は続いていたというべきであって、この点についての藤木鑑定は採用できない。

(5) 他方、塩化ビニール排水からのメチル水銀流出量については、前記(三)の(2)で述べたとおり、不明であるといわざるを得ない。

(五) 以上認定した事実及びメチル水銀が魚介類の体内で濃縮されることによって水俣病が発生したという水俣病の発症機序の特殊性を考えると、昭和三五年以降の具体的な流出メチル水銀の量は確定できないものの、なお、昭和三五年以降アセトアルデヒド製造停止に至るまでの間のアセトアルデヒド排水と水俣病患者発生との間には因果関係があると認めるのが相当であり、これと見解を異にする被告国・熊本県の主張は採用しない。

3 本件当時における水俣病に対する知見及び被告国・熊本県の担当公務員の認識

(一) 水俣病公式発見前までの時期について

前記一の2の(一)で認定したとおり、水俣病が公式発見されたのは昭和三一年五月のことであり、それまでは水俣病患者の存在は一般国民はもとより専門家である医師も認識していなかったのであるから、被告国・熊本県の担当公務員がその存在を認識あるいは予見することはできなかったというほかない。

これに対して、原告らは、三好係長の報告及び茂道における猫の全滅の事実等からして、公式発見前においても、水俣病被害について被告国・熊本県の担当公務員は、容易に予見できた旨主張する。

しかしながら、三好係長の報告は、前記一の1の(四)のとおりの内容のものであって、水俣工場が原因であると考えられる漁業被害について報告してはいるものの、その程度及び範囲は不明であるとしており、また、水俣工場の排水については必要によっては分析することが望ましいと指摘するにとどまっているのであって、また、茂道における猫の全滅についても、前記一の1の(五)のとおり、住民が鼠の駆除を水俣市衛生課に申入れたに過ぎないものであって、原因が判明している今日から見れば、これらを水俣病患者発生の前兆と見る余地もないわけではないが、公式発見前であるその当時においては、被告国・熊本県の担当公務員が水俣病被害について容易に予見できたとは到底いえない。

したがって、原告らの主張は採用できず、原告らの主張のうち、右主張を前提とする主張については、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(二) 水俣病公式発見後有機水銀説発表(昭和三四年七月)前までの時期について

(1) 前記一の2及び3で認定した事実を要約すると、この時期までに判明していた事実は、以下の点である。

① 昭和三一年五月に水俣病が公式発見された後、当初は感染症ではないかと考えられたが、その後の疫学調査等から、昭和三二年一月ころには、ある種の重金属の中毒であり、その中毒の媒介には魚介類が関係していると考えられるようになった。

② 昭和三二年七月、伊藤所長の猫実験の成功が確認され、水俣病は、感染症ではなく中毒症で、水俣湾内において何らかの化学毒物によって汚染を受けた魚介類を多量に摂食することによって発症するものであることが確認されるに至ったが、その有毒物質ないし発病因子が何であるかについては、不明であった。

③ 熊本大学を中心として、原因物質の探究が行われ、水俣工場で使用されていたマンガン・タリウム・セレンなどの化学物質が取上げられたが、いずれも単独では実験的に猫等の発病を再現することができず、また、病理上も水俣現地で発症した猫との合致を見ることができなかった。

④ 他方、水俣病公式発見後、患者の掘り起こしが行われた結果、昭和三二年一月の段階で、水俣湾内の住民について、昭和二八年一二月に一名発症したのを始めとして、昭和二九年中に一一名、昭和三〇年中に一〇名、昭和三一年中に三二名の合計五四名の患者が発症し、そのうち一七名が死亡していることが判明し、その後、昭和三三年七月までは患者の発生が終息したと考えられていたが、昭和三三年八月に水俣湾内で採取した蟹を多量に摂食した少年が発病し、更に、昭和三四年三月以降、水俣湾外の水俣川河口を漁場としている漁民にも水俣病の発症が見られるようになった。

(2) これらの事実を総合すると、この時期においては、水俣病が何らかの化学毒物に汚染された水俣湾内の魚介類を多量に摂食することによって発症することは明らかとなり、魚介類の汚染源として水俣工場の工場排水が強く疑われる状況ではあったが、原因物質の特定には至っておらず、しかも、昭和三三年九月からアセトアルデヒド排水の排水経路が変更されたことは被告国・熊本県の担当公務員も明確には認識していなかったため、水俣湾外の水俣川河口を漁場とする漁民に水俣病が発症した原因については不明であったのであり、水俣湾内あるいはその周辺の魚介類の汚染源が水俣工場の工場排水であると断定することはできなかったというべきである。

(三) 有機水銀説の発表後昭和三四年一一月ころまでの時期について

(1) 有機水銀説について

前記一の3の(二)で認定した事実を総合すると、武内教授らが有機水銀説の根拠とする最も主要な点は、臨床症状及び多くの剖検例を検討した結果が従来報告されていた有機水銀中毒と極めてよく一致するということにあると解せられる。ところで、有機水銀説に対する批判は多々なされているが、その最も主な批判は、水俣工場で触媒として使用している水銀は無機水銀であるのにどうして有機化するのかという有機化機序についてのものであるところ、有機化機序の問題は魚介類の汚染源がどこにあるのかの問題であって、汚染の原因物質が何であるかという問題とは確かに密接に関係する問題ではあるが一応の問題であるとともに、この当時において、水俣病の臨床症状及び病理的変化を説明しうるものは有機水銀説の他にはなかったことからすると、有機水銀説に対する批判の内実は、社会に与える影響の大きさから、汚染源が明らかとなるまで有機水銀説の発表は慎重になされるべきであったということにあったものと推察される。

そして、前記一の3(二)の(7)で認定したとおり、最もこの点についての研究が進んでいたと考えられる熊大研究班においても、確かに積極論から慎重論まであったものの、慎重論の見解を取入れながら、水銀が注目されるとの結論を一致して承認したことからすれば、この時期においては、水俣病の症状を説明しうる毒物としては、有機水銀しかないということが承認されていたといっても過言でなかったのであって、前記一の4で認定したとおり、右の有機化機序の問題が解決するまでにはなお相当の時間を要したことは確かであるにしても、遅くとも食品衛生調査会が厚生大臣に対して水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物である旨の答申をなした昭和三四年一一月一二日の時点においては、水俣病の原因物質が有機水銀であることが特定されていたと認めるのが相当である。

(2) 汚染源について

前記(二)の(2)で認定したとおり、有機水銀説発表までの時期においても、魚介類の汚染源として水俣工場の工場は排水が強く疑われる状況ではあったが、更に、前記一の3の(四)の(11)で認定した事実によれば、遅くとも、被告国・熊本県の担当公務員は、昭和三四年一〇月ころには、アセトアルデヒド排水についての認識があったか否かは別として、水俣工場の排水経路が変更されたこと、排水経路が変更された方向に、水俣病患者が発生していたことを認識していたのであるから、被告国・熊本県の担当公務員としては、昭和三四年一〇月末ころまでには、魚介類の汚染源が水俣工場の工場排水であることを認識しえたはずである。

そして、魚介類を汚染し水俣病を発症させる原因物質は(1)で述べたように遅くとも昭和三四年一一月一二日までにはある種の有機水銀化合物であると特定されていたのであるから、被告国・熊本県の担当公務員としては、水俣工場の工場排水に有機水銀化合物が含まれていたことを認識しえたはずである。

確かに、この時期においては、水俣工場で原料として使用していた無機水銀がどのようにして有機化するかという有機化機序の化学的な解明には至っておらず、それは後日の研究に待たなければならなかったのであるが、それは純化学的な立場の問題であり、前述した各事実に照すと、水俣病の原因物質を排出していた可能性のあるのは水俣工場のみであったのであり、社会的には、水俣工場の工場排水に有機水銀が含まれていると一般的に認識されていたというべきである。

4 原告らの主張する作為義務の有無について

(一) 食品衛生法について

(1) 食品衛生法は、その目的として、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを掲げ(一条)、右目的達成のために、本件に則していえば、営業者等に対して、不衛生食品等の販売等をなさないように義務付ける(四条)とともに、厚生大臣、都道府県知事等に対して、必要があると認めるときには、営業者等から報告を受ける等の権限を(一七条)、更に、営業者が右四条に違反した場合には、営業者に食品衛生上の危害を除去するために必要な措置をとることを命じ、または営業禁止等の処分をなす権限をも付与している(二二条)。

食品というのは人の生存に不可欠なものであり、食品の安全性の確保は強く要請されるものであって、食品衛生法の目的の背後には個別の国民の利益というものとの密接な関係があるというべきであるが、右の食品衛生法の目的及び規定の仕方からすると、食品の安全性の確保について、個別の国民に対して、第一次的に直接責任を負うのは、食品を販売あるいは販売の用に供するために製造等する者であって、厚生大臣、都道府県知事は、右の者のうち、同法二条七項本文に規定する営業者に対する前記の規制権限等を行使することによって、第二次的に間接的に責任を負っているにとどまるというべきである。

したがって、本件においては、各時点における具体的状況に照して、厚生大臣または熊本県知事が規制権限を行使しないことが著しく不合理であるといえるかどうかによって作為義務の有無を決すべきであり、規制権限の行使によって受ける原告らの利益は反射的利益に過ぎないと直ちにいうことはできないのであって、この点に関する被告国・熊本県の主張は採用しない。

但し、食品衛生法は、自ら摂食するために食品を採取する場合については、その規制の対象としておらず(四条)、更に、漁業者については、営業者に該当しないことから(二条七項但書)、同法四条の義務は負うものの、厚生大臣、都道府県知事の営業者に対する前記規制権限は漁業者には及ばないことが明らかであるから、原告らの主張のうち、これと見解を異にする前提での主張は理由がない。

そこで、以下、原告らが主張する根拠規定について、①まず、当該規定が公務員に規制権限を付与したものかどうかを検討し、②①が肯定された場合に、具体的状況の下で当該規制権限行使の要件を充足していたかを検討した上で、③具体的状況の下での当該規制権限の不行使が著しく不合理といえるかどうかについて判断することとする。

(2) 食品衛生法四条について

① 食品衛生法四条は、「左に掲げる食品又は添加物は、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)又は販売の用に供するために採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。」と規定し、更に、同条二号は、「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着しているもの」を掲げ、有毒有害な物質の含有附着している食品(以下、「有毒有害食品」という。)の販売及び販売目的の採取等を禁止している。

② 原告らは、この食品衛生法四条二号を根拠として、熊本県知事には、水俣湾内産魚介類が有毒食品に該当すること等を内容とする告示をなすべきであったと主張する。

しかしながら、食品衛生法四条二号は、右の規定の内容からして明らかなように、国民に対して有毒有害食品を販売等してはならないという不作為を命じた規定であり、都道府県知事に何らの規制権限も付与したものではないのであるから、たとえ国民の生命・身体等に対する重大な危険が発生していたとしても、これが規制権限を定めた規定に転換するということは法理論上ありえないというほかない。

前記一の2で認定したとおり、被告熊本県が水俣湾内の特定海域の魚介類について有毒有害食品が該当する旨の知事告示をなすことを一旦決定したことは事実であるが、このような告示をなすことを定めた法令上の根拠はなく、そのために、「食品衛生法四条二号の適用」という表現が使われたに過ぎないというべきである。

したがって、知事告示の不実施の点は、規制権限の不行使という観点からは、作為義務を発生させる余地が全くないのであって、この点に関する原告らの主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

(3) 食品衛生法二二条、一七条について

① 食品衛生法二二条は、「厚生大臣又は都道府県知事は、営業者が第四条、第五条、第六条、第七条第二項、第九条、第十条第二項又は第十二条の規定に違反した場合においては、営業者若しくは当該官吏吏員にその食品、添加物、器具若しくは容器包装を廃棄させ、その他営業者に対し食品衛生上の危害を除去するために必要な処置をとることを命じ、又は前条第一項の許可を取り消し、若しくは営業の全部若しくは一部を禁止し、若しくは期間を定めて停止することができる。」と規定し、厚生大臣、都道府県知事に営業者に対する一定の規制権限を付与している。また、食品衛生法一七条一項は、「厚生大臣、都道府県知事……は、必要があると認めるときは、営業を行う者その他の関係者から必要な報告を求め、当該官吏吏員に営業の場所、事務所、倉庫その他の場所に臨検し、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品……その他の物件を検査させ、又は実験の用に供するのに必要な限度において、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品……を無償で収去させることができる。」と規定しており、厚生大臣、都道府県知事に、(ア)営業者等から報告を受ける権限、(イ)担当公務員をして、臨検、食品等の検査、実験用の食品等の収去権限を付与している。

② 本件においては、食品衛生法四条二号の要件が充足されていたかどうかが争点とされているので、同条の要件について検討する。

食品衛生法四条二号は、昭和四七年法律第一〇八号による改正により、「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの。但し、人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定める場合においては、この限りではない。」と改正され、「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着しているもの」だけでなく、「これらの疑いのあるもの」も規制の対象とされるに至った。原告らは、右改正前においても、同法四条二号の解釈として有毒有害食品の疑いのあるものも販売が許されるべきではないとして、有毒有害食品の疑いがあるものも規制の対象とされていたのであって、右改正はこのことを明文化したに過ぎないと主張するが、前述したとおり、食品衛生法四条に違反した営業者に対しては、同法二二条により営業禁止等の行政処分がなされる場合があるうえ、更に、同法三〇条により刑罰が科される場合があることからすると、同法四条二号の規定は厳格に解さなければならないのであって、明文に明記されていない以上、右改正前に有毒有害食品の疑いのあるものをも含むという解釈は許されないというべきである。

そして、有毒有害食品に該当すると判断するためには、食品を有毒ないし有害ならしめている原因物質が判明し、当該原因物質を分析定量する方法が確立している場合には、その食品に含まれる許容限度を定めることにより行うことができるが、右のいずれかが判明あるいは確立していない場合には、その時点で判明していた科学的な知見や種々の事実関係に照して、個々の食品が有毒有害であると明確に判断できることが必要であるというべきである。

原告らは、個々の食品が全て有毒有害食品であることまでは必要ではないと主張する。確かに、営業者が販売等する食品のうちの一部が有毒有害食品であると判断できる場合に、右と製造等を同じくする食品についても有毒有害食品と推定して必要な処置を命ずることは可能であると思われるが、本件では、まさに、鮮魚商等の営業者が店頭で販売していた魚介類の中に水俣病を発症させる有毒有害なものがあると判断できたかが問題となっているのである。

前記3の(三)で認定したとおり、原因物質がある種の有機水銀化合物であるとの特定がなされたのは、遅くとも昭和三四年一一月一二日であるから、それ以前においては、水俣湾内産魚介類あるいは不知火海南部一円の魚介類が有毒有害食品にあたると判断できたというためには、その当時の科学的知見等により、全ての魚介類が有毒有害食品であると社会一般に認識されていたことが必要であり、原因物質がある種の有機水銀化合物であるとの特定がなされた当時においても、有機水銀化合物についての分析定量方法は確立していなかった(当事者間に争いがない)のであるから、この点では特定前と同様である。

したがって、本件当時においては、個々の魚介類についてそれが有毒有害食品であるか否かについての判断はなしえなかったのであるから、原告らの右主張は採用できない。

③ そこで、本件の場合には、本件当時において、被告国・熊本県の担当公務員が水俣湾内産魚介類あるいは不知火海南部一円の魚介類が全て有毒有害食品にあたると判断できたか否かが問題となるのであって、この点について検討を加えることとする。

前記一の2の(一三)、一の3の(一)及び(二)の(1)の①で述べたとおり、伊藤所長が行った猫実験の際には、水俣湾産の魚介類を特に種類を選択することなく与えて発症させることに成功したこと、喜田村教授らの疫学調査結果によれば、廻遊性の魚類も短期間でも水俣湾内に滞留したものは毒性を受けるようであると報告されていることが認められるうえ、昭和三三年三月に開催された熊本県議会定例会において、熊本県衛生部長も、議員からの質問に対して、熊大研究班の研究成果等からして、水俣湾内の魚介類はその全部が一応汚染されていると考えなければならない旨答弁していること(〈書証番号略〉)、前記3の(三)で認定したとおり、遅くとも昭和三四年一〇月末までには水俣湾内の魚介類を汚染していた原因が水俣工場排水によるものであることが明らかとなるとともに、同年一一月一二日までにその汚染原因物質がある種の有機水銀化合物であると特定されていたことを併せ考えると、遅くとも昭和三四年一一月一二日までには水俣湾内の魚介類については、その全てが工場排水により汚染されて有毒有害化していると社会一般に認識されるようになったと認めるのが相当である。これに対して、水俣湾外の魚介類については、その中に汚染された魚介類がいるということは認識されていたものの、不知火海南部一円の魚介類の全てが水俣工場の排水によって有毒有害化していたとは認識されるに至っていなかったというべきである。

したがって、遅くとも、昭和三四年一一月一二日までには、水俣湾内の魚介類については、食品衛生法四条二号の有毒有害食品に該当していたというべきであり、熊本県知事・厚生大臣は、食品衛生法一七条一項に基づき、担当公務員をして、鮮魚商等の営業者から魚介類の流通経路等の調査等を行わさせ、水俣湾内産魚介類であることが明らかとなった場合には、熊本県知事は、同法二二条に基づき廃棄を命ずる等の措置をとることが可能であったというべきである。

④ そして、本件の場合には、前記一の3の(一)で認定したように、昭和三四年一二月五日までに判明していただけで、水俣病患者は六二世帯、七八人にものぼり、そのうちの約四〇%にも及ぶ三一名が死亡し、患者発生地域が更に拡大する様相を呈していたのであって、まさに、水俣湾沿岸住民を中心とする付近住民の生命・健康に対する重大な危険が生じており、前述したとおり、食品衛生法四条二号の知事告示ということによって水俣湾内産魚介類の摂食禁止を図ることは社会的に求められていたうえ、当時において、食品衛生法に基づく規制権限が行使されていたとすれば、水俣湾内産魚介類の摂食禁止は徹底されていたであろうと推測されることからすると、本件の場合においては、水俣湾周辺住民との関係において、熊本県知事・厚生大臣に食品衛生法一七条及び二二条に基づく権限を行使する作為義務が発生していたというべきである。

本件においては、熊本県知事・厚生大臣が食品衛生法一七条及び二二条に基づく権限を行使しなかったことは当事者間に争いのない事実であり、前記一で認定した経緯に照すと、右権限を行使しなかったことにつき過失があるというべきであるから、右権限の不行使は、国家賠償法上違法であると評価されるというべきである。

(二) 漁業法(昭和三七年法律第一五六号による改正前のもの。以下、「漁業法」という。)について

(1) 漁業法は、その目的として、「漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によって水面を総合的に利用し、もって漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図る」ことを掲げている(一条)。

現行漁業法制定の経緯を見ると、現行漁業法制定前においては、水面利用は極度に集約されている反面、労働の生産性は低い水準にあったが、その根本的原因は、本来漁業全体の視角より関係漁民の総意によって決定管理されなければならない漁業秩序を個々の漁業権中心の漁業秩序として構成し、かつこの漁業権を何ら制限を設けず適当な調整機構をも伴わずに、物権とし、その設定行使を権利者の恣意に任せていたため、一部の者が良好な漁場を独占し、附近の漁民の漁業の機会に対し圧倒的な支配力を得ることとなり、これが漁村封建制の基盤をなしていたことから、これらを改革し、基本的漁業制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用により、水面の総合的利用を図り、漁業生産力の発展と漁業の民主化を実現しようとして現行漁業法が制定されたのである(〈書証番号略〉)。

このような漁業法の目的及び立法の経緯からすると、漁業法は漁業生産力の発展及び漁業の民主化を目的として制定されたものであり、国民の生命・身体の安全の保護を直接目的としたものでも、公益の中に国民の生命・身体の安全の保護を包摂する形で保護の対象としているとも解することができない。

これと見解を異にする原告らの主張は採用しない。

(2) 漁業法三九条について

漁業法三九条一項は、「漁業調整、船舶の航行、てい泊、水底電線の敷設その他公益上必要があると認めるときは、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、又はその行使を命ずることができる。」と規定し、都道府県知事に対し、漁業権に対する規制権限を付与している。

原告らは、右「公益」には、国民の生命・身体の安全を保護することも当然含まれると解すべきであると主張するが、右「公益」にどのようなものが含まれるかを考える場合には、(1)で述べた漁業法の目的を考慮しなければならないところ、前述したとおり、漁業法は漁業生産力の発展及び漁業の民主化を目的とするものであり、国民の生命・身体の安全の保護というものを保護の対象としていないこと及び例示列挙さている例からすると、右「公益」の中に国民の生命が含まれていると解することはできないというべきである。

したがって、本件においては、熊本県知事が前記規制権限を行使するための要件は充足されていなかったというほかなく、その余の点について判断するまでもなく、原告らのこの点に関する主張は理由がない。

(三) 水産資源保護法(昭和五三年法律第八七号による改正前のもの。以下、「水産資源保護法」という。)及び熊本県漁業調整規則(昭和四〇年三月二六日規則第一八号の二による廃止前のもの。以下、「調整規則」という。)について

(1) 水産資源保護法は、その目的として、「水産資源の保護培養を図り、その効果を将来にわたって維持することにより、漁業の発展に寄与する」ことを掲げ(一条)、同法四条は、「農林大臣又は都道府県知事は、水産資源の保護培養のために必要があると認めるときは、左に掲げる事項に関して、省令又は規則を定めることができる。」と規定し、更に、同項一号は「水産動植物の採捕に関する制限又は禁止」を掲げ、同項四号は「水産動植物に有害な物の遺棄又は漏せつその他水産動植物に有害な水質の汚濁に関する制限又は禁止」を掲げている。

一方、調整規則は、その目的として、「漁業法第六十五条及び水産資源保護法第四条の規定に基き、水産動植物の繁殖保護、漁業取締その他漁業調整を図り、あわせて漁業秩序の確立を期するため、必要な事項を定める」ことを掲げている(一条)。

(2) 調整規則三〇条について

① 調整規則三〇条一項は、「知事は漁業調整その他公益上必要があると認めるときは、許可の内容を変更し、若しくは制限し、操業を停止し、又は当該許可を取消すことができる。」と定めている。

② 原告らは、右「公益」には国民の生命・身体に対する安全の保護が含まれていると解すべきであると主張するが、調整規則は前記(二)で述べた漁業法及び水産資源保護法をその基礎とするものであるから、右「公益」にどのようなものが含まれるかについても、漁業法及び水産資源保護法の目的に照して検討することが必要とされるところ、漁業法は前述したとおり、国民の生命・身体の安全の保護をその対象としておらず、また、前記水産資源保護法についても、前述した目的に照すと、国民の生命・身体の安全の保護をその対象としたものでないことは明らかであり、例示として挙げられているのは漁業調整である。これらの点を併せて考えると、右「公益」には、国民の生命・身体に対する安全の保護という利益は含まれていないというほかない。

③ したがって、本件においては、熊本県知事が調整規則三〇条一項の規制権限を行使するための要件は充足されていなかったというべきであり、原告らのこの点に関する主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

(3) 調整規則三二条について

① 調整規則三二条一項は、「何人も、水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつする虞があるものを放置してはならない。」と規定し、更に、同条二項で「知事は、前項の規定に違反する者があるときは、その者に対して除害に必要な設備の設置を命じ、又は既に設けた除害設備の変更を命ずることができる。」として、熊本県知事に規制権限を付与している。

② そこで、熊本県知事が右権限を行使するための要件について右の規定の内容から検討すると、水産動植物に有害な物の特定と特定された有害物質を遺棄または漏せつする虞があるものを放置する者が誰であるかの特定が必要であると解される。

本件において、右の点について検討するに、前記3で認定したとおり、魚介類を汚染して人に水俣病を発症させた原因物質が有機水銀化合物であること及び有機水銀化合物を流出していたのが水俣工場であることが熊本県知事において認識しえたのは、遅くとも昭和三四年一一月一二日であるから、右以降においては、熊本県知事は、調整規則三二条二項に基づき、被告チッソに対して、水俣工場の排水から有機水銀化合物を排出させないような設備の設置を命ずることができたというべきである。確かに、本件当時においては、前述したとおり、有機水銀化合物についての分析定量方法が確立していなかったことは事実であるが、このことから右権限行使が不可能であったということは直ちにいえないというべきである。

③ 更に、熊本県知事の被告チッソに対する右規制権限の行使が原告らとの関係で義務付けられるかどうかについて検討するに、前記(2)で述べたとおり、調整規則及びその基礎となる水産資源保護法は、直接国民の生命・身体に対する安全を保護するものではなく、間接的にもこれを保護するものとはいいがたい。そうすると、いかに熊本県知事に調整規則三二条に基づく権限行使が可能であり、これによって、原告らが水俣病に罹患することを免れたとしても、それは法的に保護された利益ではなく、事実上の利益であって、その不行使が原告らとの関係で国家賠償法上違法と評価することは困難であり、原告らとの関係において右権限を行使すべき作為義務が発生するということはできないというべきである。

④ したがって、原告らのこの点に関する主張も理由がないというべきである。

(四) 水質二法について

(1) 水質保全法の目的及び構造

① 水質保全法は、その目的として、「公共用水域の水質の安全を図り、あわせて水質の汚濁に関する紛争の解決に資するため、これに必要な基本的事項を定め、もって産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与する」ことを掲げている(一条)。

② そして、右目的を達成するために、経済企画庁長官は、公共用水域のうち、当該水域の水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれがあるものを、水域を限って、指定水域として指定し(五条一項)、水域として指定するときには、当該指定水域に係る水質基準を定めなければならないとしている(同条二項)。

右水質基準の設定に当たっては、当該水域の水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれがあるという事実を除去又は防止するために必要な程度を超えないものであることが要求されている(同条三項)。

③ 経済企画庁長官が、指定水域を指定し、水質基準を定めようとするときには、水質審議会の議決を経なければならない(同条四項)とされるとともに、指定水域の指定及び水質基準の設定の円滑な実施を図るために、公共用水域の水質の調査に関する基本計画(以下、「調査基本計画」という。)を立案し、水質審議会の議決を経て、調査基本計画を決定する(四条一項)とされている。

更に、経済企画庁長官が指定水域の指定及び水質基準の設定を行おうとするときには、あらかじめ関係都道府県知事の意見を聞かなければならず(六条)、指定水域の指定及び水質基準の設定がその効力を生じるためには、公示されることが必要であるとされる(七条)。

(2) 工場排水規制法の目的及び構造について

① 工場排水規制法は、その目的として、「製造業等における事業活動に伴って発生する汚水等の処理を適切にすることにより、公共用水域の水質の保全を図る」ことを掲げている(一条)。

② そして、右目的を達成するために、製造業等の用に供する施設で汚水等を排出するもののうちから、内閣が、政令によって「特定施設」を定める(二条二項)とともに、「特定施設」の種類ごとに「主務大臣」を定めるとされている(二一条)。

③ 主務大臣は、(ア)工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは、その工場排水等を指定水域に排出する者に対し、期限を定めて、汚水等の処理方法の改善、特定施設の使用の一時停止その他必要な措置をとるべきことを命ずることができ(一二条)、(イ)指定水域の水質の保全を図るために必要な限度において、その職員に、工場排水等を指定水域に排出する者の工場又は事業場に立ち入り、その者の帳簿書類、特定施設、汚水処理施設その他の物件を検査させることができ(一四条一項)、(ウ)公共用水域の水質の保全を図るために必要な限度において、特定施設を設置している者に対し、その特定施設の状況、汚水等の処理の方法又は工場排水等の水質に関し報告をさせることができる(一五条)とされている。

④ 以上のように、工場排水規制法による規制権限を有するのは、主務大臣であるが、主務大臣が右に述べた規制権限を行使するためには、内閣が政令によって「特定施設」及び各「特定施設」についての主務大臣を定めるとともに、水質保全法によって、経済企画庁長官が指定水域の指定及び水質基準の設定をなすことがその前提となっている。

(3) 本件の場合には、前記一の3の(一)で認定したように、昭和三四年一二月五日までに、水俣病患者は六二世帯、七八人にものぼり、そのうちの約四〇%にも及ぶ三一名が死亡し、患者発生地域が更に拡大する様相を呈していたのであるから、昭和三四年一一月ころには、水俣湾周辺の海域は、まさに水質保全法五条一項にいう「公衆衛生上看過し難い影響が生じている」場合に該当していたことは明らかである。そこで、まず、昭和三四年一一月ころまでに、経済企画庁長官において、水俣湾及びその周辺の一定の海域を指定水域とするとともに、水質基準を設定し得たかどうかについて検討する。

① 水質保全法は、昭和三三年一二月二五日に制定され、第四章(和解の仲介)を除いて昭和三四年三月一日から施行されたが、施行後の実際の作業の経緯は、証拠(〈書証番号略〉)によれば、以下のとおりであったことが認められる。

経済企画庁長官は、昭和三四年六月一六日、水質審議会に対し、調査基本計画の策定方針についての意見を諮問し、同日、水質審議会は、調査基本計画の策定を待っていたのでは、昭和三四年度の調査について時期を失するおそれがあるとして、昭和三四年度は、石狩川、江戸川、渡良瀬川、木曽川、淀川、遠賀川の六水域を調査水域として決定したが、水俣湾水域は調査水域とされなかった。

昭和三五年二月一日、第四回水質審議会が開催され、水俣を中心とする八代海南半部海域を昭和三四年度の調査水域として追加することが決定されたが、この際の質疑応答の中で、委員の中から、二千数百種もある有機水銀のなかから一種に特定しなければならないとすれば、非常に困難で時間を要することになる、水俣病のような突発的問題が起こった場合に機動的に調査できるような方法を考えておく必要はないかという意見が出されたのに対して、事務局である経済企画庁調整局長は、応急の調査でなく、かなり時間をかけて科学的な調査をしたい旨答弁している。

昭和三六年七月七日、経済企画庁長官は、同日付経済企画庁告示第三号として、調査基本計画を公表したが、それによると、調査対象水域は全国で一二一水域、調査終了予定時期は昭和四六年三月三一日、調査着手時期は、昭和三八年度末までのもの四二水域、昭和四一年度末までのもの三七水域、昭和四五年度末までのもの四二水域とされ、八代海南半部海域及び水俣川は、昭和三八年度末までに調査に着手するものとされ、備考欄に「調査着手ずみ」とされていた。

その後、昭和三七年四月二四日に江戸川水域甲及び乙が指定水域として指定されたのを始めに、昭和四三年末までに合計三〇水域が指定水域として指定され、水質基準が定められていった。

八代海南半部海域及び水俣川については、昭和四四年二月三日、二九水域の一つとして、水俣大橋から下流の水俣川、熊本県水俣市大字月浦字前田五四番地の一から熊本県水俣市大字浜字下外平四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれらに流入する公共用水域が指定水域として指定され、水銀電解法か性ソーダ製造業またはアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場または事業場から右指定水域に排出される水の水質基準として、「メチル水銀含有量・検出されないこと(ガスクロマトグラフ法及び薄層クロマトグラフ分離ジチゾン比色法の両方法によってメチル水銀を検出した場合以外の場合)」という水質基準が設定され、右が同年七月一日から適用されることになった。

② 前述した水質保全法の構造からすると、水質基準の設定のためには、(ア)汚濁原因物質が特定されていること、(イ)汚濁原因物質を排出している工場等が社会通念上明らかとなっていること、(ウ)汚濁原因物質の分析定量方法が確立さていること、(エ)汚濁原因物質についての許容量を設定しうることが原則として必要であると考えられる。

前記3の(三)で認定したとおり、遅くとも昭和三四年一一月一二日までには、魚介類を汚染し水俣病を発症させる原因物質はある種の有機水銀化合物であると特定され、その汚染源も水俣工場のアセトアルデヒド排水及び塩化ビニール排水であることが判明していたのであるから、右の(ア)と(イ)の要件は充足されていたというべきである。

そこで、右(ウ)及び(エ)の要件の充足の有無について検討するに、前述したとおり、昭和三四年一一月ころには有機水銀化合物の分析定量方法は確立しておらず、有機水銀化合物の許容基準を定めることは不可能であった。本件当時に確立していたのは、無機水銀、有機水銀化合物等すべての水銀を包括した総水銀についてのジチゾン比色法であった(当事者間の争いがない)。

したがって、本件において、昭和三四年一一月の時点において、水質基準を設定しようとすると、総水銀による規制ということにならざるを得ないが、そうすると、前述した水質保全法五条三項との関係が問題となる。

水質保全法は、その目的として、産業の相互協和とともに公衆衛生の向上を掲げているところ、前述したとおり、本件の場合には、水俣工場から排出される有機水銀化合物によって、付近住民の生命・健康に対する重大な被害が現実に発生していたのであって、このような場合に、有機水銀化合物とともに無機水銀も規制の対象となり、過剰規制となるとするのは、余りにも形式的であり、社会正義に反するというべきである。確かに、本件の場合において、総水銀による水質基準の設定をすることは過剰規制となるおそれがあるかも知れないが、水質保全法五条三項も本件のような重大な人体被害が発生している場合まで予想してはいないというべきである。

以上より、本件においては、総水銀による水質基準の設定ができたというべきである。

③  水質基準の設定をするための要件が充足されていたとしても、前記(1)で述べた水質保全法の構造及び前記(3)の①の経過からして、昭和三四年一一月ころまでに水俣湾周辺の海域について指定水域の指定及び水質基準の設定をなすことが可能であったかを検討しなければならない。

この点については、前述したとおり、水俣病の被害は極めて重大で緊急にこれに対処する措置が必要な状態であったうえ、前記一で認定したとおり、被告熊本県と関係漁業協同組合との間において、想定危険海域が設定され、漁獲が自粛されていたこと、水俣病の原因究明のために、昭和三一年五月の公式発見以来、熊本大学を中心として、研究が続けられ、その研究成果の蓄積は膨大なものとなっていたこと、経済企画庁は、昭和三四年一一月一二日の厚生省食品衛生調査会の水俣病の原因物質についての答申がなされたことを受けて、関係各省庁の調整を行う機関として活動していたことからすると、緊急の必要性があるとして、それまでの研究成果等をもとに、昭和三四年一一月ころまでには、少なくとも右想定危険海域については、経済企画庁長官において、指定水域の指定並びにジチゾン比色法により「水銀及びその化合物が検出されないこと」という水質基準の設定をなすことができたと認めるのが相当である。

前述のとおり、現に昭和三四年度の調査水域の決定は調査基本計画の策定前になされているのであって、委員の中には本件のような場合には機動的に対処する方法を考えるべきではないかという意見もあったのである。

(4) 次に、内閣において、水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造施設・塩化ビニールモノマー製造施設を「特定施設」と定めるとともに通産大臣を主務大臣と定めることができたかについて検討するに、3の(三)で述べたように、遅くとも昭和三四年一一月一二日までには、魚介類を汚染し水俣病を発症させる原因物質は有機水銀化合物であること及び汚染源が水俣工場であることが判明していたうえ、この当時においては、水俣工場のうち原料に水銀を使用していた施設がアセトアルデヒド醋酸製造施設と塩化ビニールモノマー製造施設であったことは明らかであったことからすると、内閣において、昭和三四年一一月ころまでには、水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設を「特定施設」と定めるとともに通産大臣を主務大臣と定めることは可能であったというべきである。

(5) 更に、前記(3)で述べた経済企画庁長官の指定水域の指定及び水質基準の設定並びに前記(4)で述べた内閣の「特定施設」の指定及び主務大臣の指定が原告ら個々の国民との関係において、義務付けられるかについて検討を加える。

①  水質二法は、前記(1)及び(2)から明らかなように、直接個々の国民の利益を保護するものではないが、公衆衛生の向上というものは、個々の国民の生命・身体の安全が保護されて始めて達成しうるものであるから、水質二法は、公衆衛生の向上という公益を通して、個々の国民の生命・身体の安全の保護をも図っているものであるというべきであり、この利益は法的に保護されるべき利益であるというべきである。

これと見解を異にする被告国・熊本県の主張は採用しない。

② 更に、経済企画庁長官の指定水域の指定及び水質基準の設定並びに内閣の「特定施設」の指定及び主務大臣の指定というものは、高度の専門的技術的事項にわたるものであり、状況の変化に機動的に対応することが求められるところから、経済企画庁長官及び内閣の右権限行使に関する裁量は相当に広範なものというべきである。しかしながら、本件の場合には、人の生命・身体に対する重大な被害が現に発生しており、更に拡大する様相を呈し、そのことを経済企画庁長官及び内閣の構成員である各省大臣等は認識していたのであり、しかも右各権限行使を行使することにより右被害の拡大を回避できたというべきであるから、このような場合に、行使可能な右各規制権限を行使しないことは、著しく不合理であり、このような場合には、経済企画庁長官及び内閣には右権限を行使すべき作為義務が発生するというべきである。

(6)  本件において、経済企画庁長官及び内閣がいずれも右各権限を行使しなかったことは当事者間に争いのない事実であり、前記一の経過に照すと、右各権限を行使しなかったことについては過失があるというべきであるから、右各権限の不行使は、国家賠償法上違法であるというべきである。

(五) 警察官職務執行法等について

原告らは、警察官職務執行法を行使するための根拠として食品衛生法等の罰則を挙げて、本件においては警察官等に作為義務が発生する旨あるいは被告チッソに対する強制捜査すべき作為義務があった旨主張するが、これらが仮に実行可能であり、実行されたことによって、原告らが水俣病に罹患することを免れたとしても、それは法的に保護された利益とはいえないのであって、原告らとの関係において、作為義務が発生することはないというべきである。

したがって、この点についてはその余の点について判断するまでもなく、原告らの主張は理由がない。

(六) 行政指導の不作為について

(1) 住民に対する行政指導

原告らは、昭和三二年四月には、厚生大臣及び熊本県知事に、水俣湾及び周辺の水域の魚介類を反復して多量に摂食する可能性のある地元住民に対し、これを止めるように指導すべき作為義務が発生したが、被告熊本県の行った行政指導は漁業協同組合の理事だけを対象としたものであって、漁民に徹底する方策は何等とっておらず、全く効果がなかった旨主張するので、この点について検討する。

① 前記3の(二)で述べたように、水俣病は当初は感染症ではないかと考えられたが、その後の疫学調査等から、昭和三二年一月ころには、ある種の重金属による中毒であり、その中毒の媒介には魚介類が関係していると考えられるようになり、同年七月、伊藤所長の猫実験の成功が確認されたことによって、何らかの化学毒物によって汚染を受けた魚介類を多量に摂食することによって発症するものであることが確認されるとともに、同年一月の段階では、水俣湾内の住民について、五四名の患者が発生し、うち一七名が死亡したことが既に確認されていた。

したがって、昭和三二年七月の時点において、水俣湾内に生息する魚介類を反復して多量に摂食する可能性のある沿岸住民の生命、身体、健康に対する差し迫った危険が発生していたことは明らかであり、それを防止しようとすれば、水俣湾内での漁獲及び水俣湾で漁獲された魚介類の摂食を止めさせる必要があったことも明らかである。

ところが、このような事態の発生を想定した法令はなく、食品衛生法その他の法令上、厚生大臣、熊本県知事に漁獲を一般的に禁止するといった規制権限がなかったことは前述したとおりである。

② このため、被告熊本県は、前記一の2で認定したとおり、漁業協同組合の理事に対して、摂食しないように組合員に対し指導するよう行政指導するとともに、水俣漁協に対して、水俣湾内の想定危険区域での操業を自粛するように勧告を行うなどした。この結果、その当時の認識としては、昭和三一年末から昭和三三年七月まで水俣病患者の発生は止んだと考えられたが、後日の調査により水俣病患者が続発していたことは既に認定したとおりである。

原告らは、この後日の調査結果をとらえて、熊本県の行った行政指導は全く効果がなかったと主張するのであるが、当時の担当公務員の認識としては、行政指導の効果があがっていたと考えていたことは無理からぬところであって、結果からのみ評価することは相当でないというべきである。

③ 更に、前記一の3で認定したとおり、水俣病患者が水俣湾外の漁民にも発生するようになってからは、被告熊本県は、摂食しないように行政指導をするとともに、政府に対して漁獲禁止の特別立法措置を求める活動をなしたのであって、これらの点を総合すると、厚生大臣及び被告熊本県が有効適切な行政指導をしなかったと評価することはできないのであって、本件において、住民に対する行政指導の不作為を理由として、被告国・熊本県に対して損害賠償を請求することはできないというべきである。

(2) 被告チッソに対する行政指導

① まず、原告らは、通産大臣は、主務大臣としてあるいは主務大臣に準じて工場排水規制法一五条に基づいて水俣工場に対して行政指導することができ、行政指導すべき作為義務を負っていたと主張するが、本件においては、既に述べたように、内閣によって水俣工場のアセトアルデヒド醋酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設が「特定施設」として指定されてもおらず、通産大臣が主務大臣として指定されてもいなのであるから、通産大臣が工場排水規制法一五条に基づいて行政指導することはそもそもできないというべきである。

② 前記一の3の(四)の(11)で認定したとおり、通産省は、厚生省からの要請等を受け、被告チッソに対して、八幡中央排水溝の廃止、排水浄化設備の早期完成の行政指導をなしているのであり、これらは、今日からみれば、水俣病患者の発生拡大を防止するためのものとしては不十分なものであったといわざるを得ないが、通産省が有効適切な行政指導をなさなかったとまで断ずることはできないというべきであり、この点を理由として被告国に対して損害賠償を請求することはできないというべきである。

5 まとめ

(一) 以上述べたことをまとめると、被告国は、厚生大臣が食品衛生法に基づく権限を違法に行使しなかったこと、経済企画庁長官が水質保全法に基づく権限を違法に行使しなかったことを及び内閣が工場排水規制法に基づく権限を違法に行使しなかったことによって水俣病被害を拡大させたという法的責任があり、被告熊本県は熊本県知事が食品衛生法に基づく権限を違法に行使しなかったことによって水俣病被害を拡大させたという法的責任があ

ると認めるのが相当である。

(二) そして、被告国・熊本県の右法的責任を本件の原告らとの関係で考えると、被告国・熊本県は、原告らのうち、有機水銀の影響により健康障害を受けたと認められるものに対しては、国家賠償法一条一項によって、その損害を賠償する責任を負うというべきである。

被告国・熊本県は、各原告らについて症状の初発時期を問題とするが、これを確定することは極めて困難であり、昭和三四年一一月以前に発症していたものでも、昭和三四年以降にメチル水銀化合物で汚染された魚介類を摂食することにより症状が悪化することは充分考えられるのであるから、初発時期を限定して考えることは相当でないというべきである。

第三被告ら相互間の責任関係

一第一及び第二で述べたとおり、原告らのうち有機水銀の影響により健康障害を受けたと認められるものに対して、被告チッソは、民法七〇九条に基づき、被告国及び被告熊本県は、それぞれ国家賠償法一条一項に基づき、損害賠償責任を負う。

二本件の場合において、水俣病を発生させたのは被告チッソであり、前記第二で述べたとおり、被告国・熊本県の責任は担当公務員が水俣病の発生の拡大を防止する権限がありながら、権限を行使しなかったことに基づくものであるところ、担当公務員の本件水俣病被害の拡大に寄与した度合いを正確に判断することはその性質上必ずしも容易ではないが、第二で認定した被告国・熊本県の担当公務員の本件に対する対応等を考慮すると、それぞれ一割程度であると認めるのが相当である。

したがって、被告国及び被告熊本県は、原告らのうち有機水銀の影響により健康障害を受けたと認められるものに対して、被告チッソに認められる後記損害賠償義務のうちの一割の範囲において、これと不真正連帯の関係に立つ損害賠償義務をそれぞれ負担するというべきである。

図面一ないし四〈省略〉

図面五

図面六、七、八〈省略〉

別表

年(昭和)

生産実績(t)

精ドレン排水中の

メチル水銀量(kg)

7

209.763

4~6

8

1297.410

27~42

9

2583.180

54~84

10

3628.330

75~117

11

5133.750

107~167

12

6252.120

131~203

13

7386.130

155~240

14

9063.108

189~294

15

9159.187

191~297

16

8700.148

182~282

17

8480.195

177~275

18

7469.934

156~242

19

7295.541

152~237

20

2263.815

47~74

21

2252.830

47~74

22

2362.703

50~77

23

3326.256

69~108

24

4391.208

92~143

25

4484.016

93~146

26

6248.467

131~203

27

6147.777

128~200

28

6592.261

138~213

29

9059.140

189~294

30

10632.776

222~345

31

15919.042

332~516

32

18085.091

377~587

33

19191.351

405~630

34

31921.222

749~1293

35

45244.790

1076~1674

36

42287.970

885~1376

37

26500*

501~779

38

41029*

855~1329

39

26581*

554~861

40

17960*

375~582

41

16115*

336~522

42

11961*

249~387

43

783*

17~26

* 生産実績については、昭和37年は推計値、昭和38年以降は、会計年度の集計である。

別表

水俣湾および水俣川河口の貝中水銀量(ppm/乾燥重量あたり)

採取場所

貝の種類

採取年(昭和)月

35

36

37

38

40

1

4

8

1

4

12

1

10

5

月の浦

イ貝*

85

50

31

56

30

9

12

12

月の浦

アサリ貝

28

33

明神

アサリ貝

28

12

16

恋路島

アサリ貝

43

40

大崎

アサリ貝

5

5

5

採取場所

貝の種類

採取年(昭和)月

41

42

10

12

4

6

8

10

12

月の浦

イ貝*

8

月の浦

アサリ貝

84

8

15

26

24

20

明神

アサリ貝

21

7

8

3

16

13

恋路島

アサリ貝

81

60

19

48

32

14

大崎

アサリ貝

6

3

6

5

9

採取場所

貝の種類

採取年(昭和)月

43

3

6

7

8

月の浦

イ貝*

月の浦

アサリ貝

12

8

9

4

明神

アサリ貝

9

10

12

2

恋路島

アサリ貝

45

30

5

大崎

アサリ貝

4

3

1

0.?

* イ貝、ヒバリガイモドキ

第四章水俣病の病像

第一当事者間に争いのない事実

一「水俣病」とは、魚介類に蓄積された有機水銀化合物を経口摂取することによって起こる中毒性神経疾患である。

二有機水銀が人体にもたらす主要な中毒症候については、感覚障害(知覚障害ともいうが、以下では「感覚障害」という用語を用いることとする。)、運動失調、視野狭窄、難聴等であると考えられている。

1 感覚障害は、様々な原因によって起こるものであり、その障害の程度及び部位も様々であるが、有機水銀によって引き起こされる感覚障害には、四肢末梢優位のものが極めて多い。

2 運動失調も、様々な原因によって起こるものであり、その障害部位から小脳性のもの、脊髄性のもの等に分類されるが、有機水銀によって引き起こされる運動失調は、小脳性のものと考えられており、四肢の協調運動障害及び平衡機能障害の両者を伴うものであると考えられている。

3 有機水銀によって引き起こされる視野狭窄は、求心性視野狭窄であると考えられている。

4 難聴も、様々な原因によって起こるものであり、その障害部位から伝音性難聴、感音性難聴及び混合性難聴に分けられ、更に、感音性難聴は内耳性難聴と後迷路性難聴に分けられるが、有機水銀によって引き起こされる難聴は、主として後迷路性難聴であると考えられている。

三有機水銀中毒における臨床的典型は、ハンター・ラッセル症候群(感覚障害、運動失調、構音障害、難聴、視野狭窄)とされ、病理上の好発部位は、大脳の後頭葉鳥距野・頭頂葉中心後回・前頭葉中心前回・側頭葉横側頭回・上側頭回、小脳、末梢神経とされる。

そして、感覚障害は末梢神経・中心後回の障害に、運動失調・構音障害は小脳障害に、難聴は横側頭回・上側頭回の障害に、視野狭窄は鳥距野の障害にそれぞれ対応すると考えられてきた。

四環境庁は、昭和五二年七月一日、環境庁企画調整局環境保健部長名で「後天性水俣病の判断条件について」と題する通知(以下、「五二年判断条件」という。)を発し、その中で、感覚障害があり、①運動失調が認められる場合、②運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められる場合、③両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科または耳鼻科の症候の組合せがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合のいずれかに該当する者については、通常、その者の症候は水俣病の範囲に含めて考えられるものであることとするという判断条件を提示している。

第二原告らの主張の要旨

一慢性水俣病について

1 現在問題とされている水俣病は、いわゆる慢性水俣病である。従来、慢性水俣病といわれてきた中にはいろいろな病態があるが、水俣湾周辺における水俣病は、濃厚汚染時期に汚染を受け、更にその後も比較的軽い汚染を受け続けたというものであって、遅発性水俣病、慢性微量汚染による水俣病をとくに議論する実益はない。我々がここにいう慢性水俣病とは、その発症経過が緩徐であり、病像の完成までに長期間を要する水俣病をいう。

2 慢性水俣病は、その発症経過が非常に緩徐であるとともに、その症状が極めて多彩で不揃いであるという点に特徴がある。

3 五二年判断条件においては、感覚障害だけのものは水俣病でないとしているが、感覚障害だけの患者も有機水銀に汚染されていること、感覚障害が有機水銀によって起こる症状であること、感覚障害プラスアルファの症状を呈する患者が水俣病であって感覚障害だけを呈する例もこれと一連のものであることなどを併せ考えると、感覚障害だけを呈する患者も水俣病だと考えられる。

二臨床症状と病理所見との関係について

1 水俣病の臨床的典型は、ハンター・ラッセル症候群(感覚障害、運動失調、構音障害、難聴、視野狭窄)とされ、病理上の好発部位は、大脳の後頭葉鳥距野・頭頂葉中心後回・前頭葉中心前回・側頭葉横側頭回・上側頭回、小脳、末梢神経とされる。

そして、感覚障害は末梢神経・中心後回の障害に、運動失調・構音障害は小脳障害に、難聴は横側頭回・上側頭回の障害に、視野狭窄は鳥距野の障害にそれぞれ対応する。

2 しかし、中心前回に対応する特徴的な臨床症状はなく、病理上の症度と臨床上の症度とは必ずしも対応していない。また、病理上大脳においては鳥距野の障害が最も強いとされているにもかかわらず、それに対応する視野狭窄の出現頻度は他の臨床症状に比べてその頻度が低くなっている。更に、何よりも、臨床上の水俣病の症状のうち感覚障害と他の症状との頻度に大きな差があるにもかかわらず、病理上は小脳、鳥距野などにも必ず障害があるとされるのは決定的な食い違いである。

3 そして、生前水俣病とはされず、解剖の結果水俣病と認められた多くの患者が存在することは、病理所見に対応した臨床症状が必ずしも把握されていないことを意味する。

4 したがって、水俣病に特徴的な病理所見があるにしても、それを根拠として、その病理的特徴に対応した臨床症状が揃って見られるはずだとは決していえないのであり、被告らの主張するように症状の組合せが必要であるとすれば、多くの水俣病患者の救済を拒否することになることは明らかである。

三水俣病の病理基準について

1 水俣病の病理基準は、前述した典型的な病理像を前提として、軽くてもその好発部位に障害が認められるもののみを水俣病としている。

2 しかし、宮川太平のラットによる実験報告、武内教授らの指摘等からして、水俣病において、末梢神経は中枢より先に障害を受け、軽症の場合その障害も中枢より優位であることが確認されているのであるから、病理上からも感覚障害だけの水俣病が存在するということは支持されているのであって、有機水銀に曝露されて末梢神経に知覚神経優位の障害が認められた場合、水俣病を否定することはできない。

四水俣病の診断について

1 水俣病は、有機水銀に汚染された魚介類を摂取することにより起こる中毒である。その汚染の事実を血中水銀値あるいは毛髪水銀値により直接証明できれば問題はない。しかし、被告国・熊本県の怠慢により、汚染を受けた地域住民の汚染の調査などはほとんどなされていない。したがって、有機水銀に汚染されたことは、患者の生活歴、職歴、食生活歴等により判断される。食生活を同じくする家族に水俣病の症状や健康障害がみられること、あるいは類似の食生活をする同じ網で働く者や近所の者に同様の症状等があることは重要である。また、家畜の狂死など環境の異変があったことも濃厚な汚染のあったことを示すものである。

2 患者が有機水銀に汚染されて、どういう経過で発病し、その後どういう経過をたどったかということも重要である。しかし、慢性水俣病では、症状に変動があり、一旦被害を受けてもその後改善することがあるので、現在一定の症状等がないか軽いとしても、水俣病を否定する根拠とはならない。

3 患者に現在どのような症状があるかは、もちろん重要なことである。感覚障害等の水俣病の症状があるかどうかが確認されなければならない。しかし、その症状を検討する場合、まず、典型的水俣病の観念に縛られて多様な症状を軽視してはならない。次に、重症から軽症まで一連のつながりがあるから、とくに水俣病に見られる症状については軽いものまでピックアップすることが必要であるし、そのためには患者にどういう日常生活の支障があるか、どんな自覚症状があるかが重視されなければならない。

4 以上のことを検討し、汚染地区に居住し、魚介類を多量に摂取した者に、水俣病に見られる症状の一つでもあれば、水俣病が疑われ、それが水俣病の基本的な症状ないし特徴的な症状であれば、当然水俣病と考えられるというべきである。すなわち、水俣病の基本的な症状ないし特徴的な症状が確認されなくても、他の水俣病に見られる症状により水俣病と診断され、水俣病の基本的な症状ないし特徴的な症状があり、他の水俣病の症状があれば、水俣病であることは決定的であるというべきである。

5 他の疾患が存在することが積極的に証明されたとしても、それで水俣病でないとする根拠とはならないというべきである。

変形性脊椎症についていえば、脊椎に変形があってもそれをもって直ちにそれによる障害があるということはできないのであり、更に、脊椎症では通常四肢末梢性の感覚障害は見られないのである。

脳血管障害についていえば、脳血管障害自体による症状は半身性であり、水俣病とは異なるうえ、脳血管障害は有機水銀中毒によって起こり得るのである。

仮に、脳血管障害が有機水銀中毒と無関係であるとし、脊椎疾患で水俣病と区別しにくい症状を呈する場合がまれにあったとしても、それら他の原因の存在は有機水銀中毒症を否定するものではないのである。

五立証責任について

1 被告国・熊本県は、国家賠償請求事件である本件においては、原告らにおいて個々人が水俣病に罹患していることを否定しえないとか、その疑いがあるという程度の立証では足りず、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ち得るまでの立証をすべきである旨主張するとともに、五二年判断条件は、医学的に見て水俣病と診断し得るかぎりの患者を広く認定の対象とすべく作成されたものであって、五二年判断条件で水俣病と認定されたものであっても、それだけで高度の蓋然性をもって水俣病であるということはできないのであるから、医学的に右基準にも達していないと判断された者が高度の蓋然性をもって水俣病と判断されるなどということは到底考えられないと主張している。

2 しかし、五二年判断条件は、第三水俣病問題を契機として、また、被告国・熊本県が被告チッソを支援するにあたって、その負担を軽くするために認定要件を厳しくしたものであって、何ら医学的根拠はない。五二年判断条件が狭きに失するものであることはもはや常識である。

四肢末梢の感覚障害は水俣病に特徴的な症状であるから、有機水銀に汚染された者に右症状が認められれば、当然水俣病と考えられるのであり、それだけで「高度の蓋然性」があるといえるのである。

六水俣病の診断を確実にするもの

以上よりすれば、少なくとも、以下に述べるものが認められれば、確実に水俣病ということができる。

1 不知火海の魚介類を多食したこと。

2 健康障害のうち、以下の症状のいずれかを有すること。

① 四肢末梢性の感覚障害が認められる場合。

② 感覚障害が不全型であったり、証明できない場合には、求心性視野狭窄が認められるか、口周囲の感覚障害、味覚・臭覚障害、視野沈下、小脳性あるいは後頭葉性の眼球運動障害、失調(耳鼻科的平衡機能障害も含む。)、中枢性聴力低下、構音障害、振戦などの症状が認められる場合。

第三被告らの主張の要旨

一訴訟上の因果関係と証明の程度について

1 本章で問題となる因果関係は、原告らがメチル水銀に汚染された魚介類を多食したことと原告らにおいて何らかの健康障害が存在することとの関係に係るものである。したがって、原告らは、①メチル水銀に汚染された魚介類を多食した事実、②現在、何らかの健康障害が存在する事実、③右①の事実と②の事実との間に因果関係のあることを主張立証しなければならない。そして、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した結果起こる健康障害は一般に水俣病と総称されているから、本件における右②及び③の点の証明は、原告らが水俣病に罹患していることの証明と同一である。

2 ところで、このような訴訟上の証明の程度については、一般に「高度の蓋然性の程度」までの証明が必要であり、かつ、その程度の証明をもって足りるとされている。すなわち、原告らは、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した事実に加えて、その結果として水俣病に罹患している事実を通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信をもちうる程度にまで証明しなければならない。

3 メチル水銀に汚染された魚介類を多食した事実については、水俣病発症のための必要条件としての意味を有するから、原告らに水俣病を発症するに足りるだけのメチル水銀の摂取があったか否かという観点から検討される必要があるが、右多食の事実自体は歴史的な事実であって、専門科学的な判断を要するまでもなく、裁判所においてその存否の認定が可能である。ただ、本件では、右認定は三〇年以上も前の、甚だあいまいな原告らの記憶に基づかざるを得ないのであり、それも訴訟を前提とした供述録取書等の形でしか提示されていないのであるから、そこに示されている喫食歴、殊にその程度については慎重な吟味を要するものというべきである。水俣病に罹患していると認め得るか否かという判断においては、このことはとりわけ重要である。すなわち、原告らの述べる魚介類多食の事実は、その程度が不明であれば、それに依拠するところのメチル水銀摂取量も必然的に不確実あるいはあいまいなものとならざるを得ないのであり、原告らが主張するように一つの非特異的症状に病因論的判断を下し得るまでの意義を付与し得るものでないことは明らかである。

4 次に、水俣病罹患の有無といった事柄は、極めて専門科学的な判断を要する事項であるから、本件訴訟における右判断は、医学各分野における現時点までの研究成果に依拠して行われなければならず、したがって、本件においても、原告らの所見について医師の見解が分れている部分については、当該医師の経験、学識に照していずれの所見が信用に値するかについて慎重に吟味されるべきであり、その所見を前提として、それが水俣病といえるか否かは、水俣病に関する現在までの医学各分野における知見を総合し、これを経験則として活用することによって慎重に判断されなければならない。

5 他原因の主張立証責任について

他原因の問題を考える上で最も重要なことは、他原因を論ずる前に、このような反証を提出する前提としては、原告らの主張立証及びそこに適用される経験則が正しいものでなければならないということであり、これを本件における原告らの主張に即してみれば、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した者において四肢末梢の感覚障害等の一症状でもあれば水俣病であると高度の蓋然性をもっていえるか否か、すなわち、そのような医学的経験則(医学的根拠)が存するか否かがまず問題とされなけれはならないのである。もともとそのような経験則が存しなければ、右は単なる可能性ないし蓋然性のレベルに止まり、被告らにおいて他原因の指摘はもとより、何らの反証をするまでもなく、原告らの請求は因果関係の立証がないものとして棄却を免れない。

被告らが本件の病像論において最も基本的な論点と考えていることは、まさに右の点であって、少なくとも五二年判断条件を満たしていないような者が水俣病である可能性は低く、したがって、メチル水銀に汚染された魚介類を多食した者において四肢末梢の感覚障害等の一症状でもあれば水俣病であるという経験則(医学的知見)は存しないということである。

二本件訴訟における水俣病の診断基準について

1 本件において水俣病像及びその診断方法を論ずる理由は、原告ら個々人が水俣工場の排出したメチル水銀に汚染された魚介類を大量に摂取したことによって何らかの健康上の障害を被っているといえるか否かを判断するためである。

そのような目的に資するために、医学の分野では多くの疾病について専門機関等によって診断基準が定められ、個々人の診断における指針となっているが、この診断基準というものは、その用いる目的によって厳格なものから緩やかなものまで段階的に設定し得るものである。診断基準を厳格にすればそれを満たす患者はほとんど当該疾病に罹患しているといえるが、診断基準を緩やかに設定すればするほど真の患者でない者を当該疾病に罹患していると誤診する確率が高くなるということになる。

これを水俣病の診断についてみると、疫学的条件の存することが明確であり、ハンター・ラッセル症候群が全て揃っているというような診断基準を考えれば、そのような条件を満たしている患者は水俣病に罹患していると判断してほぼ間違いないであろうから、この基準は厳格な基準といえる。

本件で問題となっている五二年判断条件は、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法あるいは公害健康被害の補償等に関する法律の趣旨を斟酌しながら、医学的に定められたものであるから、厳格な基準でないことは明らかである。

2 しかして、本件においては、原告らは、水俣病に罹患していることを証明しなければならず、その証明の程度は、「高度の蓋然性」の程度までの証明が必要とされているのである。すなわち、原告らは、水俣病に罹患していることが否定できないとか、疑いがあるといった程度の真実性の証明では足りず、「通常人が疑いを差し挾まない程度に確信を持ち得る」程度に水俣病に罹患しているという事実を証明する必要があるのである。したがって、本件における判断基準も、右目的に合せて、この基準を満たす場合には高度の蓋然性をもって水俣病と判断できるという基準でなけれはならないということになる。そこで、右のような基準としていかなるものが適切であるかということが問題となるところ、本件においてかかる基準を直ちに設定することは困難であるが、五二年判断条件を満たす者は一定の蓋然性をもって水俣病に罹患していると考えられるから、本件における判断基準としては、最低五二年判断条件を満たすことが必要であり、加えて個々人の疫学的条件や臨床症状等を総合考慮して高度の蓋然性をもって水俣病に罹患しているといい得るか否かを判断するほかないということになる。

三疫学的条件の意義について

1 水俣病に罹患したというためには、魚介類を多食することにより発症閾値以上のメチル水銀が体内に蓄積したことが当然の前提となるのであり、右多食の事実が、水俣病罹患のための必要条件であり、水俣病罹患の有無を判断する上でかかる疫学的条件の検討が必要であることは疑いない。

2 ところで、原告らは、①不知火海の魚介類を多食したこと、②四肢末梢性の感覚障害があれば水俣病と診断できると主張しているが、水俣病に発現する症状の一つ一つをとらえれば、それが非特異的症状であることは明らかであるから、この場合において疫学的条件を重視するということは、四肢末梢性の感覚障害を有する者について、当該人にとって、症状が出現する確率が高い発症閾値を超えるメチル水銀の蓄積があったことが必要である。

3 そこで、この点について検討すると、まず、メチル水銀について最も感受性の高い成人に最初に神経症状が現れる発症閾値については、新潟の場合、頭髪水銀値で五二ppm(これは、その後82.6ppmに訂正された。そして、むしろ発症閾値としては一〇〇ppm以上とすべきであるとされている。)、イラクの場合、頭髪水銀値で一二〇mg/kgとしている。しかしながら、イラクのデータでも明らかなとおり、これらの値は最も感受性の高い人に発症する最低限度の閾値であり、むしろ、その値ではほとんどの人には発症しないことを示しているのである。したがって、発症閾値に単なる必要条件以上の意味を持たせるとすれば、そのような最低限度の値ではなく、通常人でも発症する可能性が十分にあると考えられる値を超える必要があり、具体的にそのような値を超えたことを示す必要がある。

4 しかしながら、原告らの場合には、頭髪水銀値は測定されていないことから、他の事実、すなわち、①原告らの魚介類喫食状況、②家族あるいは家畜における水俣病発症の有無(家族集積性)、③地域、近隣における水俣病発症者の有無(地域集積性)、④汚染地区における居住期間(居住歴)、⑤職業によって発症閾値を超えるメチル水銀の蓄積があったことが推認できるか否かが問題となる。

まず、原告らは、いずれも魚介類を大量に摂取した旨供述している。しかしながら、これらは、いずれも現在から二〇年ないし三〇年以上前のことであって、その供述自体あいまいであるのみならず、魚介類を大量に摂取したといっても、具体的に摂取した魚介類の採取された場所や魚介類の種類、そして当該魚介類がどれだけのメチル水銀を含有していたかは不明である上、三度三度ご飯の代りに食べていたといっても具体的な量はやはり不明であるといわざるを得ないのであって、このような供述だけでは、当該原告の生活状況を考慮しても、どの程度のメチル水銀に曝露されたのかは明らかになりようがないのである。

次に、原告らは、同一家族内に水俣病に罹患した患者が存在する場合は、魚介類の喫食状況は同一であると考えられるから、同じく大量の魚介類を摂取したことが強く推認できると主張している。しかしながら、新潟水俣病の際の疫学調査によれば、同一家族内でも頭髪水銀値は一様でないことが明らかにされているのである。

したがって、魚介類の摂取量に関する供述、家族集積性といった事実によっては、単にメチル水銀の曝露及び蓄積量が発症閾値を超えている可能性を示すことはできても、メチル水銀の蓄積量が発症閾値を超えていることを推認させることができないことは明らかである。

四感覚障害のみを呈する水俣病について

1 まず、感覚障害のみを呈する水俣病患者については、現時点の医学的知見では、その存在の可能性は否定できないにしても、例外的なものといえる。このことは、そのような可能性を裏付ける十分な医学的知見は存在しないということとともに、現実に汚染地区においても非汚染地区に比して特別感覚障害を訴える者が多いとはいえないことからも推測される。

2 このような事情の下において、仮に疫学的条件というものを考慮するとしても、現時点における疫学的条件というものは、単に水俣病に罹患する可能性があることを意味するに止まり、それ以上の有用性を有しないのであるから、疫学的条件があり、感覚障害を呈する者を安易に水俣病とすることは、非汚染地区におけると同様の確率で水俣地区にも存在するであろう感覚障害を有する者全てを水俣病に取り込むことになる。

五他疾患との鑑別について

1 原告らが水俣病に罹患しているか否かを判断するに際して、類似する症状を呈する他疾患との鑑別を要することはいうまでもない。殊に、当該原告が水俣病と考えるには乏しい症状しか呈していない場合には、それだけに慎重な鑑別が必要とされる。

なお、これら他の疾患の可能性を検討するについては、個々的には、それが一つの可能性の問題として指摘できるという程度のものから、相当程度に疑われるという程度のものまで様々であるが、いずれにしても、他疾患であることの蓋然性が低いからといって、逆に原告らが水俣病である可能性が高くなるというものでないことは当然である。

2 変形性脊髄症について

変形性脊髄症の臨床症状はおよそ以下のとおりであり、原告らの主張する水俣病の症状との類似が注目される。

① 好発年齢は四〇ないし五〇歳の中年以降である。

② 初発症状で最も多いのは四肢のしびれ感であり、運動障害がこれに次ぐ。

③ 症状は、大部分では上肢に始って下肢に拡がるが、下肢から上肢へ、また上下肢同時に発症することもある。

④ 発症からの経過は緩慢で、徐々に増悪するのが普通である。

⑤ 主な自覚症状は、上下肢のしびれ感、脱力感、歩行障害、手指運動障害等である。

⑥ 他覚所見としては、上肢で手指巧緻運動障害を生じ、箸がうまく使えない、ボタンがはめにくいなど、運動がぎこちなく遅くなり、握力低下、筋萎縮等を伴う。下肢では、痙性麻痺による歩行障害が特徴的であるが、その程度は平地では支障がなく、階段の昇降、かけ足、片足立ちに支障を来す等である。下肢の腱反射は、大部分で亢進する。

そして、頸椎症性脊髄症に見られる感覚障害は分節性であるといわれているが、四肢末梢に見られる場合も少なからず存在するのである。

したがって、変形性脊椎症に伴う頸椎症による神経障害は、臨床症状の種類及び経過のいずれにおいても水俣病と類似しており、鑑別に困難を伴う例も存するところから、慎重な鑑別を必要とするのである。

3 糖尿病性ニューロパチーについて

一般に糖尿病性ニューロパチーの場合の自覚症状は、四肢や肋間神経の左右対称性の疼痛や異常感覚をもって手袋型・靴下型に発症することから、右自覚症状の訴えは原告らの訴えに酷似している。

もっとも、糖尿病性ニューロパチーは下肢の腱反射の低下、特にアキレス腱反射の消失ないし減弱が高頻度であり、運動神経伝達速度が低下することが特徴であるとされている。

しかしながら、必ずしも右特徴を備えていない場合もあるのであり、そのような場合には、水俣病との鑑別は困難である。

第四判断

一病像論における基本的視点

1 本件においては、水俣病の診断基準をめぐって、五二年判断条件の当否について当事者間に厳しい見解の対立があるが、本件は、公害健康被害の補償等に関する法律四条に基づく「水俣病」の認定(以下、「行政認定」という。)の当否が直接的に問われている事案ではなく、原告らが被告らに対し、国家賠償法一条一項あるいは民法七〇九条に基づいて損害賠償を請求している事案である。

そして、原告らの個々の臨床症状等について、当事者双方から証拠が提出されているのであるが、いずれも原カルテ自体はほとんど提出されておらず、原カルテから内容を転記して作成された診断書(以下、「診断書」という。)あるいは同様の方法によって作成された水俣病認定審査会における資料(以下、「審査会資料」という。)等が提出されているにとどまっている。

これらのことに鑑みると、公害健康被害の補償等に関する法律施行令上の「水俣病」という用語を、本章及び次章で使用すると、行政認定上の「水俣病」との混同を生じ、混乱を招くおそれがあることから、本章及び次章の裁判所の判断を示す部分に関しては、「水俣病」という用語は使用せず、「有機水銀中毒」ないし「有機水銀の影響」という用語を用いることとする。

2 原告ら個々人の有する健康障害が、水俣工場から排出された有機水銀の影響によるものであると高度の蓋然性をもっていえるというために、どのような要件が必要であるかについては、前記第二及び第三のとおり、当事者間に厳しい見解の対立がある。従来、ともすると、居住歴・職業等のいわゆる疫学的条件と切り離した形で、感覚障害のみが出現する有機水銀中毒はあり得るのかということから議論がされていたように思われる。

しかし、有機水銀によって四肢末梢優位の感覚障害が生じ得ること、四肢末梢優位の感覚障害がその発生頻度の差はあるものの、他疾患でも生じるものであり、原因不明のものも存在することは争いのないところであり、毛髪水銀値等のメチル水銀蓄積量を示す客観的かつ明確な資料のない本件において、①原告らの魚介類喫食状況、②家族あるいは家畜における水俣病発症の有無(家族集積性)、③地域、近隣における水俣病発症者の有無(地域集積性)、④汚染地区における居住期間(居住歴)、⑤職業といった事実を総合することによって(以下、「疫学的事項」という。)、原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したことを推認できるか否かという点が最も争点として争われている点であると考えられる。すなわち、被告らにおいても、感覚障害のみが出現する水俣病の可能性自体を否定している訳でなく、右の各事実をいくら総合してみたところで、原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したことの可能性があるということはできても、高度の蓋然性があるということはできないと主張しているに過ぎないのである。

したがって、本件においては、まず、右各疫学的事項を集積することによって、原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したことを推認できるのか、できるとして、どのような場合にそのようにいうことができるのかについて検討を加えることとする。

二疫学的事項の集積による推認の可否

1 各疫学的事項について

(一) 魚介類喫食状況

本件で問題となっている有機水銀中毒は、メチル水銀化合物に汚染された魚介類を経口摂取することによって起こるものであるから、原告らの魚介類喫食状況が数量的な形で明らかとなれば、それは、原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したといえるか否かを判断する上で極めて重要な資料となるものである。

しかしながら、本件では、魚介類喫食状況については、原告らの魚介類を多食したという供述内容の供述録取書があるだけに過ぎないのであって、その内容も二〇年以上も前の事実についてのものであるから、自ずからあいまいなものとならざるを得ず、右供述から直ちに原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したといえるか否かを判断することは極めて困難である。

(二) 家族集積性

食生活を同じくする者が行政認定されているという事実は、原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したといえるか否かを判断する上で極めて重要な資料となるというべきである。

(1) 被告らは、新潟水俣病に関する疫学調査結果からして、同一家族であるからといってメチル水銀の蓄積量が同一であるとはいえないことが確かであるとして、家族集積性といった事実によっては、メチル水銀の蓄積量が発症閾値を超えていることを推認することはできないと主張する。

(2) 確かに、証拠(〈書証番号略〉)によれば、昭和六〇年三月付け水俣病に関する総合的研究において、椿忠雄博士が、「新潟水俣病の症候と診断、特に判断条件との関連」と題する報告において、「食生活を共にする家族構成員でも、水銀による汚染は同一でない。同じ家族の中の人は同じ程度の汚染があるとの主張は誤りである。」との指摘をされており、また、発症閾値については、個々人で異なることもまた事実である。

(3) しかしながら、新潟における有機水銀中毒の場合と本件の熊本・鹿児島における有機水銀中毒の場合とは、以下の各点において異なる事情がある。

① まず、新潟の場合には、川魚とくにニゴイの摂食によって生じたものであるのに対して、本件の場合には、水俣湾及びその周辺海域で採捕された魚介類によって生じたものであるという点である。

この点については、証拠(〈書証番号略〉)によれば、前記椿忠雄博士が、「新潟市における有機水銀中毒の集団発生」と題する報告の中で、「水俣病と違い、今回の患者には壮老年男子が多いのは魚の摂取量に関係すると思われる。今回主役を演じたニゴイは多数の小骨をもち、女、子供には好まれない。」と指摘されていることも勘案すべきであると考える。

② 次に、本件の場合が、昭和二八年から三四年を中心として発生したものであるのに対し、新潟の場合には、昭和四〇年ころに発生したものであるという点である。すなわち、原告らの中には、水俣湾及び八代海沿岸に居住し、何らかの形で漁業との関係をもったものが多いのであるが、証拠(〈書証番号略〉、原告福﨑直明、同山下蔦一、同福井藤吉、同入江ミドリ、同濱田傳一)によれば、水俣病発生当時の右地域の置かれた状況というものは、現金収入も乏しく、しかも地理的状況等から水田耕作もごく限られてなされていたに過ぎなかったことから、今日とは著しく異なり、お米を入手することは困難で、カライモ等の他、最も入手することがたやすい魚介類がその食生活の中心をなし、魚介類を多食していたことが認められる。

(4) 右の各事情を総合すると、原告らが主張する家族集積性のうち、原告らと食生活を同じくする者が行政認定されている(以下、「家庭内認定患者」という。)という事実があれば、原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したと一応推認できるというべきである。

これに対して、家族に同様の健康障害がみられるという事実だけでは、それがメチル水銀の影響によるものであるとは直ちにはいえないのであるから、原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したことの可能性があるといいうるに過ぎないというべきである。

(三) 地域集積性について

(1) 原告らは、類似の食生活をする同じ網で働く者や近所の者に同様の症状等があることは重要である旨主張する。

(2) しかしながら、(二)で述べた家族内認定患者の場合と異なり、認定患者と同じ網で働いていた事実や認定患者の近所に居住していたという事実からは、同じ食生活をしていたということは直ちには言えないのであって、そのような事実だけでは、原告らが発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したと推認することはできないというべきである。

(四) 居住歴

(1) 居住歴とは、本件においては、水俣工場から排出されたメチル水銀化合物によって汚染された魚介類を発症閾値を超えて摂食した可能性の有無を判断するうえで不可欠な事実である。右の点から居住歴を考えると、居住地域と居住期間が問題となる。

(2) まず、居住地域については、どこまでの地域について、水俣工場から排出されたメチル水銀化合物によって汚染された魚介類を、発症閾値を超えて摂食した可能性があるというべきかを厳密に判断することは今日においては困難であるが、行政認定された患者が多数存在する地域については、右可能性を肯定してもよいと思われる。証拠(〈書証番号略〉)によれば、平成三年二月二八日までに明らかとなっている熊本県内の認定患者の分布状況は別紙図面九のとおりであり、鹿児島県内の認定患者は、出水市下鯖渕七五名、同住吉町一二九名、同米ノ津町四一名、同桂島四七名、阿久根市四名、高尾野町一四名、獅子島七六名等となっている。

(3) 次に、居住期間についてであるが、前記第三章の第二の四の2で認定したとおり、いわゆる急性劇症患者が発生するほどの濃厚汚染があったのは、昭和三四年ころまでであると考えられるが、昭和三五年以降も水俣工場からのメチル水銀化合物の排出はその量は減少したものの、昭和四三年五月にアセトルアルデヒドの生産が中止されるまで続いていたと認められるから、このころまでに(2)で述べた居住地域にある程度の期間居住した者については、水俣工場から排出されたメチル水銀化合物によって汚染された魚介類を発症閾値を超えて摂食した可能性があるというべきである。

(五) 職業歴について

(1) 前記第三章の第二の一で認定したとおり、本件における原因究明の最初の段階における疫学調査から明らかとなったことは、いわゆる水俣病患者の多くが何らかの形で漁業と関係を持っているという事実であり、このことから、魚介類の有毒性が問題とされるに至ったのである。

(2) 今日においては、本件における有機水銀中毒は、メチル水銀化合物によって汚染された魚介類を多量に摂食することによって起こるものであることが明らかとなっており、右のことは、漁業あるいは鮮魚商等漁業に関連する職業に就いていた者が、魚介類を入手することが容易であり、小売店等から購入する者に比べて多量の魚介類を摂食した結果に他ならないと考えられる。

(3) そして、証拠(分離前の原告江邑篤、〈書証番号略〉)によれば、本件当時においては、前記(四)の(2)で述べた認定患者が多発している地域で漁業に従事していた者は、各漁業協同組合が漁業権を有する漁場だけでなく、広く水俣湾周辺海域を含む八代海全域にわたって操業していたことが認められる。

(4) 右各事情に前記(四)の(3)で述べた事情を併せ考えると、原告らのうち、昭和二八年以降昭和四三年までのある程度の期間、前記(四)の(2)で述べた認定患者が多発している地域で漁業に従事していた者及びそこから水揚げされた魚介類を扱う鮮魚商等をしていた者については、発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したと一応推認できるというべきである。

2  以上のことを整理すると、原告らのうちで、認定患者が多発している地域に昭和二八年から四三年までの一定期間居住した者で、次のいずれかの要件を満たす者については、発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したものと一応推認できると解するのが相当である。

①  家庭内認定患者がいる場合。

②  本人あるいは同居の家族が、右期間の一定期間、右地域で漁業に従事し、または、右地域で鮮魚商、仲買商等に従事していた場合。

③  具体的状況からして、①②の場合に準じて、魚介類を多食したと認められる場合。

3 そこで、原告らについて右要件を充足しているか否かを判断するための資料の問題を検討しなければならない。

(一) この点について、被告らは、原告らの供述録取書は、本件提起後に裁判のために作成されたものであるのに対し、審査会資料は、右供述録取書よりも以前に裁判とは無関係に作成されたものであるから、審査会資料の方が信用性が高いと主張する。

(二) 確かに、一般論としては、以前に裁判とは無関係に作成された書面の方が信用性が高いということはできる。

しかしながら、審査会資料も、かなり後になって作成されたものである上、審査会資料の疫学的事項に関する記述を見ると、居住歴についてはかなり詳細に記載されてはいるものの、その他の事項については概括的な記載がなされているに過ぎない。これに対して、供述録取書の方は、確かに、あいまいなあるいは記憶違いとしか思われないような記載が一部にあることは事実であるが、生い立ち、生活歴、職業歴、家族歴等について詳細に記載されているのであって、本件の場合に右の一般論をそのまま適用するのは相当でない。

(三) したがって、本件においては、審査会資料及び供述録取書を総合して判断を行っていくのが相当である。

三原告らの健康障害が有機水銀の影響によるものと認定するための要件について

1 前記二の2の要件を満たす者については、発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したものと一応推認できると解するのであるが、その場合に、原告らにどのような健康障害があれば、それが有機水銀の影響によるものであると認定することができるかについて検討を加える必要がある。

(一) 有機水銀中毒に伴う臨床症状に関する研究

(1) ハンター・ラッセルの報告(〈書証番号略〉)

ハンター・ラッセルの報告とは、昭和一五年に、ハンター、ボンフォード及びラッセルが、イギリスの硝酸メチル水銀系種子殺菌剤製造工場に働く労働者とその附属研究所の技術助手の四名がメチル水銀化合物を吸入して中毒を起こした事故について報告したものである。この工場では、一六名がメチル水銀に曝露されたが、中毒症状を呈したのは四名のみで、他の一二名は何の症状も示さなかった。右四名の症状は、協調運動障害、構音障害、求心性視野狭窄については共通して認められたほか、聴力障害も認められたが、表在感覚(触覚・痛覚)障害は認められなかった。

(2) 阿賀野川流域の有機水銀中毒に関する椿忠雄博士らの研究(〈書証番号略〉)

① 昭和四〇年一月、新潟大学において一例のアルキル水銀中毒患者が発見され、次いで同年四月及び五月に各一例の患者が発見された。このため、椿忠雄博士らは、予備的調査を経て、同年六月一四日より、系統的な患者発生状況の調査を開始した。すなわち、阿賀野川下流の患者発生地区の全住民四一二戸、二八一三名について、各個人ごとに自覚症状の有無、川魚摂取状態、農薬、飲料水の状況、各家ごとの昭和三九年始めよりの死亡者の死亡状況、動物の異常についての調査、自覚症状のあるものについては診察を行った。さらに、患者発生地区周辺三八四九戸、一九八八八名について保健婦により同内容の調査が行われ、患者の疑いのある一二〇名について診察が行なわれた。

そして、右により発見された患者及び症状はなくても毛髪水銀量が二〇〇ppmを超えるものはすべて新潟大学附属病院に入院させて、臨床検査が行われた。

② 右臨床検査が行われた二六例における臨床症状の頻度は、別表三のとおりであるが、これについては「表在性知覚障害がもっとも多く、また多くは初発症状である。患者の多くはまず手指のびりびりするしびれ感に気付き、次いで足尖、舌、唇などにも同様なしびれ感が起こり、ときには全身に及ぶ。この部位には一般に知覚鈍麻を認める。一般に四肢末端部に障害が強いし、障害部位の局在が明らかに末梢神経(ことに尺骨神経)障害を思わせるものもある。知覚障害に次いで、聴力障害、小脳症状、求心性視野狭窄が比較的多い。アルキル水銀中毒症はハンター・ラッセル症候群と呼ばれ、求心性視野狭窄、難聴、発語困難、運動失調、知覚障害などを伴うとされているが、われわれの例は必ずしもこれらを兼ね具えるものではない。」と指摘している。

(3) イラクにおけるメチル水銀中毒に関するラスタム・ハンディの報告(〈書証番号略〉)

① この報告はメチル水銀消毒小麦で作ったパンを食べて曝露された患者四三名を一年間追跡観察した神経学的研究である。

② 右研究における神経学的症状の発現頻度等は、別表四ないし七のとおりである。

③ そして、右研究の結果として、「軽症及び中等度の中毒例は、水銀排出剤投与の有無にかかわらず著明な改善がみられた。小脳症状は最も機能障害度の大きいものだが、運動失調の改善は明らかであった。寝たきりだった患者が、多少の困難はあるが歩行可能になり、身の回りの用を足すことができるまで回復したが、構音障害の改善ははかばかしくなかった。」「視力は大部分の症例では正常に戻り、全盲状態だった一例も五か月後に正常の視力にまで回復した。視野狭窄は未だに改善がみられず、不可逆的な障害と思われる。」「知覚領域では、表在知覚障害の回復は深部知覚や識別覚より著しい。」等の指摘がなされている。

(4) 以上、本件以外の代表的な有機水銀中毒例における臨床症状の発現の仕方等を掲げたが、(1)のイギリスにおける例と本件の場合とは、表在感覚障害が発現するか否かという点で大きな差異があり、(3)のイラクにおける例と本件の場合とは、本件の場合には、その主要症候である感覚障害は軽快しにくいとされているのに対し、イラクの場合には、重症者を除き、視野狭窄を除き、軽快しやすいという点で大きな差異があることが認められる。

これは、おそらく、本件における発症機序の特殊性と関係があるのではないかと思われる。したがって、本件において生じる健康障害については、本件と発症機序を同じくする新潟の場合を参考にして考察するのが相当である。

(二) 有機水銀中毒症の病理学的研究

(1) 本件における数多くの解剖を手掛けてきた武内教授及び衞藤光明教授の研究成果によれば、その病理的特徴として、次の点が指摘されている(〈書証番号略〉)。

① 一般に、神経系では水俣病の病変は中枢優位に現われ、末梢の方が軽度である。しかし、微量汚染ないし軽症者の場合は末梢によりよく所見が現われ、知覚神経優位の病変としてみられる。

② 脳では、大脳・小脳ともに皮質優位の障害で、髄質や核の障害は比較的軽い。核障害はしばしば認められない。大脳では、後頭葉優位の障害があり、とくに視中枢障害が目立ち、中心前・後回や上側頭回には障害が来やすい。鳥距野の障害は、前方優位の障害が強調されてきたが、必ずしもそうではない。

③ 小脳では、中心性で顆粒細胞優位の障害が特徴であり、またプルキンエ細胞層の直下からはじまる顆粒細胞脱落が多く、ことに深部脳回の尖頭部からはじまる傾向がある。

④ 末梢神経では、知覚神経優位の障害がある。

⑤ 一般臓器の病理には、水俣病では特徴的な所見の把握は困難である。急性・亜急性期に消化管とくに十二指腸のびらん、肝、腎における脂肪変性、及び骨髄・リンパ節の低形成などがあげられてきた。しかし、長期経過例や慢性例については、それらは特記すべきものがない。動物実験ではいろいろの変化が記載されているが、人体剖検例では特徴ある変化はほとんどない。症例によって認められる変化が水俣病特異のものであるかどうかはなおわからない。

さらに、衞藤光明の携わった剖検例に関しては、末梢神経だけの病変が生じて、大脳病変や小脳病変は生じていない例はなかったことが認められる(証人衞藤光明)。

(2) 原告らは、右①の指摘及び宮川太平教授らによるラットの実験等を根拠として、人の有機水銀中毒の場合にも末梢神経のみに病変が生じる場合がある旨主張する。

① 宮川太平教授らは、ラットに有機水銀を連日経口投与し、投与量の他、投与期間を四日から二〇日まで段階的に分けて病変を検索した結果、低用量のメチル水銀によって、まず末梢神経が障害されることが明らかとなったという研究結果を発表したが(〈書証番号略〉)、メチル水銀化合物の生物学的影響を議論する際には、種類の違いを考慮しなければならないとされていることから(〈書証番号略〉)して、右実験結果をもって、直ちに人の有機水銀中毒の場合に、末梢神経のみに病変が生じる場合があるということはできない。

② また、前記(1)の①の指摘についても、これは中枢よりも末梢神経の所見の方がより明確に認められるという指摘に止まると解するのが相当である(証人衞藤光明)。

③ したがって、原告らのこの点の主張は現時点では、未だ仮説に止まるものといわざるを得ない。

(3) 原告らは、武内教授らの右病理基準を広げるのがこれからの課題であるとするが、すくなくとも、現時点における医学的知見として一般的に認められているものは、武内教授らの右(1)の見解であるというべきである。

したがって、剖検結果で大脳及び小脳に右(1)の特徴的な病変が認められない場合には、たとえ末梢神経に知覚神経優位の病変がみられた場合であっても、有機水銀の影響によって健康障害を受けているとは認められないといわざるを得ない。

(三)  以上述べたことを総合して検討するに、四肢末梢優位の感覚障害は有機水銀中毒の場合に生ずる主要症候であり、新潟における例でも他の症状と比較して極めて発現頻度が高いものであるから、発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したと一応推認できる者について、四肢末梢優位の感覚障害が認められる場合には、剖検結果で大脳及び小脳に特徴的な病変が認められない場合及び感覚障害が他の疾患によるものであることが明らかな場合を除いて、その者の有する健康障害は有機水銀の影響によるものであると認めるのが相当である。

2  これに対して、前記二の2の要件を満たさない者については、発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積したと推認することはできない。そこで、この場合には、臨床症状から考えなければならず、五二年判断条件にいう症状の組合せが必要かという問題に直面することになる。すなわち、感覚障害のみの発現する場合でも、これを有機水銀の影響であるとする医学的知見が一般的に是認されているかどうかを検討しなければならないことになる。

(一)  一般的に考えて、四肢末梢優位の感覚障害というものは、前述したとおり、有機水銀中毒の場合にのみ起こるものではなく、頻度の差はあるとはいうものの他の疾患でも起こり得るものである。そうすると、四肢末梢優位の感覚障害があるという場合に、有機水銀の影響によるものである可能性はあるとは言いえても、それが有機水銀の影響によるものであるとまで断定することはできない。

(二)  原告らは、感覚障害は有機水銀に汚染された地域住民に高率にみられている症状であること、感覚障害は有機水銀中毒における初発症状であると認められること、本件における感覚障害は軽快しにくく、感覚障害のみが残存することがあることから、感覚障害のみが出現する有機水銀中毒は存在すると主張する。

しかし、ある者に四肢末梢優位の感覚障害が認められる場合に、それが有機水銀の影響によるものであるかどうかは個別的な問題であり、右の各事実からは有機水銀の影響によるものであるという可能性を導くことはできても、それを超えて、その者の感覚障害が有機水銀の影響によるものであると断定するに足りる証拠とはなりえないというべきである。

(三)  したがって、この場合には、症状の組合せで考えざるを得ないことになるが、五二年判断条件以外には、本件では、組合せの基準となる一般的に承認された医学的知見は示されていないことから、五二年判断条件によって、その者の健康障害が有機水銀の影響によるものと認められるか否かを判断せざるを得ない。

四診断書・審査会資料等の検査所見の信用性について

1 基本的問題点

(一) 前記一でも述べたところであるが、原告らの臨床症状の有無を認定するための証拠資料として、本件においては、原告らから診断書及び意見書に対する意見書(〈書証番号略〉)が、被告国・熊本県から審査会資料及び審査会資料に基づく意見書各論(〈書証番号略〉)がそれぞれ提出されている。

そのうちでも、原告らの臨床症状の有無を判断するうえで基本となるのは、診断書であり、審査会資料であるところ、そのいずれも、原カルテが別に存在し、これを転記したものである。

(二) まず、診断書については、一部検査日等の記載がなされているものがあるが、大部分は、診断書の作成日付けがあるのみで、検査等が何時なされたかについては全く不明である。

更に、診断書の中には、例えば、「失調症状あり」というような記載しかなされていないものがあるが、これでは、どのような検査結果に基づいてそのように判断したのかが明らかではない。

(三) 次に、審査会資料については、転記者、さらには原カルテの作成者すなわち検査や診断をした医師も明らかにされないことから、原告らに対して具体的にどのような方法で検査等を実施したのか、その医師の医師としての経験はどの程度あるのかが不明であるといわなければならない。

(四) このような本件における事情及び検査等をなした日にちが異なることを考慮すると、本件の場合、一概に一方を信用でき、他方を信用できないと判断することはできず、個別的に考えていかざるを得ない。

2 運動失調の判断について

(一) 前記第一で述べたように、本件有機水銀中毒にみられる運動失調は、メチル水銀により小脳の虫部及び半球の双方が障害される結果、引き起こされるものであると考えられていることから、平衡機能及び協調運動のいずれにも異常を来すものであり、その発現の仕方も左右対称的なものと考えられている。

したがって、両者の異常の有無を調べる検査において、原則として、著しい左右差がなく、いずれの異常とも認められる場合のみ、小脳性運動失調があると認められるというべきである。この認定にあたっては、筋力低下の有無、関節痛の有無等にも留意しなければならない。ただ、それらがあることから直ちに運動失調を否定することはできないというべきである。

(二) 動作の緩徐(スロー)あるだけの場合、運動失調ありといえるかどうかについては原告被告間で争いがあるが、緩徐(スロー)というものも、その程度は様々であり、加齢による影響も考えられることから、緩徐(スロー)のみの所見があることから直ちに運動失調ありということはできないというべきである(〈書証番号略〉)。

3 求心性視野狭窄の判断について

(一) 前記第一で述べたとおり、本件有機水銀中毒にみられる視野狭窄は大脳後頭葉鳥距野の障害に起因するものであるから、求心性視野狭窄であると考えられている。そして、右のように、本件有機水銀中毒にみられる視野狭窄は中枢性のものであるから、通常左眼右眼の片眼にのみ障害が発現することは考えにくいことからして、片眼のみに求心性視野狭窄が認められるものは本件有機水銀中毒による視野狭窄には該当しないというべきであり、また、鼻側のみに視野狭窄が認められるものは本件有機水銀中毒による求心性視野狭窄には該当しないというべきである。

(二) そして、検査方法については、最も精密な検査方法であるゴールドマン視野計によることを基準とすべきである(〈書証番号略〉)。

4 後迷路性難聴の判断について

前記第一で述べたとおり、本件有機水銀中毒にみられる難聴は、主として後迷路性難聴である。そこで、これと他の難聴との鑑別が必要となるのであるが、原告らの診断書には、単に「難聴」あるいは「聴力低下」としか記載されていないものが多く、内耳性難聴と後迷路性難聴とを鑑別するための検査が行われていない。したがって、本件においては、原告らの後迷路性難聴の有無を判断するに際しては、原告らの診断書を直ちに採用することはできない。

5 自覚症状について

証拠(〈書証番号略〉、原告田上ミス、同山下蔦一、同川添ミエ、同濱田傳一、同門宮フミ子、同隅本エツ子、同福井藤吉、同入江ミドリ、同牧育男、同福﨑直明、同村上コヅエ、同畑﨑德市)によれば、原告らは疲れやすい・物忘れする・頭痛・めまい・手足の力が弱い・からす曲り・耳鳴り・不眠・食物の味がわからない・物の臭いがわからない・手のふるえ等多様な自覚症状を訴え、原告らの家庭生活上あるいは社会生活上に支障を来していることが認められるが、これらはいずれも加齢等によっても生じるもので、特異的な症状であると認めることはできない。

したがって、原告らの訴える自覚症状については、原告らの健康障害を考える上での参考にするに止めることとする。

第五章原告らの健康障害と有機水銀との関係及び原告らの損害

第一原告らの健康障害と有機水銀との関係について

一証拠(〈書証番号略〉)によれば、原告ら(但し、訴え提起前に死亡していた者については被相続人を、本件訴訟係属後に死亡した者については被承継人を指す。以下同じ。)に関する有機水銀中毒の主要症候のうち、四肢の感覚障害、小脳性運動失調(平衡機能障害の有無に関する諸検査については、補助的検査であることから、小脳性運動失調の欄に記載した。)、求心性視野狭窄、後迷路性難聴について、原告らの提出の診断書及び意見書に対する意見書には、第五分冊の各「診断書・意見書」欄記載の趣旨の記載がなされていること、被告国・熊本県提出の認定審査会資料及び審査会資料に基づく意見書各論その1・その2には、第五分冊の各「審査会資料・意見書」欄記載の趣旨の記載がなされていることが認められる。

第五分冊については、紙面の関係上、略号等を用いているので、以下、その点について補足して説明する。

1 「検査日等」欄の記載について

(一) 原則として、検査日の記載があるものについては、その記載をした。「S」は「昭和」を、「H」は「平成」を意味する。

(二) 原告ら提出にかかる診断書については、必ずしも、臨床検査を行った日にちが明らかでないものが大部分であることから、その場合には、診断書の作成日を記載した。

そして、「付診」は「付診断書」を、「上妻」は「上妻四郎医師」を、「平田」は「平田宗男医師」を、「佐野」は「佐野恒雄医師」を、「藤野」は「藤野糺医師」を、「赤木」は「赤木健利医師」を、「宮本」は「宮本利雄医師」を、「樺島」は「樺島啓吉医師」を、「板井」は「板井八重子医師」を、「熊谷」は「熊谷芳夫医師」を、「高岡」は「高岡滋医師」を、「大石」は「大石弘医師」をそれぞれ意味する。

2 「感覚障害」の項目について

(一) 「上肢」「下肢」というのは、全身性のものも含めて、広く触覚及び痛覚の感覚鈍麻等が認められているものについては「+」と表示した。

(二) 「温」は「温度覚」のみの、「触」は「触覚」のみの、「痛」は「痛覚」のみの感覚鈍麻等が認められていることを意味する。

(三) 「一」は感覚障害が認められなかったことを意味する。

3 「求心性視野狭窄」の項目について

(一) 「ゴールドマン」は「ゴールドマン視野計による検査結果」を、「フェルステル」は「フェルステル視野計による検査結果」を、「アイ」は「アイカップによる検査結果」を、「対面法」とは「対面法による検査結果」を意味する。

(二) 原告ら提出の診断書で複数の方法による検査結果の記載があるものについては、原則として、「ゴールドマン視野計による検査結果」を記載した。

(三) いずれの検査結果についても、「一」は視野狭窄が認められなかった場合を、「±」は疑われるか、ごくわずかの視野狭窄が認められる場合を、「+」は軽度の視野狭窄が認められる場合を、「」は中等度の視野狭窄が認められる場合を、「」は高度以上の視野狭窄が認められる場合をそれぞれ意味する。

4 「後迷路性難聴」の項目について

(一) 「難聴パターン」欄の記載は、「感音性」は感音性難聴パターンが認められる場合を、「伝音性」は伝音性難聴パターンが認められる場合を、「騒音性」は騒音性難聴パターンが認められる場合を、「混合性」は混合性難聴パターンが認められる場合を、「−」は純音聴力に異常が認められない場合をそれぞれ意味する。

(二) 「疲労現象」欄の「+」は疲労現象が認められることを、「−」はこれが認められないことを意味する。

5 「小脳性運動失調」の項目について

(一) 検査項目については、「アジドコ」は「アジアドコキネーシス(拮抗運動反復試験の異常)」を意味し、「両足起立」には、「マン試験(直線上起立)」は含むが、「ロンベルグ試験(両足をそろえて立ち、閉眼させて動揺の程度をみる。)」は含まない。なお、「指鼻・指指」欄及び「つぎ足・一直線歩行」欄については、いずれか一方の所見がある場合も記載している。

(二) 「一」は異常が認められない場合を、「±」は「不安定」「疑われる」「ごく軽度」というように「軽度の異常」までは認められない場合を、「+」は軽度の異常が認められる場合を、「」は中等度の異常が認められる場合を、「」は高度以上の異常が認められる場合を、「スロー」は緩徐のみの所見がある場合をそれぞれ意味する。

二各原告らの健康障害の有無と有機水銀との関係に関する主張の要旨

1 原告らの主張の要旨は、第五分冊の各「原告らの主張」欄記載のとおりである。

2 被告らの主張の要旨は、第五分冊の各「被告らの主張」欄記載のとおりである。

三判断

1 当裁判所の各原告らの健康障害の有無と有機水銀との関係に関する判断は、第六分冊の各「総合認定の理由」欄記載のとおりである。

2 第六分冊の記載についても、紙面の関係から、略号等を使用しているので、補足的に説明する。

(一) 「疫学的事項」欄記載の「M」は「明治」を、「T」は「大正」を、「S」は「昭和」を、「H」は「平成」をそれぞれ意味する。

(二) 「疫学的事項」欄において、「水俣市」とは「熊本県水俣市」の意味である。

(三) 「主要な臨床症状」欄においては、「認められない。」「認め難い。」という表現を用いているが、「認められない。」場合は、認めるに足りる証拠がない場合を意味し、「認め難い。」場合は、証拠は存するがそれを直ちに採用し難い場合を意味する。

(四) 「総合認定」欄の「A」・「B+」・「B」・「C+」・「C」は、当該原告らの健康障害と有機水銀との因果関係が認められる場合を意味し、同欄の「D」は、当該原告らの健康障害と有機水銀との間の因果関係を肯認するに足りる証拠がない場合を意味する。

第二原告らの損害について

一原告らの主張の要旨

1 水俣病被害のとらえ方

本件のような人身被害においては、その症状の悲惨さに目を奪われて、つい症状だけを被害のように考えてしまいがちであるが、患者が示すひとつひとつの症状の背後には、膨大な被害の事実が複雑に関連しあって存在しているのである。これらの様々な被害は、ある被害がさらに他の被害を惹起し、あるいは増大させるなど相互に影響しあって、複雑かつ深刻なものとなる特質を有している。したがって、これらの各被害を個別にそれぞれ評価するだけでは足りず、これらが関連しあって生じるすべての悪循環を総体として理解する必要があるのである。

2 包括請求の正当性

前述した水俣病被害のとらえ方をすれば、その法律構成としては包括請求しかありえない。従来なされてきた逸失利益を中心として個々の治療費・付添費・その他の項目をかぞえあげ、それらを合算した財産的損害と狭義の精神的損害(慰藉料)をあわせて請求するいわゆる「個別的算定方法」では、水俣病被害の実態と特質を正しくとらえることができないのである。

3 本訴における包括請求の意義

原告らの損害は被告らの犯罪的行為によって引き起こされた原告らの環境ぐるみの長期にわたる肉体的、精神的、家族的、社会的、経済的損害の全てを包括する総体であり、その被害の総体を本訴において請求する。なお、将来の得べかりし利益及び治療費関係費については本訴においてこれを請求するものではない。

4 本件請求額の正当性

本件における損害額につき公平かつ妥当な金額を決定するにあたっての重要不可欠な指標は次のとおりである。

(一)第一は、水俣病の認定患者が現実に受けている補償内容である。昭和四八年一二月二五日、被告チッソと水俣病被害者の会との間で締結された協定は水俣病患者に対する損害の賠償ないし補償の額として加害者の承認したものである。右協定における患者本人の慰藉料は一六〇〇万円ないし一八〇〇万円とされているが、現実にはこれに遅延損害金が相当額加算されている。

(二)第二は、公害、薬害訴訟等における損害額の動向である。

(三)第三は、物価の上昇等である。被告チッソとの前記協定が結ばれた昭和四八年の消費者物価総合指数を一〇〇とすると、平成元年における消費者物価総合指数224.89となっており、二倍以上になっている。

5 本件一律請求の正当性

本件原告らの損害は、本件各請求額を大幅に超えるものである。そこで、原告らは、各自の損害のごく一部を最小限度の線で統一して一律一八〇〇万円の請求をしているのである。

したがって、原告らの請求は包括損害の一部請求である。

6 弁護士費用

本件のように行政の責任を追及する裁判でかつ医学的な論点を含む訴訟は到底原告らだけでなしえないことは明らかである。

したがって、弁護士費用として請求している額についても当然全額認められるべきである。

二判断

1 損害額の算定についての基本的視点

有機水銀中毒によってもたらされる健康障害は、不快感ないし日常生活に軽度の支障を来すに過ぎない者から、ハンター・ラッセル症候群の症状を備えている者、急性劇症患者に見られる極めて重篤な者、さらには死に至る者までの極めて広範なものであるから、かかる症状の差を無視して一律に損害額を算定することは、加害者の不法行為により生じた損害を可能な限り具体的に算出し、これを不法行為者に負担させることにより、公平妥当な解決を図ることを目的とする不法行為法の趣旨に反するものであるというべきである。

原告らは、本訴において請求している額は、一部請求であると主張するが、その全額の明示もなされておらず、また、各原告らについての損害を算定するための証拠資料も提出されていない。原告らが一八〇〇万円の一律請求をなしている根拠は、主として前記昭和四八年の協定の存在であると思われるが、前記第四章で述べたとおり、本件訴訟において有機水銀の影響を認めることと行政上「水俣病」と認定されることとは直ちに結び付くものではないから、右協定の存在から右一律請求が認められると直ちに解することはできないというべきである。

したがって、本件において、原告らが主張している損害とは、有機水銀の影響によって直接受けた精神的、肉体的苦痛並びに社会生活上及び家庭生活上の不利益等を包括する意味すなわち主として有機水銀の影響によって受けた健康障害等に基づく慰藉料等を請求しているものと解するほかない。

2 原告らの損害

1のように解した場合、慰藉料等を算定する上で最も中心となるのは、原告らが有する健康障害の症状及びその症度である。原告らは、前記第四章の第四の四の5で認定したとおり多様な自覚症状を訴えているが、右の自覚症状は特異的なものではないから、ここにおいても参考とするに止め、有機水銀中毒に見られる主要症候すなわち四肢末梢優位の感覚障害・小脳性運動失調・求心性視野狭窄・後迷路性難聴の存在の有無及びその程度を中心として判断を行っていくのが相当である。

なお、原告らの中には、有機水銀による影響とは別に、家庭生活上あるいは社会生活上支障を来すと思われる既往症等を有している者がおり、それによる支障が相当程度以上であると認められる者については、慰藉料等の算定にあたってこれを考慮することとした。

このような観点から、当裁判所が、各原告らの損害として判断した結果は、第六分冊の各原告についての「総合認定」及び「総合認定の理由」欄各記載のとおりである。

ここでも、紙面の関係から略号を用いているので、補足的に説明すると、「A」は認定額八〇〇万円を、「B+」は認定額七〇〇万円を、「B」は認定額六〇〇万円を、「C+」は認定額五〇〇万円を、「C」は認定額四〇〇万円をそれぞれ意味する。

3 弁護士費用

本件事案の内容及び困難さ、審理経過、認容額等に照すと、原告ら各人の弁護士費用のうち、右2で認定した損害額の各一割にあたる金額が本件不法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。

4 遅延損害金の起算日

不法行為に基づく損害賠償については、不法行為時から遅延損害金が発生するのであり、原告らが求めている昭和四九年一月一日以降というのは、本件不法行為後であるが、本件においては、当裁判所は、本件口頭弁論終結時を基準として、各原告らの慰藉料等の算定を行った。

したがって、本件においては、本件口頭弁論終結日である平成四年九月二一日から遅延損害金を付することとする。

5 被告国・被告熊本県に対する認容額は、前記第三章の第三で述べたとおり、原告らに認められる前記2及び3の金額のうち各一割が相当である。

三相続関係(弁論の全趣旨)

1 田上浩は、昭和六一年二月一九日死亡し、原告田上ミス(当事者目録記載の原告番号一の一、以下、「当事者目録記載の原告番号」という記載を省略し、「同」と記載することとする。)、同田上とし子(同一の二)が各二分の一の割合で相続した。

2 脇宮源市は、平成四年六月一二日死亡し、原告脇宮盛義(同五の一)、同金盛クニ子(同五の二)、同谷山モリミ(同五の三)が各三分の一の割合で相続した。

3 黒川角次は、平成三年五月二九日死亡し、原告黒川親麿(同七の一)、同黒川敦之(同七の二)、同黒川勝夫(同七の三)が各三分の一の割合で相続した。

4 諌山隆は、平成元年八月三一日死亡し、原告諌山スミノ(同八の一)が二分の一、同諌山隆春(同八の二)、同諌山晃一(同八の三)、同諌山広行(同八の四)及び同諌山正行(同八の五)が各八分の一の割合で相続した。

5 濱田千代子は、平成三年六月二七日死亡し、原告濱田幸(同一四の一)、同山内京子(同一四の二)、同濱田修一(同一四の三)、同村川絹代(同一四の四)が各四分の一の割合で相続した。

6 林田イツは、平成二年二月一四日死亡し、原告林田光義(同一六の一)、同林田末満(同一六の二)、同林田清満(同一六の三)が各三分の一の割合で相続した。

7 上村惠次は、平成三年三月二一日死亡し、原告上村マスヨ(同一八の一)、同今林つよ子(同一八の二)、同塩瀧代美子(同一八の三)、同緒方久美子(同一八の四)、同上村正雄(同一八の五)が各五分の一の割合で相続した。

8 前田シズコは、平成四年六月二一日死亡し、原告前田光義(同二一の一)が三分の一、同大道宏晴(同二一の二)及び同大道陽子(同二一の三)が各六分の一、同佐竹類子(同二一の四)、同山田多恵子(同二一の五)及び同宮﨑國男(同二一の六)が各九分の一の割合で相続した。

9 岩﨑安喜は、平成元年八月一三日死亡し、原告岩﨑ハル(同二三の一)が四分の三、同村上トメヲ(同二三の二)が二〇分の一、同岩﨑恵子(同二三の三)、同宮島久子(同二三の四)、同緒方昭代(同二三の五)及び岩﨑清(同二三の六)が各八〇分の一、同岩﨑巧(同二三の七)、同松元晶子(同二三の八)及び同原口房江(同二三の九)が各六〇分の一、同平﨑タキノ(同二三の一〇)、同岩﨑剛切(同二三の一一)、同岩﨑正治(同二三の一二)、同岩﨑智子(同二三の一三)、同岩﨑安(同二三の一四)及び同岩﨑安德(同二三の一五)が各一二〇分の一、同田尻良子(同二三の一六)及び同田尻良文(同二三の一七)が各四〇分の一の割合で相続した。

10 諌山藤四郎は、昭和六〇年九月一五日死亡し、原告諌山三秋(同二九の一)、同吉野美雪(同二九の二)、同西川道子(同二九の三)、同諌山洋(同二九の四)、同諌山又男(同二九の五)、同元村美代子(同二九の六)、同諌山修作(同二九の七)が訴訟承継した。。

11 州﨑伊勢は、昭和五六年九月一二日死亡し、原告州﨑嘉一郎(同三二の一)が六分の一、同橋口恵美子(同三二の二)、同小﨑宗芳(同三二の三)、同才荷ツヤ子(同三二の四)及び同小﨑善信(同三二の五)が各二四分の一、同州﨑満潮(同三二の六)、同石本ヒサ子(同三二の七)、同作村玉枝(同三二の八)及び同高村ミツエ(同三二の九)が各六分の一の割合で相続した。

12 坂﨑德太郎は、昭和五九年一一月六日死亡し、同坂﨑スマ子(同三五の一)、同坂﨑二十四(同三五の二)、同坂﨑國和(同三五の三)、同坂﨑育子(同三五の四)、同坂﨑昭弘(同三五の五)、同坂﨑弘昭(同三五の六)が訴訟承継した。

13 横山トシは、昭和五九年一〇月八日に死亡し、原告横山義男(同四一の一)が相続した。

14 濱田福松は、平成三年九月三〇日死亡し、原告濱田タミ子(同四二の一)が二分の一、同濱田博司(同四二の二)、同今田豊子(同四二の三)及び濱田朗(同四二の四)が各六分の一の割合で相続した。

15 浦上實義は、平成元年一月一六日死亡し、原告浦上ユキエ(同四五の一)が二分の一、同嶋本ヒロ子(同四五の二)、同浦上一義(同四五の三)、同浦上義則(同四五の四)、同島元眞由美(同四五の五)及び同浦上正則(同四五の六)が各一〇分の一の割合で相続した。

16 濱田榮は、昭和六三年六月二六日死亡し、原告濱田キメノ(同四六の一)が二分の一、同濱田勲(同四六の二)、同松尾千惠子(同四六の三)、同濱田成昭(同四六の四)、同山根チヅ子(同四六の五)、同濱田敏(同四六の六)及び同橋本幸子(同四六の七)が各一二分の一の割合で相続した。

17 岩田勇は、昭和六〇年七月三〇日死亡し、原告岩田ハル子(同五二の一)、同岩田道夫(同五二の二)、同岩田弘(同五二の三)、同岩田隆雄(同五二の四)、同岩田テイ子(同五二の五)、同田上まち子(同五二の六)が訴訟承継した。

18 米田重德は、昭和五八年九月一六日死亡し、原告米田三代(同五三の一)、同竹本德子(同五三の二)が訴訟承継した。

19 岩本晴信は、平成四年二月八日死亡し、原告岩本シヅ子(同六〇の一)が二分の一、同辻祐子(同六〇の二)、同平松加代子(同六〇の三)、同瀧本千鶴(同六〇の四)及び同岩本光晴(同六〇の五)が各八分の一の割合で相続した。

20 安田スミエは、昭和六二年一〇月八日死亡し、原告安田秀(同六六の一)、同安田吉男(同六六の二)、同安田弘光(同六六の三)、同安田実(同六六の四)、同松本ひとみ(同六六の五)が訴訟承継した。

21 溝口八百喜は、平成元年二月四日死亡し、原告溝口シキエ(同六九の一)が二分の一、同大木シヤ子(同六九の二)、同溝口時人(同六九の三)、同溝口ケイ子(同六九の四)及び同福田すえ子(同六九の五)が各八分の一の割合で相続した。

22 楠本子モは、昭和五八年一一月二二日死亡し、原告山中フミコ(同七五の一)、同川田キミコ(同七五の二)、同楠本キミエ(同七五の三)、同楠本金吉(同七五の四)、同名尾スエ子(同七五の五)、同楠本吉昭(同七五の六)が訴訟承継した。

23 荒木文敏は、昭和六三年六月二日死亡し、原告荒木貞子(同八三の一)が二分の一、同荒木英敏(同八三の二)、同平野恒子(同八三の三)、同荒木直美(同八三の四)、同荒木敏朗(同八三の五)、同山口知子(同八三の六)及び同鶴岡美香子(同八三の七)が各一二分の一の割合で相続した。

24 齊藤國雄は、平成元年一〇月九日死亡し、原告齊藤アキノ(同八八の一)が二分の一、同内田勝浩(同八八の二)及び同内田浩史(同八八の三)が各二八分の一、同齊藤維市郎(同八八の四)、同内田嘉代子(同八八の五)、同山下美志子(同八八の六)、同齊藤伸之助(同八八の七)、同齊藤泰司(同八八の八)及び同齊藤雄也(同八八の九)が各一四分の一の割合で相続した。

25 村下定彦は、昭和六〇年三月一日死亡し、原告村下定明(同八九の一)、同前田三十江(同八九の二)、同窪田十千代(同八九の三)、同村下道德(同八九の四)が各四分の一の割合で相続した。

26 平岡ユキノは、昭和六二年九月一八日死亡し、原告平岡子之松(同一〇三の一)、同平岡盛義(同一〇三の二)が訴訟承継した。

27 瀧本スヾは、平成二年四月一六日死亡し、原告荒木いつ子(同一二〇の一)が相続した。

28 濱田善太郎は、昭和五四年一二月二七日死亡し、濱田スマは、昭和六三年二月二二日死亡し、右両名について、原告濱田幸一(同一二二の一、一二三の一)、同濱田清(同一二二の二、一二三の二)、同濱田静二(同一二二の三、一二三の三)、同森幸子(同一二二の四、一二三の四)、同濱田和憲(同一二二の五、一二三の五)、同田清子(同一二二の六、一二三の六)、同濱田照昭(同一二二の七、一二三の七)及び同濱田義隆(同一二二の八、一二三の八)が各九分の一、同濱田精一(同一二二の九、一二三の九)が一八分の一、同濱田博彰(同一二二の一〇、一二三の一〇)、同濱田敏彰(同一二二の一一、一二三の一一)、同竹下久美子(同一二二の一二、一二三の一二)及び同濱田康則(同一二二の一三、一二三の一三)が各七二分の一をそれぞれ相続した。

第六章結論

以上によれば、別紙認容金額一覧表①記載の原告らの被告チッソに対する請求は、同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する本件口頭弁論終結日である平成四年九月二一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で、別紙認容金額一覧表②記載の原告らの被告国・被告熊本県に対する請求は、同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成四年九月二一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で、それぞれ理由があるから、これを認容し(但し、被告チッソと被告国、被告チッソと被告熊本県とは、それぞれ別紙認容金額一覧表②「認容金額」欄記載の各金員の限度で連帯債務を負うものである。)、別紙認容金額一覧表①記載の原告ら(別紙認容金額一覧表②記載の原告らと同じ)の被告らに対するその余の請求及び別紙棄却原告一覧表記載の原告らの被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官足立昭二 裁判官大原英雄 裁判官横溝邦彦)

図面九〈省略〉

別表三ないし七〈省略〉

別紙各原告ごとの当事者の主張の要旨等、原告番号掲載以外7ないし123〈省略〉

別紙各原告ごとの当裁判所の認定、原告番号掲載以外7ないし123〈省略〉

原告番号

1 氏名

田上浩

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

上妻

S61.3.31付診

左上肢

(+)

右上肢

(+)

左下肢

(+)

右下肢

(+)

診断

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S60.5.22

右眼

左眼

診断

(-)

フェルステル

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S60.5.22

難聴パターン

感音性

語音聴力

疲労現象

診断

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

上妻

S61.3.31付診

言語障害

(+)

アジドコ

(+)

指鼻・指指

(+)

膝踵

(+)

脛叩き

両足起立

(+)

片足立ち

(±)

両足歩行

(±)

つぎ足・一直線歩行

検査日等

OKP・水平

OKP・垂直

眼振検査

診断

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

田上浩は、濃厚汚染の当時、汚染地区に居住して、汚染魚を多食し、家族を含めて有機水銀の汚染を受けたものであり、四肢末梢性の感覚障害、運動失調、難聴等の健康障害が認められる。

したがって、田上浩は水俣病である。

田上浩については、メチル水銀による影響かどうかは別にして四肢の感覚障害は否定できないかも知れないが、運動失調の存在は、はっきりしておらず、後迷路性難聴の存在も確認できず、求心性視野狭窄は認められない。

したがって、田上浩が水俣病に罹患していたと認めることはできない。

原告番号

3 氏名

田上とし子

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

上妻

S61.3.31付診

H3.8.20

S53.5.8

S53.5.16

左上肢

(+)

温(+)

(+)

(+)

右上肢

(+)

(+)

(+)

左下肢

(+)

(+)

(+)

右下肢

(+)

(+)

(+)

診断

否定できない。

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S53.7.28

右眼

(-)

左眼

(-)

診断

認められない。

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.6.30

難聴パターン

伝音性

語音聴力

(-)

疲労現象

(-)

診断

示唆する所見はない。

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

上妻

S61.3.31付診

H3.8.20

S53.5.8

S53.5.16

言語障害

(+)

(+)

(-)

(-)

アジドコ

拙劣

(-)

(-)

指鼻・指指

(-)

(-)

膝踵

(-)

(-)

脛叩き

(-)

(-)

両足起立

(+)

(-)

(-)

片足立ち

(-)

(-)

両足歩行

(±)

(-)

(-)

つぎ足・一直線歩行

(+)

(-)

(-)

検査日等

S53.6.30

OKP・水平

(-)

OKP・垂直

眼振検査

(-)

診断

認められない。

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

田上とし子は、濃厚汚染の当時、汚染地域に居住して、汚染魚を多食し、家族も含めて有機水銀の汚染を受けたものであり、口周囲、四肢未端の感覚障害、軽度の運動失調、知能障害等の健康障害が認められる。

したがって、田上とし子は水俣病である。

田上とし子については、知能障害があり、四肢末梢優位の感覚障害は否定できないが、これがメチル水銀の影響によるものとは考えられず、その他の小児水俣病にみられる主要症候である小脳性運動失調、求心性視野狭窄、後迷路性難聴も認められない。

したがって、田上とし子が小児水俣病に罹患していると認めることはできない。

原告番号

4 氏名

掃本ミ子コ

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

宮本

S62.12.15付診

H4.8.28

S51

10.10

S51

10.24

S61

7.30

S62

8.3

S63

12.3

左上肢

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

右上肢

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

左下肢

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

右下肢

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

診断

否定できない。

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

宮本

S62.12.15付診

H4.8.28

S52

2.3

S54

1.7

S54

3.22

S61

5.22

S62

5.24

H1

7.3

右眼

(-)

(±)

(-)

(±)

(±)アイ

(+)

アイ

(-)

アイ

左眼

(-)

(±)

(-)

(±)

(±)アイ

(+)

アイ

(-)

アイ

診断

(±)

ゴールドマン

判定不能

ゴールドマン

ないと判断される。

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

宮本

S62.12.15付診

H4.8.28

S51.8.30

難聴パターン

聴力障害(+)

難聴(+)

感音性

語音聴力

(-)

疲労現象

(-)

診断

示唆する所見はない。

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

宮本

S62.12.15付診

H4.8.28

S51

10.10

S54

1.6

S61

7.30

S62

8.3

S63

12.3

言語障害

(-)

(-)

(-)

(-)

アジドコ

(±)

(-)

スロー

(-)

(-)

(-)

指鼻・指指

(±)

(-)

スロー

(-)

(-)

(-)

膝踵

(±)

(-)

スロー

(-)

(-)

(-)

脛叩き

(-)

スロー

(-)

(-)

(-)

両足起立

(+)

(-)

(-)

(-)

(-)

(-)

片足立ち

()

(+)

(+)

(-)

(±)

(±)

両足歩行

(+)

(-)

(-)

(-)

(-)

(-)

つぎ足・一直線歩行

(+)

(-)

(-)

(-)

(-)

検査日等

S54.1.22  H1.6.24

OKP・水平

(-)   (-)

OKP・垂直

(-)   (-)

眼振検査

(-)

診断

(-)

ないと判断される。

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

掃本ミ子コは、濃厚汚染の当時、地域的にも、食生活においても、家族的にも有機水銀の汚染を受けたことが明らかであり、四肢末梢性の感覚障害、軽度の聴力障害、視野狭窄等の健康障害が認められる。

したがって、掃本ミ子コは水俣病である。

掃本ミ子コについては、四肢末梢優位の感覚障害の存在が否定できないにすぎず、他の主要症候を認めることはできない。そして、感覚障害も、メチル水銀の影響によるものということは困難である。

したがって、掃本ミ子コが水俣病に罹患していることを認めることはできない。

原告番号

5 氏名

脇宮源市

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

板井

S63.6.20付診

S54

3.25

S54

8.5

H1

8.28

左上肢

(+)

(+)

(+)

(+)

右上肢

(+)

(+)

(+)

(+)

左下肢

(+)

(+)

(+)

(-)

右下肢

(+)

(+)

(+)

(-)

診断

認め難い。

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

板井

S63.6.20付診

S55.4.9

H2.2.25

右眼

(-)

鼻側(±)

左眼

(-)

(±)

診断

(+)

ゴールドマン

左右対称性でない。

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

板井

S63.6.20付診

S54.8.3

H1.11.21

難聴パターン

混合性

感音性

語音聴力

一部悪化

疲労現象

(-)

診断

可能性は否定できない。

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

板井

S63.6.20付診

S54

3.25

S54

8.5

H1

8.28

言語障害

(+)

(-)

(-)

(-)

アジドコ

(+)

(+)

(+)

(-)

指鼻・指指

(+)

(+)

(-)

膝踵

(+)

(+)

(+)

(-)

脛叩き

(+)

(-)

両足起立

(+)

(+)

(-)

片足立ち

(+)

()

(-)

両足歩行

(+)

(-)

つぎ足・一直線歩行

(+)

(+)

(-)

検査日等

S54.8.4  H1.11.21

OKP・水平

OKP・垂直

眼振検査

(-)   (-)

(±)   (+)

(-)

診断

ないと判断される。

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

脇宮源市は、その居住地が有機水銀汚染地域であるうえ、その仕事は漁業や鮮魚等の販売等であって、有機水銀の汚染を濃厚に受けたことが明らかであり、四肢末梢性、口周囲の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害等の健康障害が認められる。

したがって、脇宮源市は水俣病である。

脇宮源市については、後迷路性難聴は否定できないとしても、四肢末梢の感覚障害、小脳性運動失調、視野狭窄は認められない。また、脇宮源市にみられる感覚障害は脊椎の異常によって生じた可能性が高いこと、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したことの証明が乏しいこと等を総合すると脇宮源市が水俣病に罹患していたと認めることはできない。

原告番号

6 氏名

蓑田實

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

平田

S60.12.30付診

H3.6.24

S62.8.4

左上肢

(+)

(+)

(+)

右上肢

(+)

(+)

(+)

左下肢

(+)

(+)

(+)

右下肢

(+)

(+)

(+)

診断

認められる。

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

平田

S60.12.30付診

S61.10.28

右眼

(-)

左眼

(-)

診断

(-)

ゴールドマン

認められない。

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

平田

S60.12.30付診

H3.6.24

S62.9.4

難聴パターン

難聴(+)

聴力障害(+)

感音性

語音聴力

一部悪化

疲労現象

右(±)、左(-)

診断

可能性は否定できない。

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

平田

S60.12.30付診

H3.6.24

S62.8.4

言語障害

(-)

(+)

(-)

アジドコ

(-)

指鼻・指指

(+)

(-)

膝踵

(+)

(-)

脛叩き

(+)

両足起立

(+)

マン(検査不能)

(-)

片足立ち

検査不能

右(+)、左(±)

両足歩行

(±)

つぎ足・一直線歩行

検査不能

(±)

検査日等

S62.9.4

OKP・水平

OKP・垂直

眼振検査

(-)

(-)

(-)

診断

ないと判断される。

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

蓑田實は、濃厚汚染当時、汚染地域に居住して、汚染魚を多食し、家族も含めて有機水銀の汚染を濃厚に受けたものであり、両上下肢の感覚障害、軽い失調、難聴等の健康障害が認められる。

したがって、蓑田實は水俣病である。

蓑田實については、四肢末梢の感覚障害が認められるが、変動がみられるなどメチル水銀の影響とは考え難いものがあり、また平衡機能障害の可能性も否定できないが、その他の主要症候は認められない。

したがって、蓑田實が水俣病に罹患していると認めることはできない。

原告番号

10 氏名

岡本勢吾

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

板井

S63.6.20付診

H3.6.24

S55

6.12

S61

10.12

S62

10.3

左 上上肢 肢

(+)

(+)

(+)

(+)

右上肢

(+)

(+)

(+)

(+)

左下肢

(+)

(+)

(+)

(+)

右下肢

(+)

(+)

(+)

(+)

診断

全くは否定できない。

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

板井

S63.6.20付診

S61.7.3

右眼

(-)

左眼

(-)

診断

(-)

ゴールドマン

認められない。

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

板井

S63.6.20付診

S61.8.2

S62.9.11

難聴パターン

騒音性

騒音性

語音聴力

一部悪化

歪み悪化

疲労現象

(-)

(-)

診断

不能性は否定できない。

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

板井

S63.6.20付診

H3.6.24

S55

6.12

S61

10.12

S62

10.3

言語障害

(+)

(-)

(-)

アジドコ

(-)

(-)

(-)

指鼻・指指

(±)

(-)

(-)

膝踵

(±)

(±)

(+)

(-)

脛叩き

(±)

(-)

両足起立

(+)

(-)

(+)

(-)

片足立ち

(±)

(±)

(+)

(±)

両足歩行

(-)

(-)

つぎ足・一直線歩行

(+)

(±)

(-)

検査日等

S61.8.2 S62.9.11

OKP・水平

OKP・垂直

眼振検査

(-)   (-)

(+)   (+)

(-)

診断

日常動作との矛盾

ないと判断される。

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

岡本勢吾は、濃厚汚染の当時、地域的にも職業的にも食生活においても、家族的にも有機水銀の汚染を濃厚に受けたことが明らかであり、右半身及び四肢末梢性の感覚障害、軽度の失調、騒音性難聴等の健康障害が認められる。

したがって、岡本勢吾は水俣病である。

岡本勢吾については四肢末梢の感覚障害は否定できないが、その出現時期や触痛覚のかい離がみられることなどから、メチル水銀の影響によるものとは考えられず、また、後迷路性難聴、平衡機能障害は否定できないが、その他の主要症候は認められない。

したがって、岡本勢吾が水俣病に罹患していると認めることはできない。

原告番号

15 氏名

杉井京松

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

宮本

S62.1.20付診

H3.8.12

S52

6.24

S53

6.18

S54

10.6

S54

11.25

左上肢

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

右上肢

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

左下肢

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

右下肢

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

(+)

診断

否定できない。

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

宮本

S62.1.20付診

H3.8.12

S53

12.14

S54

10.2

S55

3.6

右眼

(-)

(-)

(-)

左眼

(-)

(-)

(-)

診断

(+)

ゴールドマン

(+)

対面法

認められない。

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

宮本

S62.1.20付診

H3.8.12

S53.11.17

S55.2.1

難聴パターン

難聴(+)

聴力障害(+)

感音性

語音聴力

(-)

疲労現象

(-)

診断

示唆する所見はない。

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

宮本

S62.1.20付診

H3.8.12

S52

6.24

S53

6.18

S54

10.6

S55

11.25

言語障害

(+)

(+)

(±)

(-)

(-)

(-)

アジドコ

(+)

検査不能

(-)

スロー

指鼻・指指

はずれ

(-)

(-)

スロー

膝踵

検査不能

(-)

スロー

脛叩き

(-)

スロー

両足起立

()

(+)

()

(-)

片足立ち

不能

検査不能

()

(+)

両足歩行

()

(+)

()

スロー

つぎ足・一直線歩行

()

スロー

検査日等

S53.11.17  S55.2.1

OKP・水平

OKP・垂直

眼振検査

(-)    (-)

(±)    (+)

(-)

診断

ないと判断される。

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

杉井京松は、濃厚汚染の当時、地域的にも、食生活においても、家族的にも有機水銀の汚染を受けたことが明らかであり、四肢末梢性及び口周囲の感覚障害、失調、視野狭窄等の健康障害が認められる。

したがって、杉井京松は水俣病である。

杉井京松については、四肢末梢優位の感覚障害は否定できないが、変動を示していることや痛覚障害が主体であることから、器質性の障害に基づくものではない。また、中枢性眼球運動障害、平衡機能障害の可能性は否定できないが、その他の主要症候は認められない。

したがって、杉井京松が水俣病に罹患していると認めることはできない。

原告番号

29 氏名

諌山藤四郎

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日時

藤野

S63.9.17付診

左上肢

(+)

右上肢

(+)

左下肢

(+)

右下肢

(+)

診断

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

藤野

S63.9.17付診

右眼

左眼

診断

(+)

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

藤野

S63.9.17付診

難聴パターン

難聴(+)

語音聴力

疲労現象

診断

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

言語障害

アジドコ

指鼻・指指

膝踵

脛叩き

両足起立

片足立ち

両足歩行

つぎ足・一直線歩行

検査日等

OKP・水平

OKP・垂直

眼振検査

診断

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

諌山藤四郎は、濃厚汚染時期に汚染地区に居住し、魚介類を多食し、家族も含めて有機水銀の汚染を受けたものであり、四肢末梢性・口周囲・全身性・左半身性の感覚障害・求心性視野狭窄、難聴等の健康障害が認められる。

したがって、諌山藤四郎は水俣病である。

病理も万能ではないのであり、剖検所見から諌山藤四郎が水俣病でないということはできない。

諌山藤四郎には、必ずしも四肢末梢優位とはいえない感覚障害が認められるが、運動失調は認められず、また、求心性視野狭窄の所見にも信頼性に問題がある上、他の主要症候は認められない。そして、剖検所見でも、大脳及び小脳に水俣病に特異な病変が認められなかったことから、諌山藤四郎が水俣病に罹患していたと認めることはできない。

原告番号

35 氏名

坂﨑徳太郎

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.5.3

S53.4.16

S53.4.25

左上肢

(+)

(-)

(+)

右上肢

(+)

(-)

(+)

左下肢

(+)

(-)

(+)

右下肢

(+)

(-)

(+)

診断

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.5.3

S53.6.17

右眼

(-)

左眼

(-)

診断

(+)

フェルステル

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.5.3

S53.9.22

難聴パターン

感音性

(-)

語音聴力

疲労現象

診断

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.3.5

S54.4.10

S54.4.25

言語障害

(-)

アジドコ

(+)

(-)

指鼻・指指

(-)

(-)

膝踵

はずれ

(-)

脛叩き

(-)

両足起立

(+)

(-)

(+)

片足立ち

(+)

(-)

両足歩行

スロー

(-)

つぎ足・一直線歩行

(+)

(-)

(+)

検査日等

S53.9.22

OKP・水平

OKP・垂直

眼振検査

(+)

(-)

(-)

診断

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

坂﨑徳太郎は、濃厚汚染の当時、地域的にも食生活においても、家族的にも有機水銀の汚染を濃厚に受けたことが明らかであり、四肢末梢性の感覚障害、中等度の失調、求心性視野狭窄、難聴等の健康障害が認められる。

したがって、坂﨑徳太郎は水俣病である。

病現も万能ではないのであり、剖検所見から坂﨑徳太郎が水俣病でないということはできない。

坂﨑徳太郎については感覚障害の存在自体が疑われる上、その他の主要症候も認められない。そして、坂﨑徳太郎がどの程度のメチル水銀に曝露されたか不明確であることも総合すると、仮に感覚障害があるとしても、臨床所見によっては坂﨑徳太郎は水俣病に罹患していたとは認められない。剖検所見でも、このことが裏付けられている。

原告番号

52 氏名

岩田勇

感覚障害

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.2.28

S58.7.7

S59.4.16

左上肢

(+)

(-)

(+)

右上肢

(+)

(-)

(+)

左下肢

(+)

(-)

(+)

右下肢

(+)

(-)

(+)

診断

求心性視野狭窄

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.2.28

S59.4.16

右眼

(-)

左眼

(-)

診断

(-)

ゴールドマン

後迷路性難聴

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.2.28

S57.11.5

難聴パターン

感音性

騒音性

語音聴力

(-)

疲労現象

(-)

診断

小脳性運動失調

診断書・意見書

審査会資料・意見書

検査日等

S56.2.28

S58.7.7

S59.4.16

言語障害

(+)

(-)

(-)

アジドコ

右(-)、左(+)

(-)

指鼻・指指

(-)

(+)

膝踵

(-)

脛叩き

(-)

両足起立

()

(+)

(-)

片足立ち

()

(+)

(-)

両足歩行

(-)

つぎ足・一直線歩行

()

(+)

(-)

検査日等

S57.11.5

OKP・水平

OKP・垂直

眼振検査

(-)

(-)

診断

当事者の主張の要旨

原告らの主張

被告らの主張

岩田勇は、濃厚汚染当時、汚染地域に居住して汚染魚を多食し、家族も含めて有機水銀の汚染を受けたものであり、四肢末梢性の感覚障害、運動失調、聴力障害等の健康障害が認められる。

したがって、岩田勇は水俣病である。

病理は万能ではないのであり、剖検所見から岩田勇が水俣病でないということはできない。

岩田勇については、水俣病の主要症候はいずれもその存在が証明されていない上、剖検所見でも水俣病による病理的変化は認められなかった。

したがって岩田勇が水俣病に罹患していたと認めることはできない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例